119 永遠のアイドル
領主邸から工房まで徒歩で約15分、近すぎず遠すぎず、食後の運動に丁度良い距離だ。昔は相棒と一緒に走って通ったものだ。
途中にある商店街で声をかけられ、リンゴや干し肉をおすそ分けしてもらった。手ぶらで工房に行くのもどうかなと思っていたので、遠慮なくお土産にさせてもらおう。
手ぶらで出たはずなのに、工房に着く頃には木箱いっぱいに食べ物を運んでいた。この重量をもって歩くにはちょっと辛いものがあるが、鉱山に比べれば楽だと自分に言い聞かせていた。
トントン カンカン シャーシャー ギコギコ
工房の前に到着すると様々な音が外に漏れていた。当然親方の罵声も外まで響いてくる。
「ふざけてるのか! もっと右手はグッとして、左手はシャーって教えてるだろう。」
うん、その教わり方だと俺にはわからない。徒弟さん達も叩かれながら苦労して体に刻み込んでいるんだな。正直工房で徒弟をするのは、炭鉱で奴隷をするのと肉体労働的な意味では大差ない気がするな。
「おはようございます。親方いいですか?」
1秒前まで考えていたことをすっぱり忘れて、目的の物を依頼しよう。
「おぉ、ダーシャじゃねぇか。昨日来なかったのは二日酔いか? 駄目だぞ、ロシアの男はウォッカを3瓶あけてからが本番だぞ。さっそく呑むか?」
がっはっはと豪快に笑いながら入り口まで出てきた。さっきまで怒鳴られていた徒弟さんは、親方から解放されてほっとした顔をしている。早く彼が一人前になるように祈っておこう。そして、朝から酒を勧めないで欲しい。
親方の木工工房は、品質の確かさから日々依頼が耐えない。その上親方の面倒見が良いので徒弟になりたがる者が多く、そのほとんどを受け入れる為工房規模はこの街最大だ。反対に鍛冶屋の親父の工房は、基本的に人間嫌いな職人が多く集まっている所為で新弟子さんは滅多に来ない。新しい顔が増えたかと思っても、どこかで修行をしたがさらに上を目指したいと言うことでくる経験者ばかりだ、少数精鋭の職人集団といったところだろう。そして、この二つの工房は、実は同じ隣接している。なので、大型搬送魔法具を作るときは二つの建物を行ったりきたりしていた。
「ちょっと作ってもらいたいものがあるんだ。」
もってきた木箱を徒弟さんに渡し、目的の設計図を親方に渡す。
「ん? 何だこりゃ?」
設計図を上下逆さに回転させながら、変なことが描いていないか徹底的に疑う。でも残念ながらそれには何も仕掛けはない。
「母上からの課題なんだ。面倒だけど頼まれてくれるかい?」
「ナターシャ様のご依頼と有れば断れねえよ。」
腐っても領主婦人。この街のおっさん達の永遠のアイドルだ。おっさんのデレた顔は見れたものではない。
「おいお前ら、急ぎの仕事が入った。今の仕事なんてほっぽって、こっちの手伝いをしろ。」
いや、そこまで急ぎじゃないから。
「親方、この仕事は特急だから、さっきこそ1時間で仕上げろって言われたんですけど。」
さっき親方に怒鳴られていた徒弟さんがおそるおそる確認をとる。
「ばっかやろー そんなの1年くらい待たせろ。」
いや、親方? そっちのが本気で急ぎの仕事じゃないんですか? 俺、責任取れませんよ。
「それを頼んだのは八百屋のグリゴリだ。文句言ってきたら、ナターシャ様の仕事より優先しても良かったですか?って聞いてみやがれ。あいつはナターシャ様にベタ惚れだから、3年くらいは喜んで待つぞ。むしろ文句いったら商店街の店主共にその事を教えてやれ。この街で商売できなくなるぞ。」
がははと笑う親方の後ろで、この街の暗黒面を垣間見てしまった。店主達はみんな母上の虜か……。知らなくて良いことを改めて知り、1歩大人の階段を上った気がした。




