第6話 屋上の王子様
そして文字通り。
空を見上げてうわのそら。
いつもびっしり書かれたノートも、今日は雪が降ったかのように真っ白だ。
「委員長、号令!」
カンペキだったはずの号令もタイミングを外してしまう始末。
気がついたら、本日の授業は終了していた。
長かったような、短かったような本日を終えて、机に突っ伏していれば頭上に影が差す。
顔を上げなくても、なんとなく分かっていた。
案の定その手はあたしの頭に触れて、髪を撫でる。
体温が上がるのが分かった。
突き放すと決めてこのざまだ。
「ゆい」
「……なに? 触んないでよ」
彼の前で弱ることは許されない。
緩みまくっている涙腺とおなかに力を入れて体を起こせば、予想以上の至近距離に彼の顔があって、心臓がのけぞった。
「だいじょうぶか?」
だいじょうぶじゃない。
アンタのせいで、すっかりおかしくなった。
あたしに愛想をつかしたなら、優しくなんてしないでよ。
早く、どこかあたしの知らない場所に行けばいいじゃない。
吐き出してしまいたい想いが体の中で渦を巻く。
渦は黒く大きくなって、上りつめて、はちきれんばかりだ。
「早く、帰ったら? あたし、委員会行かなきゃ」
彼の手をはじいた。
席を立って、カバンをつかんだ。
走りたい衝動をこらえて、それでも振り返らずに教室を出た。
――最悪。
「サイアク、あたし」
誰もいない廊下で、小さく涙の落ちる音がした。
委員会なんてはなからなかったし、このまま帰るにしてもあまりにも顔が悲惨だ。
ぼんやりとした歩みはいつの間にか階段を上っていて、気がついたときにはさびついたドアノブに手をかけていた。
鈍い軋んだ音の向こうには、傾いた太陽と寝そべる男子の姿。
引き返そうと思った時にはもう遅かった。
「いいんちょー?」
オレンジ色を背負った彼は、そのキレイな顔でにやっと笑った。
屋上は彼のテリトリーだ。
そんなことも忘れるくらいぼんやりとしてしまったらしい。
そのモデルなみの体形と顔で女子に絶大な人気を誇る彼は、あたしのクライスメイトで、しかも泰斗の友達だった。
涙でぐしゃぐしゃになったあたしを見て、彼は片手をひらひらと振ってあたしを呼び寄せた。
今さら引き返すわけにもいかずその手に従えば、今度は座るようにと指が地面を指した。
いったい、彼は何様なんだか。
ぺたりと座ったコンクリートはひんやりとしていて、泣きすぎて高ぶった熱を吸い取っていく。
彼は黙って、目を伏せていた。
長いまつげがその端整な顔をより際立たせていて、何だか腹が立った。
だから、だろうか。
「――あのね」
口が勝手に言葉を吐き出していたのは。
渦を巻いていた胸の黒いものが、つぎつぎと抜けていく。
彼は目をふせて、時折目を薄く開いて、とりとめもない話に耳を傾けてくれた。
話が終わることにはまた涙が出てきてしまって、ごまかすように鼻をすするあたしの顔を彼はソデでぬぐってくれた。
こういう彼だから、きっと女の子に人気があるんだろう。
涙をぬぐわれながら、そんなことを思っていた。
「いいんちょーは、たいちゃんに言うこと言ってないからそんなに苦しいんでしょ?」
「だって、そんなこといえないじゃない」
「なんで」
まっすぐ、彼があたしの目を見た。
どうやら、本当に疑問に思っているらしい。
二の句がつげずにいれば、彼がゆっくりと立ち上がった。
「俺に言えたんだから、言えるよ。それにたいちゃんは、いいんちょー命の男だから」
だから大丈夫、と後ろ向きに手を振ってくれた彼はゆっくり扉の向こうに歩いていく。
「どこ、いくの?」
取り残されたあたしが彼の背中にそう投げかけると。
閉じかけた扉の隙間から答えが返ってきた。
「俺は素直だから、会いたくなったら迎えにいくんだよ」
オレンジの空に、鈍い音が響き渡った。




