がんばる理由
十七話 がんばる理由
「僕、さい…ていだ…」
「オタふみい~!ぶつくさ言ってないでそこどけし。テレビ見らんないだろが」
「……うるさい、田舎ヤンキー。ださいんだよ」
「オタふみのくせに逆らうとか生意気だな。長野ブラックバタフライ元総長『覇死喪徒 魅亡』なめんなよ?」
「はいはい。ニフラム、ニフラム」
「!?な、なんだそれ!……もしかして呪いか!?」
リビングのソファにだらりともたれていた僕は、仕方なく立ち上がった。入れ替わりに姉貴がどっかりと座り込み、ソファを占拠する。
「ふ、ふん!呪いなんか怖くねえし!バリバリ気合入ってっからな!弾き返してやんよ!」
「うっさいな。テレビばっか見てないで勉強しろよ」
「ゲームばっかのお前に言われる筋合いないわ。てか、ふみ。お前なに落ち込んでんだ?」
リビングを出ていこうとしていた僕は、姉貴の言葉に足を止める。僕は振り返らずに言葉を投げる。
「なに…なに言ってんの?」
「バレバレだし。お前、落ち込んでるときの顔きもいもん」
きもいって…。肉親のお前にだけは言われたくないっ!!
「女にでも振られたか?マジだっせえ!!」
「うっさいな!!振られたとか、全然!そんなんじゃないから!!もう寝る!明日はテレビ使わせろよな!!」
そう言うと、逃げるように二階に駆け上がった。下からはまだ姉貴がゲハゲハ笑う声が聞こえる。
あ~!!ムカつくやつだ!てか、振られたとかそういうんじゃないんだって!
……そう、そんなんじゃなくて…。
自室に入り、ドアを閉める。僕はそのままドアにもたれるように、ずるずると座り込んだ。ひんやりとしたドアノブが僕の頬にあたる。
「あ~……僕、最低だ…。春花さんに酷いこと言いまくって…」
呟いた言葉は、夜気を吸って重くなった空気にじっとりと溶け込んでいく。
篠井どんぴしゃから一週間がたった。ライブのあと、僕は春花さんを八つ当たりにちかい怒りで打ちのめした。
郷戸とハヤちゃんに引きずられて家に帰りついたときには、泥のような後悔だけが僕の心にねっとりとこびりついていた。
帰り際、郷戸が僕にこう言った。
『失敗に傷ついたアイドルを責めるのが、プロ―デューサーの仕事か?頭を冷やしてよく考えておきたまえ』
郷戸の奴。普段はおちゃらけてるくせに、たまにこっちがドキッとするくらい正論を吐くんだよな。反則だろ。
そんな郷戸の言葉がしこりになって、胸の奥にわだかまっている。
ハヤちゃんはなにも言わなかった。
八重歯を見せて僕に手を振って、帰って行った。
あれから一週間。
ミーティングには一向に呼ばれないし、健吾さんからも連絡はない。
もしかして、あのままフルーツ王国の企画は立ち消えになってしまったのだろうか?
「…そんなのアリかよ…」
僕、結局何もできてないじゃないか。春花さんに偉そうな口叩いたくせに……。
カーペットの床に拳を叩きつける。じいんと鈍い痛みが伝わって、僕は顔をゆがめた。
そのとき、僕の尻ポケットの中で携帯が振動した。取り出してみると、画面には知らない携帯番号が表示されていた。
イタ電か?こんな時間に…。
しばらく放置して様子を見ていたが、鳴り止まないので僕は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「橋本くん……あ、の…汐咲、です…。汐咲春花。あ…フルーツ王国の…」
「は、春花さん!?」
携帯を取り落しそうになった。
電話をかけてきたのは今の今まで、僕の懊悩のなかにいた春花さんだった。春花さんは消え入りそうな声で再度僕の名前を呼んだ。
「春花さん、どうしたんですか?こんな時間に……てか、僕の番号…」
「ごめんね…。健吾さんに聞いちゃった…どう、しても……あの、私…」
春花さん、もしかして泣いてる?なんで…?
僕のせいか?僕が…ひどいこと言ったから…。
「あ、あああの!!春花さん!!こないだは、ほんと僕どうかしてて!!あのっ…!」
「橋本くん、おねがい…」
「だだだ、だからそのほんとにあのっ……?って、えっと…春花、さん?」
春花さんは湿り気を帯びたかすれ声を絞り出す。それは聞いている僕の胸をきゅうっと締め付けた。
「今から会いたいの…。おねがい…」
***
姉貴の「今から仲直りデートかぁ~?ひゅ~」という声を無視して、僕は家を飛び出した。
鞄の中身を入れ替えてるヒマがなかったので、通学用のサブバッグを引っ掴んで自転車に飛び乗った。切り替えを一番重い3に設定し、全速力で自転車を駆った。
六月も半ばを過ぎたが、まだTシャツ一枚では肌寒さを感じた。
二十分、ペダルをこぎ続けてたどり着いたのは篠井総合病院。
僕は駐輪場に自転車を止めると、足早に玄関口へ向かった。正面玄関は既に閉まっていたため、わきにある夜間専用の入り口から建物の中に入った。
待ち合わせ場所に指定された中央受付に行くと、ビニールのソファに腰かけている春花さんの姿が目に入った。
「春花さん」
おずおずと声をかけると、彼女は振り返って微笑んだ。
いつものぽわぽわとした綿毛のような笑顔じゃなく、触れたらはらはらと崩れ落ちてしまいそうな表情だった。
「橋本くん…」
「おばあさんは…大丈夫なんですか?」
僕がそう尋ねると、春花さんは小さな声を出して笑った。
「橋本くんてば、不良さんだなぁ。高校生がこんな夜中に出歩いたりしちゃダメじゃない。篠井駐在所のおまわりさんに補導されちゃうよ?」
「あ…あなたが呼んだんでしょうに!」
つい大きな声で反論すると、通りかかった看護師のおばさんにぎろりとにらまれた。僕は仕方なく黙り込む。
春花さんはそんな僕に手招きをして、隣に座るよう促した。コケみたいな変な緑色をしたソファに腰を下ろすと、彼女はふっと表情を曇らせた。
「そうだよね…。私がわがまま言って呼びつけちゃったのに……きてくれて、ありがとう」
「ああっ…いや、別に…僕は…」
うう。こういう状況、マジで耐性ないんだってば…。
さっきも「おねがいっ!橋本くんに今すぐ逢いたいの!」みたいなこと言ってたし…(ちょっとちがうか?)心臓に悪いよ、ホント。
春花さんからかかってきた電話の内容。それは、彼女のおばあさんが倒れて救急搬送されたというものだった。
職場から帰ってきた春花さんが、階段の踊り場で倒れているおばあさんを発見したらしい。
病院に着いた彼女は、僕に病院まで来てくれと電話をかけた…と、こういうわけだ。
けど…なんで僕に…?
「大丈夫…。命に別状はないって。貧血で眩暈を起こして、階段の手すりに頭をぶつけたんだって。……、血が…いっぱい出てたから…頭…。私…どうしようってパニックになって…誰もいなくて……おばあちゃん…っつ…しんじゃうと思って…そしたら怖くて…私、なん、にっも…でき、な…できなくて…私……!!」
「春花さん、落ち着いてください!」
僕は小刻みに震えながらしゃくりあげる春花さんの腕をおさえつけた。
白いシャツに紺色のスカートは彼女の仕事着なのだろう。めくれたシャツの袖から彼女の白い肌が覗いている。血管が透けそうなほど色素の薄い肌は、ひんやりと冷たい。
「ご…ごめん、なさい…。そうだよね、私がちゃんとしなきゃいけないのに…。これから検査入院とかの手続きもあって……」
「いえ…。手伝えることあったら言ってください。これでも一応…フルキンのプロデューサー…らしいので」
うわっ…僕、なんかくさいこと言った!?
プロデューサーらしいことなんもしてなかったくせに!しかも、こないだ春花さんのこと偉そうに怒鳴りつけたばっかだし…。
春花さんの反応が怖くて、僕はリノリウムの床に視線を落とした。
すると横で春花さんがクスリ、と笑った。顔をあげると、そこにはいつもよりちょっとだけ儚げなたんぽぽの笑顔。
「やっぱり橋本くんは天才プロデューサーだね」
「へ?」
触れている春花さんの腕が暖かくなった気がした。
「こないだ…ライブのあと、橋本くんに叱られて、思ったの。私、アイドルに向いてなかったなあって…」
「う、あ…」
春花さんの口からいきなりそう告げられて、僕はあわあわと視線を泳がせた。
まさかこのままアイドルやめる…なんて言わないよね!?
「春花さん!こないだはほんとにすみませんでした!!僕、八つ当たりしちゃってひどいことを――」
「あっ!ちがうの!橋本くんを責めてるんじゃなくて…その…私、わかってたんだ。オーディション受ける前から、自分にアイドルは向いてないってこと」
春花さんの視線が虚空を移ろった。薄闇からなにかを見つけだそうとしているかのように、彼女の黒い瞳が揺れる。
「うち…お父さんもお母さんもいなくてね。ずっとおじいちゃんとおばあちゃんと私の三人で生活してた。昔から二人で果樹農家やっててね。桃やリンゴを出荷してたんだ。そうやって私を短大まで行かせてくれた。優しくて…大好きな私の家族…」
春花さんはそこで言葉を切った。
彼女の寂しげな横顔から目が離せなかった。深く息を吐いてから、彼女はまた話し出した。
「私…おじいちゃんとおばあちゃんのの役に立ちたかった。昔からドンくさくて、勉強も運動もできなかった私のこと、ずっと大事にしてくれた二人の為に、頑張りたかったの…」
春花さんの声は次第に水気を帯び始める。僕はなにも言えず、ただ黙って彼女の言葉の続きを待った。
「去年の夏におじいちゃんが亡くなって……そんなときに、フルーツ王国のオーディションの話を聞いたんだ」
春花さんが真剣にアイドル活動に向き合っていたわけ…。それは大切な家族のためでもあったんだ。
「長野のいいところをアピールして、みんなに幸せになってもらうアイドル…。フルーツ王国のこと知った時、これしかないって思っちゃったんだ。橋本くんに話しかけた時と一緒。直感ってやつだよねぇ。こんな私でも、おじいちゃんとおばあちゃんが一生懸命作ってた果物を、みんなに知ってもらうお手伝いができるんじゃないかって…そんな風に考えちゃった。でも……だめみたい。体育の成績ずっと悪かったし…歌もうまくないし…か、顔も地味だし…もう、アイドルって歳でもっ…な、ないしっ…!結局私、なんにも…なんにもできなかった!!」
また涙声になる春花さん。
僕は無意識のうちに、掴んでいた彼女の腕を引き寄せた。「ひゃぅっ」と春花さんは体を震わせた。
「はっ、橋本くん!?」
「アイマイのみいなはっ!!」
僕は…僕は、何を言おうとしてるんだ?
僕はプロデューサーなんて名ばかりのへぼスタッフだぞ。家族が倒れて傷ついてる春花さんに…僕は何を――
「みいなは、アイマイに出てくる女の子のなかで一番劣等生なんです!小柄でやせっぽちで地味で初期パラメーターも一番低くて……だけどっ!」
春花さんが目を見開いて僕を見つめている。
「ステージに立ち続けるうちに、彼女はどんどん変わっていくんですっ!下手だった歌やダンスも地道な練習を重ねてくうちに上手くなって…。小さくて痩せてるのも可愛らしく見えてきて、地味めな顔も笑うと魅力的だったり…そんな風にどんどん変わってくんですよ!」
「うん……」
春花さんは僕を見つめたまま静かに頷いた。桜色の唇が妙になまめかしい。僕は彼女の唇から無理やり視線を引きはがす。
「だからっ…あの、春花さんも…そんなに考え込まないで…。続けてくうちになんとかなってきますって!次回のライブは、僕ももっとがんばりますから!物販の企画とかもっかい全員で練り直しましょう。あと、ボイトレとダンスの先生についてもらったりできないか、剛造さんに聞いてみて…それから――」
「橋本くん……あのね、腕…そろそろ痛いかも…」
「え…?うぇえ!!あ、すすすす、すみません!!僕、ずっと掴んで…!!あばばばば!」
僕は大慌てで掴みっぱなしだった春花さんの細腕を離した。
心臓がばっくんばっくん音をたてている!
うわー!うわー!僕、ありえないだろ!!傷心の女の人にセクハラとか!!鬼畜以下かよっ!!郷戸に「不埒者!」ってド突かれても文句言えないよ…。
「橋本くん」
「ははは、はいいいっ!?」
春花さんがふうわりと笑う。
「さっき…病院に着いたとき、パニックでなんにも考えられなくなってたの。お父さんもお母さんもいないから頼る人、いないし…。そんなときに橋本くんの顔が浮かんでね、つい電話しちゃった」
春花さんはそう言っていたずらっぽく笑った。僕は動揺を隠せず、しどろもどろになりながら問い返す。
「な、なな、なんで…!?健吾さんに先に電話したなら、健吾さんでよかったんじゃ…ないですか…?」
「んー?なんでだろ。よくわかんないけど…橋本くんにきてほしかったんだ」
「と、とにかく!」
意味深なセリフに動揺しまくりの心中を隠すため、僕は大きな声で言った。
「これから頑張っていけば大丈夫です!!みんなでフルーツ王国、盛り上げていきましょう!」
半ばやけくそ気味に言ってしまったが、ほんとに大丈夫なのか…?
春花さんは僕の言葉に目を丸くしていたが、やがていつもの笑みを浮かべてくれた。
「はいっ!プロデューサーについていきますっ!」




