074 タダムの過去
『女の子が泣きながら胸に飛び込む』というシチュエーションを想像すらしたことが無かった俺は、どう動いていいか分からず狼狽していた。
肩を抱いたほうがいいのかと思い、肩をつかもうと手を持っていくと「紳士としてこの行動はどうなのか」と己を自制する。すると今度は「泣いてる女性を放置するとは貴族のすることなのか」と自問自答を繰り返す。
そんな俺の様子を笑いながら見ている酔っ払いが助け舟を出してくれた。
「アンナちゃん、こっちへいらっしゃい。淑女が始めて会ったその日に殿方の胸で泣くものじゃなくてよ。」
アンナの顔が上がりサヤーニャと目配せすると、サヤーニャの手招きを受け入れた。
しばらくしてアンナが泣き止んだ。泣き止むまでちょっと良い時間が経過し、女将さんがお詫びにと新しい葡萄酒を持ってきてくれた。
「もう大丈夫?」
器用にもアンナを抱きしめながら、グラスに注いだお詫びの品を飲み進めている。
「うん、ごめんね。」
ようやく落ち着いたのか、耳まで真っ赤にして恥じらいながらか細く答えた。
「いいのよ。女性に飢えてるダーシャ君にはちょっと刺激が強かったかも知れないけど、役得として受け止めてくれるわ。」
ゴホ!ゴホ!ゴホ! 飲んでた葡萄酒が気管に襲撃をかけた。一時的な呼吸困難に陥り、危うく椅子から転げ落ちそうになった。
その様子を見ていた3人はワッハッハッと笑い、アンナから流れ出た悲しみの涙は笑いの涙に変化していた。
「それで、何があったか話して貰えるわね?」
一息ついて、サヤーニャから状況説明をアンナに求めた。
「私から説明しますね。」
女将さんがアンナを背中から抱きしめながら、ポツリポツリと語り始めた。
「娘が泣いたのは、どこにも持って行きようの無い感情が爆発したからだと思います。」
アンナの頭を何度もなでながら、悪くないんだよと態度で表しながら。
「猫の歩廊亭に普通のお客さんが泊まら無くなって、ずいぶんと経っています。それこそ娘が物心つく頃にはもうこんな状態でした。なんで、美味しいって食べてくれたお客さんを見たのは今日がはじめてですよ。だから、アンナは嬉しくて感極まったんだとおもいます。」
つらい話をするのだろうと、サヤーニャが隣のテーブルからコップを失敬すると、俺は葡萄酒を注いで女将に渡した。もちろんアンナにも渡している。
「最初は小心者の冒険者だったんです。宿泊費に事欠くことはあったけど、次の仕事が終わって、依頼代が入ったらすぐに支払い飛んできたもんです。礼儀も正しかったよ。他の冒険者の模範になって活動をしていたよ。今じゃそれを知ってるのは、ギルドマスターと受付嬢くらいじゃないかな。なぜなら、ある日突然あいつらは一変しちまったんだよ。」
グラスを傾け葡萄酒をまるで自分の血の様に飲み干すとさらに続けた。
「ちょうどこの町に代官が着たのが8年。その代官が何件かの依頼をギルドに出し、それをこなして行く。その回数が増えていくうちに、あいつらは代官のお抱えになったんだよ。そして、5年前のあの日も何かの仕事を請けたんだと思うよ。全員がこの食堂に集まって打ち合わせをしていたよ。酷く難航した話し合いだったよ。難しい仕事を請けたんだと思ってその日は朝まで明かりが持つようにって、ランプを貸し出した記憶があるよ。」
隅っこのテーブルには今でもランプが残っている。聞き手の視線が戻るとさらに話を続けた。
「2週間ほど留守にすると言い残して出ていった。戻ってきたときに死に掛けの男を連れて戻ってきたよ。戻ってきた日からあいつらの行動がおかしくなったんだよ。死にかけの男はそれがタダムさんだよ。タダムさんは元気になると、命のお礼にとあいつらに恩を感じてね、あの集団では下っ端な扱いを受けているが、本当はあの中で一番ランクも高いんだよ。だけどね、横暴になったあいつらは命を助けたんだから当然とばかりにこき使ってるよ。」
空になったグラスに葡萄酒を注ぐと、グイッと飲み干した。
「あまりにも酷いもんだから、タダムさんに逃げるように打診してみたんだよ。すると『いつか彼らを改心させます。それが命を助けてくれた彼らに対する恩返しです』って。冒険者ってのはこうあるべきだねって感じたよ。タダムさん達の話を聞きたかったんだろ。これで全部だよ。」
そういい残すと、空いたお皿をまとめて厨房の中に帰っていった。サヤーニャとしばらく見詰め合うと互いに頷き、部屋へと帰ることにした。




