124 親の欲目
「利発なご子息ですね。」
「うん。僕には出来すぎた息子だよ。」
ダーシャの立ち去った部屋に残された2人は、目の前の紅茶を微笑みながら飲んでいた。白磁のカップに添えられたブルーべりージャムが紅茶と並ぶと、青・白・赤の綺麗なコントラストを見せる。
「本当に私なんかが家庭教師でいいのでしょうか? これまでずっと王国図書館で司書をしていたんですよ。」
不安そうな表情で尋ねる新米家庭教師。それもそのはず先日まで王国図書館で働いていたが、有力貴族に目をつけられ首になった経歴がある。その理由は彼女のプライベートな部分に係わる事だが他人に迷惑をかけたわけではない。むしろ、その他の追随を許さぬ知的好奇心が暴走した結果である。
しかし目の前の雇い主は微笑んだまま答えた。
「確かに職歴を見ればまったく関係ないと言われるかも知れない。しかし、貴女のプライベートでの経歴を見れば、実に様々な分野を独学で探求されている。この知識の全ては無理でしょうが、ダーシャに必要な分だけでも教えていただけると助かります。」
そういうと、テーブルの上に突っ伏すように頭を下げた。新米家庭教師はその行動に一瞬頭が真っ白になった。まさかこの一帯を治める領主が自分に頭を下げるなんて思っても見なかった。
「ダ、ダニイル卿。こ、困ります。頭を上げてください。」
意識を取り戻すと、頭を垂れたままの雇い主に慌てて姿勢を正してもらう。
「いやぁ、息子の恩師になる人です。僕が頭を下げるくらい安いものですよ。」
そう言いハッハッハと笑う。こんな開けっぴろげな性格だからこそ、領民の事を考えた統治が出来ているのだろう。実際に王都の民と比較して、領主の街の領民の方が活き活きとした顔をしている。
「それにしても、ダーシャ君が言ってた『魔素水』って、あの『命の水』の事ですよね? そんな高価な物を昔からお与えになっていたのですか?」
受け持つ生徒の金銭感覚等、一般常識の授業内容を考えると少し頭が痛くなる。『命の水』は中世の錬金術師が究極の目的として製作を目指した『賢者の石』のことである。当時完成できなかったが、今この時代に作成できるのは魔素のおかげである。故に『命の水』から『魔素水』へと呼び名が変わってしまった。
作り方は至ってシンプルだ。ガラス瓶に『月の滴』を一欠けら入れ、そこに蒸留水を流し込む。すると中にある『月の滴』が溶け出し粘土の高い液体へと変化する。この変化したものが『魔素水』である。
「ダーシャはあの年で、王国で指折りの刻印技師だよ。まぁ、成果物の発表が出来ていないから知る人ぞ知るって奴だけどね。親の欲目が有るかも知れないのは否定できないけどね。良かったら見せて貰うといいよ。何事も自分の目で見るのが一番信用できるからね。」
そう言いながら空になったカップを置く。後ろに控えていた執事は当然の様に紅茶のお代わりをカップに注ぐ。
「カイゼル、こちらのお嬢さんをダーシャの工房にご案内してもらえないだろうか。」
「はい。かしこまりました。」
主の言葉に即答すると、新米家庭教師を立つよう促し、ダーシャの工房に案内するのだった。




