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大人女子(自称)の日常

十六話 大人女子(自称)の日常



「佐藤さあん!今日きたプロパーの夏物ってどこに出すんでしたっけぇ~?」


 春に入社した新人女が作ったような甘い声でそう尋ねてきたので、私はパソコンから顔を上げた。


「あ・の・ね、ゆりなちゃん?閉店業務の作業中は、いきなり話しかけないでねって言ったわよね?レジ閉めでミスしたらいろいろ面倒なんだから…」

「すいませえ~ん」

「『すいません』じゃなくて『申し訳ありません』!!新人研修で接客五大用語、習ったでしょ!?」

「はぁい、もぉしわけないですぅ~」

「ああ――!!もういいからっ!はやくその服並べちゃって!」

「だからぁ~、置く場所聞いたんですけどぉ?」

「さっき言ったでしょ!!だから人の話聞くときはメモ取なさいって言ったのに!!」

「おいおい、佐藤さん。そのへんにしときなって」

「て、店長…」


 現れたのはショップの店長だった。似合わない金髪をかき上げて、にやにやしながら近づいてくる。


「ゆりな君も謝ってるじゃないか。あんまり叱るとモラハラになっちゃうよ?それよりさっさとAレジ閉めちゃってよ。そっち終わらせてくれないと別館のBレジ落とせないじゃん」

「は、い…申し訳ありません」

「てんちょー、この夏物どこに出せばいいんですかあ~?佐藤さん、教えてくれなくてえ」

「そこの棚にバーっと掛けちゃってよ。ブラウスとティアードのスカートあるでしょ?それだけディスプレイにして~」

「はあい☆」


 ああ。ああ…なんだか……すごく疲れた…。

私、なにやってんのかしら?


 洋服が好きで始めたショップ店員の仕事だったけれど、入社七年目にしてそろそろ鈍い疲れを感じ始めていた。同期は結婚して退社したり、本部でバイヤーになったりしている。


そして私は、入社した時と同じ店舗で今も販売員を続けている。

入社当時は、自分の見立てた洋服をお客様に買っていただくことに喜びとやりがいを感じていた。ノルマがこなせなかったり、同期に差をつけられたりして悔しい思いをしたこともあった。

それが今では…喜びも悔しさも摩耗して、淡々と日々の仕事をこなしているだけ。


「やめ…ちゃおっかな…」


 思わずこぼれた呟きを耳ざとく拾った店長が、いやらしいにやにや笑いを浮かべて言った。

「なになに佐藤さん、結婚でもするわけ?ま、やる気ないひとにずるずる働いてもらうよりは、やる気のある新人に頑張ってもらったほうが店としても嬉しいけどね?あっ、これモラハラになっちゃう?それともセクハラかあ!?あはは、いまのナシ!カットしといてねっ?」


 私は店長を無視して、POS画面をにらみつける。

画面が霞んで見えるのは、最近気になり始めたドライアイのせいかしら…?


だれきったOL生活の気晴らしにと応募したアイドル活動も、私の疲れを癒してはくれなかった。それどころか疲れを増幅させた気がする。


なにかと言えばミーティングと称した、ろくに実入りのない話し合いに参加させられ、貴重な休みを潰される。休日に一人でバーや個室のある居酒屋をはしごして一人酒を楽しむ。それが唯一のストレス解消だったのに、最近はそれすらできなくなってしまった。


 サービス残業と連勤という激務で疲れ切っていた私は、アイドル活動をほとんど放棄していた。それでも一応たまにはミーティングにも行ったし、ライブにも出てやった。


…その結果は推して知るべし……ま、失敗したわよね。普通に。

だいたい最初から無理があったのよ。忙しいOLとアイドルのかけもちなんて…。


入社七年にもなるのに、新人と五万しか給料かわらないからお小遣い稼ぎくらいの気持ちで参加した。月々の洋服代のタシにでもなればって、ほんとそのくらいの気持ちで…。


 だけど、集まってきた人たちは意外なほど頑張っていて驚いた。

メンバーの春花なんて、ライブのあとずっと悔しがって泣いていたし…。あの子、ドンくさいし天然っぽいから苦手だったけど、アイドル活動に関しては私なんかよりずっと真剣だったのよね。何回か誘われた合同練習、断っちゃって悪いことしたかしら…。

 あの生意気な絢って子も、文句言ったり毒吐いたりしてたけど、歌とダンスは完ぺきに覚えてきてた。


…結局、私は何をやっても一生懸命になれないのかもしれない。私は…――



***


「……――だったんすよっ!それで…って、あの?聞いてます?」

「あ…ごめんなさい。なんだったかしら?」

「やっぱ聞いてなかったかあ~。遠回しに俺、フラれちゃってます?」

 私ははっとして顔を上げた。目の前に座っている若い男が大げさに頭を抱えた。

「ばっか、佐藤さん困ってんだろぉ~。つーか、お前の話がつまんなすぎなんだよ!竹花!」

「えっ?マジで?結構このネタ自信あったんだけどなあ。俺のテッパンなのに…」


 接客で鍛えぬいた作り笑顔を貼りつけたまま、私は手元にあったモスコミュールを一気に飲み下した。カラリ、と丸くなった氷が音をたてる。


 はあ。やっぱ合コンなんて来るんじゃなかった


ライブから数日後に行った合コンは、気が抜けたサイダーみたいに味気なかった。

ちなみに今日のメンバーは全員私より年下だった。


幹事の女…引き立て役として私を呼んだんなら絶対許さない…!…

まあ、メンツのルックスからして、それはないと思うけどね。


 それにしても、さっきから妙に絡んでくるこの竹花くんって男の子…悪くはないけど、ちょっと軽すぎってかんじ。私はジャニーズ系より渋い大人の男が好きなのよ。チャラチャラしたのに興味はないわ。


「あっ、佐藤さんて音楽どんなの聴くんすか!?俺は最近ABC58にハマってて!マリリ様推しっす!」

 デカい声で聞いてくる竹花くんにうんざりしながら、「最近の音楽ってよくわからなくて」と適当な答えを返しておく。


ABC58…。

最初のミーティングの時に、熊みたいなおっさんが言ってたわね。フルーツ王国をABC58と肩を並べるアイドルに…とかなんとかって。


「はいはい。無理無理」

「えっ?なんすか、佐藤さん?」


 聞き返す竹花くんを無視して、もちもちチーズというおつまみを口に放り込む。冷めきったチーズがネチョっと口の中に張りついて、気持ちが悪かった。


「ああ、そういえば富士子ちゃんってご当地アイドル活動やってるんだよお。みんな知らなかったでしょぉ~?」

「ぅぐっ!?」


 私の右隣りに座っていた女が発した言葉に、私は喉を詰まらせかけた。

慌てて隣の女のヨーグルトカクテルを奪い取って、詰まったもちもちチーズを流し込んだ。ダダ甘い味が口いっぱいに広がって、私は顔をゆがめる。飲み物を取られた左隣りの女は、そんな私に負けないほどの渋面を浮かべてこちらをにらんでいる。


「ちょっと…何言って…」

「フルーツ王国ってグループでね~。篠井商店街がプロデュースしてるんだよぉ。こないだ篠井どんぴしゃでライブもやったんだってえ~」

「ええっ!?マジっすか!?」


 この女…何考えてんのよ!なんで今それを話題にしなきゃいけないのよ!


「すごいですよねえ~。今のアイドルって十代の子ばっかりじゃないですかぁ~?そんななかで頑張ってる富士子さんえらぁ~い」


 右隣の女は勝ち誇ったような顔で私を見た。 

こいつ…私のことこき下ろして、自分は若くて可愛いアピールしようとしてるってわけ!?コスい真似してくれるじゃない…!

てか、富士子って呼ぶな!!!


 腹が立ったが、今日は疲れすぎて抵抗する気も失せていた。

好きにすればいいんじゃない。どうせ今日のメンツ微妙だったし。もうここは引き上げて、一人で河岸かえて飲みなおそうかしら…。


「ねえ、私もう帰――」

「すごいじゃないですか!!」


 帰ろうとした私より先に立ち上がったのは、あの竹花くんだった。


「佐藤さん!アイドルなんすか!!マジすげえ!!」

「い…え、あのね…アイドルって言ってもABC58みたいなのじゃなくて…」


 ハイテンションで迫ってくる竹花くんから、思わず目をそむけてしまった。

右隣の女は竹花くんのリアクションが気に食わなかったのか、むすっと黙り込んでいる。

「その歳でアイドルなんてやってんすかあ!?ありえね~。イテ~」みたいな反応を期待してたんだろうけど。当てが外れて残念だったわね。


しかし目をキラキラさせて食いついてくる竹花くんを、どうあしらったらいいのかわからない…。正直、フルーツ王国の話なんかしたくないし。


「しょぼい町おこしの企画なのよ。それに、そのうち立ち消えになっちゃうかも…」

「ええっ!?なんでっすか!?俺、見てみたいっす!佐藤さん、綺麗だからステージ映えしそうですよねっ!」

「あは、うまいねえ…。こんなおばさんおだててどうすんの…。それに私、あんまやる気なくなっちゃって。やめちゃおっかななんて考えてたりして…」


 私にしては珍しい自虐的な言葉に、両隣の女どもが「うんうん」と頷いている。

もうこいつらと合コンなんか絶対にしない!そう強く誓いつつ、ふと竹花くんに目をやると彼は真剣な目で私を見つめていた。


「な…なに?」

「俺、佐藤さんがステージに出てるとこ見たいです」

「はあっ?」 


 真面目な顔して何を言い出すのよ、この子は…。新手の合コンマニュアルかしら?

 そんなの見てどうすんのよ。あんなやる気のないステージなんか…。それにあの様子じゃ次のイベント、決まるかわかんないし…。


「そんなの見たってしょうがないわよ…。あのねえ、きみ合コン初めて?張り切るのもいいけど、相手褒めてればいいってもんじゃ――」

「本気で言ってるんすよ!!」


 配膳していた店員が、竹花くんの声に驚いて器を取り落した。陶器が砕ける音と、「すみませんっ」という店員の声がどこか遠い場所から聞こえてくるような気がした。


 この子、わけわかんない。なんでそんなこと言うのよ…!

私は何も頑張れない…!もう全部やめちゃいたいって思ってたのに…!!


「やめないでください」

 私の心の中を見透かしたように、竹花君は静かにそう言った。


「俺、必ず次のステージ絶対見に行きます。会社にアイドル好きなやつ結構いるんで、そいつらも連れてきます。だから…やめるなんて言わないでください」

「……」

 なによ。ほんと、意味わかんない。


 どうせ下心満載なんでしょ?お世辞並べ立てれば、アラサ―女なんか簡単に落ちる、とか書いてあるマニュアル読んできたんでしょ?

 なによ…なんなのよ!

 …そんなこと、真剣な顔して言われたら……――


「……がっかりしたから慰謝料寄こせなんて言ってきたって、ビタ一文払わないから」

「あははっ。なんすかそれっ」

「おい、竹花!お前ばっかしカッコつけてんじゃねえ!あ、佐藤さん!俺も!!俺も行きますからっ!!プラチナシート予約しといてくださいっ!!」

「ないわよ!そんなの!!」


 この後、他の女達に睨まれながら男子メンバー全員にサインを書いた。

それはもちろん、フルキンメンバーたちには内緒。一番やる気ない私が、一番アイドルぶってるって思われるのもシャクだし。


 私は頬を紅潮させながら笑う竹花くんを見つめた。


その姿は…何故か新人の頃に初めて接客したお客様の笑顔を思い出させた。


「お待たせしました!グレフルサワーになります!!」


 運ばれてきたグラスを取って一気に飲み干す。

新鮮な気持ちが私のなかにしゅわっとよみがえった。


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