かえるちゃんズ
二十一話 かえるちゃんズ
ボイストレーニングは公民館のホールで行われていた。
ボイトレの先生になってくれたのは、美空さんが連れてきてくれた女の人だ。正確には美空さんの元カノの友達…だったっけ?
彼女はまだ二十歳になったばかりで、甘ったるい笑顔を絶やさない。ジャズダンスのひっつめ先生とは対照的だ。しかし…。
「あ、春花ちゃ~ん。だめだめぇ~。もっとおなかから声出さなきゃあ~。そんな車に半身を引きつぶされて、死にかけてるヒキガエルみたいな声だしちゃや~ん」
「す…すみません…。…ヒキガエル……引きつぶされた…ヒキガエル…」
「富士子サンもっ!もともとの声質もあるけど、ファルセット汚いよぉ~。おばあちゃんみたいだぞっ」
「お…おばあちゃん…。おばさん通り越して…おばあちゃん…」
「絢ちゃんはぁ~…うまっぽく聞こえるけど、なぁんか上っ面だけぇ~ってかんじ?『俺、まだ本気だしてねえから』、『本気出して熱くなんのとかダッセエし』みたいな?ちょっと厨二っぽいぞぉ~。あ、実年齢中二だっけ?」
「……そうだけど、なんか文句あんの?」
この先生…。一見甘ったるいただのぶりっ子に見えるけど、にこやかに毒を放つ恐ろしい人物だったのだ。
「でさでさ、橋本君は三人のなかで誰がタイプなのぉ~?」
「ブェハッ!!な、な、なな、タイプ!?」
「あはぁ~。照れてるぅ~。きゃわゆ~い☆」
こんな恐ろしい質問を平気で投げつけてきたりする。
しかし、ガイドボーカルの仕事をしているだけあって、歌はすごく上手かった。
ガイドボーカルってめちゃくちゃに上手いってイメージじゃなかったから、正直驚いた。先生曰く、カラオケのガイドボーカルはその歌手に大なり小なり似せつつ歌うから、実際の歌声とは違ってくるそうだ。
しかしその性格はトリカブト級に恐ろしい…。その先生を、唯一止められる人物が一人だけいた。
「やあ、頑張ってるみたいだね?」
「ユッキィィィ☆来てくれたんだぁ~」
いつもの前髪ふぁさっ、をやりつつ入ってきたのは美空さん。
彼だけが先生の毒舌を止められる救世主だった。
「りえたん、メンバーの子とうまくやってるかい?あんまり毒吐いちゃダメだよ?」
「そんなことしないもんっ!ユッキイのばかぁ!もう、ぷんぷんっ!」
先生、頭にグーを二つ乗っけるポーズ。それ…かなり古くないですか…?
「うまくやってるならいいや。引き続き頼むね?」
「じゃあ~…今度デートしよぉ~?ラウンドワンいこぉ~ラウンドワン!」
「オッケー☆空いてる日、また連絡してよ」
「うれしぃ~!楽しみにしてるぅ~」
なんだコレ…。僕とメンバー三人がドン引きする中、美空さんは「アディオス」とかなんとか言いつつ出て行った。もう帰るのか。一体何しに来たんだよ…。役に立たない救世主だ…。
美空さんが出て行ったのを確認して、先生がくるりと振り返った。そしてピンクのグロスが塗られた唇をゆがめてにたり、と笑った。
「じゃあ練習再開しよっかぁ~。三匹のカエルさんたち?」
ああ。こんなんでほんとに大丈夫って言えるんだろうか…。
***
夕方の長野駅を家路を急ぐ人たちが足早に通り過ぎていく。僕と榎本さんと岩島さんは今日もビラ配りに精を出していた。
「はあ。もう少しで今日の分は全部さばけそうだ…。榎本さん、あとどのくらい残ってます?」
「ここ、こちらは…あと二十枚ほどですね!もう終わりそうですっ」
今日は人が多かったせいか、わりとたくさん貰ってもらえてよかった。
あとは、岩島さんか。
「岩島さ~ん?そちらはどうですか~?」
僕の位置から数メートル離れた噴水の横にいる岩島さんに呼びかける。彼はいつもの仏頂面で振り向いた。
「……枚」
「え?なんですか~?ちょっと聞こえなかったんでもう一回…」
「百五十枚くらいだ」
「ああ、百五十枚!それならすぐにさばけ………百五十!?」
なんで二時間配って五十枚しか配れてないんだよ!?おかしいだろ!
慌てて岩島さんに駆け寄る僕と榎本さん。
「もも、もうすぐ日も落ちますし、はは、橋本君は帰った方が…」
榎本さんの申し出に僕は首を振った。
「僕、もうすぐ終わるんで岩島さんの分手伝います!手分けして配っちゃいましょう!それにしても…なんで岩島さんのだけこんなに余るんだ?昨日も終わったの、岩島さんが最後でしたよね?場所が悪いのかな?」
僕が首をかしげていると、むすっとして立ち尽くしている岩島さんを見ていた榎本さんが、こう言った。
「いい、岩島君の顔が怖くて、みなさん、ち、近づきがたいんじゃないですかっ…はは」
え……えええええ!?
榎本さん、なんてことを…!!
この人天然なのか?空気読めなすぎだろ!と、いうより話を振った僕が悪いのか!?
あばばばば!や、やばい…。これからも一緒にビラ配りするのに、険悪になっちゃうよ!!
岩島さんの顔をそ~っとうかがうと、ゴーヤを種ごと丸かじったような渋面を浮かべている。空気が重すぎるッ!!!何HPAですか!?
「そう…なのか?」
岩島さんからかすれた呟きが漏れる。
「そそ、そうですよっ!それ、それ以外ないですっ!」
おいおいおいおいおいおいいいい!榎本おおお!!そこはフォローするところおおお!
僕がフォローの言葉を探しあぐねてあたふたしていると、岩島さんがふっと笑った。
「はは。そういうことか。どうりで人が寄ってこないわけだ。ビラ配り始めてからずっと不思議だったんだ」
あ、顔が怖いっていう自覚なかったんですね…。
怒ってないみたいだからとりあえずほっとした。
「あはは…岩島さん、そこまで怖くないですよ。気にしないではやく配っちゃいましょう」
「いやいや。ここ、怖いじゃないですか!ささ、さっきまでそこの地下鉄の入り口で群れていた不良少年たち、い、いなくなっちゃいましたよ?岩島君に恐れをなしたんですよ」
僕の精一杯のフォローを無慈悲に打ち砕く榎本和貴男(50)。
「おなか減ったから帰ったんでしょ!!もういいからはやく配布に戻りましょう!!」
「で、でも絶対怖いですって」
「え・の・も・と・さん!!戻りましょう!!」
まだ何か言いたげな榎本さんを引きずって、僕は持ち場に戻るため歩き出した。
去り際に見た岩島さんの背中は心なしか寂しげに見えた。
岩島さん…なんか傷つけちゃって(主に榎本さんが)すみません…。
***
なんとか今日の分のチラシを配り終えた僕たちは、なぜか駅前のラーメン屋にいた。
ここは珍しいラーメンがたくさんあることで知られていて、マニアックなラーメンファンの心をわしづかみにしている店だ。
ちなみに僕が好きなのは「完熟トマトのイタリアンラーメン」。ラーメンなのにイタリアンっていうのが矛盾してるけど、美味しいから別に気にしない。
「完熟トマトのイタリアンラーメンください」
「わわ、わたくしは、アンチョビとオリーブのオシャンティーラーメンで」
「俺は…キノコの森の小鹿ラーメン」
頭頂部が悲しいことになっている中年男性がオシャンティーって…。
あと岩島さん可愛すぎでしょ!そのいかつさでバンビって…。
彼らのセレクトにいろいろ思うところはあるけど、考えないようにしよう…。
もやもやを打ち払うようにおしぼりでガシガシ手をぬぐった。
そもそも、なぜ三人でこんなところにいるのか。
ラーメン屋に行こうと提案したのは榎本さんで、なんとおごってくれるとまで言いだした。さすがに求職中の彼にごちそうになるのは気が引けたので、岩島さんと二人で丁重に辞退した。
割り勘という条件付きでここまできたわけだけど…なんか話でもあるのかな、榎本さん。さっきは僕にはやく帰った方がいいって言ったくせに。
そんな僕の疑問を察したように、榎本さんが口を開いた。
「いい、いやぁ、付き合ってもらって悪かったですねえ。し、しかも割り勘でなんて…」
「別に謝ることはねえよ。ここのラーメン美味いしな」
「そうですよ。ちょうど腹減ってましたし」
「そそそ、それならよかったです、ハイ」
榎本さんはそう言っておしぼりで顔を拭いた。
「つ、付き合ってもらったのは、ちょっと話があったからなんですけどね。次回のミーティングのときでもよかったのですが…なな、なにしろ本番まで時間がありませんから…。お二人とも、よよ、よるぉしいでしょうか?」
噛み噛みどもりまくりの榎本さんに頼まれたら、可哀そうで断ろうにも断れないな。僕ら二人は頷いた。
榎本さんはほっとしたように笑顔を浮かべて、話し始めた。
「物販のことで…思いついたことがありまして…。あの、この間橋本君が考えてくれた案を参考に、じ、自分なりに考えてみたのですが…」
「物販ですか!ぜひ聞かせてもらいたいですっ」
勢いよく言った僕を、他のお客さんが怪訝そうな顔で見た。
でも、正直嬉しくてそんなことを気にしている余裕はなかった。物販のことはまだ詳しく詰めてなかったし、なにより僕の案を榎本さんが真剣に考えていてくれたことが嬉しかった。
「実用性があって低コスト…という話でしたよね?そこで…なんですが、美空さんが言っていた『ペン』、それから『手ぬぐい』を新しく採用してはいかがでしょうか?」
「手ぬぐい?」
岩島さんが不思議そうに問い返す。
たしかに『手ぬぐい』は少々意外だ。アイドルグッズではあまり見かけないものだし。思案顔の僕らに榎本さんは言った。
「フルーツ王国のオリジナルキャラクターは、長野の果物をモチーフにしていますよね?そこからヒントを得まして…。実際に果樹農家を営んでいる方々に、親しんでもらえるようなグッズはどうか、と思ったわけです。果樹農家だけでなく、ほとんどの農家さんで手ぬぐいは必需品ですからね。衣装を担当していただいた忠さんの洋裁店ならば、安く仕入れてもらえそうですし」
「なるほど…」
榎本さんの意見に僕らは「ううん」と唸った。
正直、榎本さんがここまで考えていてくれたとは思わなかった。みんなフルキンのために本気になってくれているんだ。僕は胸が温かくなっていくのを感じた。
「あとはペンですが…。一見地味なグッズですが、ラミカや生写真に比べて実用性がありますので、フルーツ王国を知らない方々でも手に取りやすいかと。汐咲さんが作ったオリジナルキャラクターとロゴをシールにして貼りつけると、可愛らしくなっていいかもしれません」
榎本さんの口調はよどみなかった。いつものどもりや噛み噛みは消えている。これがMM株式会社で培った営業力というものなのかもしれない。
「それ、いいですよ!手ぬぐい、新鮮味があってウケるかもしれませんね!ペンも印刷じゃなくてシールなら安く上がりそうですし!榎本さん、すごいっすよ!!」
「たしかに手ぬぐいはなかなか考えつかねえよな。おっさん、やるじゃねえか」
「いいい、いやあ。た、たまたまたま、たまたまでふすよ!」
もとの口調に戻ってしまった榎本さんは、照れくさそうにおしぼりで頬を拭った。
「お待ちどぅーす。ぁい、完熟イタリ…じゃねえや、イタリアンの完熟……あー……トマトのやつ、お待ちどぅーっす。あとなんか魚のタレ?のやつと、キノコの森の小鹿、お待ちどぅーっす」
そこへ金髪ピアスのお兄ちゃんがラーメンを持ってきた。
…そうだった。ここはラーメンは絶品だけど、かなりやる気のない店員がいることでも有名なんだった。
ラーメン屋の店員さんって「いらっしゃいませええ!!」みたいな体育会系のイメージなのに…。ていうか、なんで最後のバンビだけちゃんと言えたんだ。逆にそこは濁してほしかったよ!!
僕たち三人は、熱いラーメンをすすりながら物販企画について話し続けた。
普段は寡黙な岩島さんも珍しく意見を出してくれたりして、企画会議はラーメンに負けないくらい熱いものとなった。




