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第7話 消えゆく ちいさなころ



 ひとり残された屋上で、頭を冷やすこと一時間ちょっと。

 気がついたときには夕焼けがさよならと手をふって、かわりに気の早い白い月が夜をつれてこようとしていた。


「……かえ、ろ」


 振り返ることなく屋上を後にして。

 薄闇が包む階段を駆け下りた。




 予定よりだいぶ遅くなってしまったせいで薄闇は本格的な夜闇に姿を変えようとしている。

 それでも、なんとなく家に帰りたくなくて足は勝手に遠回りの道を選択してしまった。


 子どものころ。

 あたしがきっとまだ素直だったころ。


 こうやって何度も遠回りをして帰った。

 泰斗と一緒に。


 普段の道より貴重に思えた。

 なにもかもが。

 無法地帯の雑草も、知らない家の犬も、電柱も、石も、空も。

 遠回りして、家に帰る時間を遅らせて。

 怒られて、それでも泰斗と笑って次の日も手をつないで歩いた。


「あの頃は、もうすこし、可愛げがあったのに」


 泰斗に勝つとか勝たないとか。

 委員長とか優等生とか。

 そんな枠組みはなくて、あたしもひとりの女のコだった。

 いつから、こんなふうになってしまったんだろう。


 見上げた空。

 白い月は蜂蜜のような色に変わって、生ぬるい夜を甘く照らす。

 迷うことなく歩くあたしの目に入ったのは、子どもの頃よく遊んだ公園だった。


「あ、れ?」


 足を速めて近づけば、そこには金網と工事を知らせる看板があった。

 暗闇に慣れた目を細めてそこに書いてある内容を追えば、この公園にマンションが建つ、ということが読み取れた。


 遊具が少なくて、ただ広いだけのこの公園。

 木や茂みが多かったから、絶好の遊び場だった。

 泰斗はこの公園をものすごく気に入っていて、よくふたりで遊んだものだ。

 ヤツは遊びの天才で、次々と何か新しい遊びを仕入れてはいちばんにあたしに教えてくれた。


 足を前に踏み出せば、金網に当たって音が響いた。

 もう、昔のように入ることはできない。

 金網に指をかければ、その冷たい感触が胸をも冷やしていくようだった。


 こうやって、消えていく。

 思い出が、小さいころの素直なあたしが。

 あたしを誰よりも想ってくれた、彼が。


「やだ……」


 離れていってしまう。

 なくなってしまう。

 ずっとアタリマエではいられない。


 冷たい金網におでこを押し付けて。

 頭の中でめぐる彼の顔に、目を伏せた。


『俺に言えたんだから、言えるよ』


 屋上の、彼の言葉がよみがえる。

 あたしにも、言えるだろうか。

 素直になって、あのころみたいに。


 はなれてしまうのが怖いと。

 あたしに、ちゃんと言えるだろうか。


「――……い」


 目を伏せて、金網に寄りかかるあたしの耳に小さな声が聞こえた。

 顔を上げて、ゆっくりと前を見る。


 金網の向こう側。

 暗闇の中の人影。

 その声は。


「たい、と?」


 あたしが、いま想っていたひとのものだった。






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