129 刻印の歴史
お待たせしました orz
グラスに満たされた液体を喉に流しながら、弟子に教えるべき事を考えていた。
勢いに負けて引き受けたからといって、やる気が出るかは別問題だ。しかし、引き受けた以上は最低限の結果を出す必要がある。さっき言った通り、ごく最初のさわりの部分に限定されるのは間違いない。その中に刻印の歴史を含めるかどうかは話が別になってくる。
刻印士の弟子になる方法は大きく分けて二つ有る。一つは、孤児院や学園を巡って刻印士が自分で才能のある子供を探し養子や弟子として引き取る。もう一つは、刻印士になりたい若者が学園や、各街など主催される学術大会で優秀な成績を修め、賞品としてもらえる紹介状を持って刻印士の扉を叩くかだ。(大体がメインの賞品が肉や穀物半年分で、紹介状は副賞扱いになることが多い)
前者は師匠となる刻印士が直接探し出すので、最初から本弟子として知識を詰め込まれることになる。対して後者は、刻印士に憧れた若者や悪用することを前提に近づいてくる者が混ざり合ってやってくる。その為、一定の期間は見習い弟子として師匠から観察される。見習い中は雑用が主な仕事になり、人によっては家政婦と同じように扱う刻印士も多い。その期間も半年前後という短期ではなく、5年以内師匠の眼に適えば本弟子として扱われ、それ以外はお役御免とばかりにお払い箱になる。
刻印士が最初に教えるのは刻印の歴史だ。これは刻印士協会でも必ず教える様に指導している。しかしその性質上、本弟子にしか教えることしか出来ない。その為には本当に刻印士になる覚悟があるかを見極める必要がある。5年という期間も、お払い箱になった人達が、そこから新しい仕事を探さなくては生活が出来ないので、これまた協会に定められていたりする。
ソコまでして守らなくてはいけない秘密というのは、俺が考える分では秘密にする必要が無いような内容だ。しかしここには色々な利権が絡み合っている。
そもそも刻印とは魔方陣から進化した技術だ。魔方陣は紙・布などに鉛筆や万年筆を始めとした筆記具で書くのが主体だった。しかし、大型の魔方陣は紙や布ではなく地面に棒で描く事の方が多かった。さらに魔物の血など命を捧げるほうが発動する魔術の効果が高かった。しかしそれをインクに混ぜると著しい効果上昇が認められず、地面に描いた図形に沿って注いだ方が効果が高いという実証データが認められた。
この技術を元に地面ではなく木片に魔方陣をナイフで刻み、魔物の生き血を注ぐ事で、持ち運びが出来る上に効率の良い魔方陣が生まれた。それが刻印の始まりだ。
現在では魔物の血よりも魔力保有量の高い『魔素水』を使うことが当たり前になっている。刻印の成り立ちを知らない者達は、まさか魔物の血で描く事を夢にも考えていないだろう。それを一般の人間に伝えることを禁止している。
刻印士は本弟子になる前に師弟の刻印をその体に刻まれる。その効果の中に『刻印士以外にこの事実を伝えてはいけない。故意にもらした場合、その瞬間に半径100mを対象に爆発が起こる』という物が組み込まれている。
ここまで厳重に秘密保持されている理由は簡単だ。貴族の利権の為だ。『月の滴』という宝石を集め利益を出す。当初は相棒の眷属達を突きに戻す為だったのかもしれない。しかし今ではその理由は伝えられておらず、利権のためだけに動いていると断言してしまう。その顕著な例が元キゼルの代官だろう。
彼は男爵家の跡取りでは無かった為月の相棒達の事を伝承してもらえなかった。ゆえに金稼ぎの道具として、鉱山から輸送される馬車を強奪して自分の財産にしていた。それも今回の騒動で全て父上に押収されたのは間違いない。
これらを踏まえた上で何処まで教えるかは、弟子を見極めてからで大丈夫だろう。はじめての家庭教師の事をもっと理解するまでは問題はお預けでよさそうだ。
前述したとおり、刻印士が正式に弟子として認める場合は、刻印の成り立ちから全て仕込まなくてはいけない。つまり、刻印士にとって当たり前の昔話を一般人に伝えないと言う誓約をしてもらう必要がある。
そう、全ての刻印士の体には、刻印士の決意が焼き付けられている。そして、犯罪を犯すなどして刻印士の資格を剥奪されると、その紋章の上から剥奪の印を焼き付けられる。
仮に優秀な刻印士で、やっかみにより他人に陥れられたとしても漏れなく剥奪される。この焼印をつけているものは、何故か全ての刻印が失敗作になる呪いが込められている。この呪いから開放される為には、高いお金を出して月の滴の光を浴びる必要がある。俺も炭鉱奴隷中は剥奪が焼き付けられていたし、炭鉱に居た目的は自力で月の滴を掘り出し、こののろいから開放される為である。今現在こうしてここに居るのは、たまたま恵まれた立場にいたからに過ぎない。
話を戻そう。刻印士の弟子が問題を起こした場合、その責任は師匠である刻印士が取ることになる。この業界で正式に師弟関係が認められるのは、弟子に半欠け刻印士を焼きつけた本弟子になった瞬間からである。その弟子がひとり立ちできると認めると残り半分を焼き付け一人前として認められる。一人前になると、師匠からの責任は消える。
半欠け刻印士をつけた弟子の責任は全て師匠がとる代わりに『弟子は一人前になるまでは師匠と離れる事はできない』という誓約が課せられる。師匠が旅に出ると言えば、文句を言わずに付いてこなくてはならないのだ。
この責任を取るというのはなかなか大変だ。弟子がうっかり刻印の歴史等を誰かに伝えた場合、師匠の刻印も一緒に爆発する。弟子を取るのも命がけだ。
逆を言えば、半欠け刻印士を焼き付けるまでは、小間使いの弟子見習いと言うことになる。其れに対しては一切の拘束力がない。せめて、人として働いただけの対価を支払いましょうって位だ。その間に本弟子にしても良いかどうかを見極めて、本弟子になれば技術を教えるだけの話だ。
さて、この今日あったばかりの『弟子見習い』をしっかり見極めなきゃ大変なことになりそうだ。




