075 選民思想の被害者
なぜかアンナも部屋まで着いてきた。
「さっきは突然泣き出してごめんなさい。かーさんも言ったけど、うちのご飯をここまで美味しいって食べてくれるお客さんが居なくって、いきなりガーンって頭を叩かれた様な気がして涙が出ちゃった。」
いきなり泣き出した戸惑いとお詫びを言いたかったみたいだ。
女将さんの話から察するに、横暴な冒険者が居る事で宿が敬遠されているのだろう。今日の様に門の外まで出てきて、町の事を知らない冒険者に狙いを絞って宣伝しているのだろう。商人はきっと情報を持っている。代官お抱えの冒険者と下手な争いはしたくないだろうし、冒険者ギルドも依頼以外の事には口を出せない。
本来なら例え活動してないとはいえ、登録されている冒険者の悪行なら指導をするのが筋だろう。しかし、相手が代官お抱えの冒険者と来れば、口を閉ざして見ない振りをするのが大人の対応と言う奴だろうか。
「でもね、町の人達は色々良くしてくれるんだよ。アブさんもそうだし、食肉屋さんや八百屋さんも売り物にならない部位って、相場の半額まで値下げしてくれるんだ。」
宿の経営が厳しいのは町の商工会は知っているのだろう。ただし、表立って手は出せない。しかし、同じ町の商工会に所属している宿屋が理由もなく苦しめられているのならば、皆で協力して助け合っているのだろう。
「宿屋としてまともじゃないのは分かってるんだ。でもあいつ等は金払いだけはいいんだ。そのせいで宿を潰す理由も無いからこの地獄から抜け出せないんだ。」
宿屋ではなく、管理人いや、ハウスメイドな状態なのだろう。少しでも健全な宿屋に戻したいって願いがあるから、彼らが留守のときは門の外で呼び込みをしているのだろう。
「そういえば、アンナちゃんのお父さんは?」
サヤーニャの発言で気がついたが、言われてみれば確かに見ていない。この宿を二人でやりくりしているのが当たり前に思えてしまった。
「父さんは、ここには居ないんだ。」
ため息をつき、軽い口調で続けた。
「あの人たちが暴れるようになってしばらくしてから、父さんは代官様の所に陳情に行ったらしいんだ。私は小さかったし記憶が無いんだけどね。ある日突然父さんが帰ってこなくなったって事だけは今でも覚えているよ。いったいどこに居るもんやら。」
「そう、辛い事を思い出させちゃってごめんなさいね。」
さすがに突っ込みすぎたとサヤーニャも謝罪をする。
「代官様を次の代に変わったら、あの人たちも改心してくれるって母さんは言ってるんだ。その時に父さんもきっと帰ってくるって。ただ、今年も代官様の異動が無かっただけだよ。」
そう嘯く声は振るえ、その瞳からは光る筋が流れ落ちていた。
「ごめんね。こんな重たい話を急にされても困るよね。ただ、良かったらで良いんだけどこれからも猫の歩廊亭を利用して貰えたらそれだけでいいんだ。」
そういい残し、アンナは逃げるように部屋から出て行った。
残された俺達は互いの顔を見ていた。今の状態で俺達にできることは何も無い。宿の経営が立ち行かなくなっている訳でもなければ、定宿にしてる冒険者が宿に対して狼藉を働いているわけでもない。
代官が宿屋の主人をどこかに連れ去っただけでは、冒険者に何をしても無駄なのだ。
代官といえば領地を持たない男爵家の次男や本家筋から離れているおっさんが行う仕事である。貴族は一般市民を守るものだ。決して一般市民を苦しめる仕事ではない
冷静に考えるなら、陳情に来ただけの一般市民を拘束ないし監禁するようなことはしないだろう。屋敷内にいるなら、嫌でも噂は立つものだ。しかしそのような噂は立っていない様だ。ならば何らかの伝でどこかに追いやった可能性が否定できない。たとえば炭鉱とか・・・。
そういえば炭鉱夫仲間に、発破の扱いが下手なおっさんがいたけど、確か昔は宿屋で働いていたってって言ってたな。確か俺より後に入ってきて、安い給料を工面しては何か新しい料理を作って食わせてくれたっけ。
「金を貯めなくていいのか?」って聞いたら「無実の罪だからそんな必要が無い」って口癖の変わった猫族のおっさんだった。
色々と符号があっているので、女将さんに確認する必要があるな。
目標は主人の救出と代官の是正。それをする方法を俺は持っている。サヤーニャと打ち合わせをして今後の方針を決めた。
自分を偉いと思ってる人は、周りを偉くないって思ってるのよね。
端から見ると滑稽でしかないけど、被害者は冗談じゃない苦しみなのです。




