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第3話 不変的日常の終結



 心細いかと聞かれれば。

 それはあたしだってそうだと首を縦に振らざるを得ない。

 日が暮れるスピードが加速して、気がつけばあたりは暗くなっている。


 目が泳ぐのは、気のせいだ。

 隣が寒いと感じるのは気のせいだ。


 静か過ぎる帰り道が、きっとこんなにもあたしをセンチメンタルにさせているんだ。

 そうに、違いない。





 駆け足で帰宅すれば、すっかり息が上がっていた。

 それが無性に腹立たしくて、玄関の前で深呼吸を繰り返す。

 整った呼吸を確認して玄関のドアを開けば、ヤツのいったとおりエビチリのいいにおいがした。


「ただいま」

「あら、お帰り。泰斗くんといっしょじゃないの?」

「え? 先に帰ってきてるんじゃないの」


 エプロン姿の母が、ぬれた手を拭いながら顔を出す。

 その口から泰斗の名前が出て、一瞬戸惑った。


 いない?

 てっきり先に帰ったものだと思ってたのに。


「結依、あんた泰斗くんとケンカでもしたの? めずらしいじゃない、ひとりで帰ってくるなんて」

「してないわよ。今日だって、いつもどおり……」


 いつもどおりだった。

 アタリマエの日常だった。

 泰斗があたしを置いて帰るといった以外には。


「ばかねえ。とうとう愛想つかれたんじゃないの? あんたがいつまでたっても素直じゃないから」


 あきれたように、つぶやいた母の一言。

 突き刺さった、コトバの破片。


 愛想つかれた?

 そんなの、考えたこともなかった。


 素直じゃない?

 だって、それがあたしだもの。


 ただでさえ、ヤツには振り回されて迷惑していた。

 あたしという委員長気質を乱されて、頭にきていた。


 アイツにだけは負けない。

 そのプライドだって崩されて。

 被害者はあたしだと、そう思っていた。


 なのに。

 なんで、こんなに動揺しているんだろう。


「たっだいまー! あ、違った、こんばんみー」


 ぐちゃぐちゃと掻き乱される思考の渦を裂くドアを開ける音。

 立ち尽くすあたしの髪が揺れて、目の前の母の顔がほころんだ。


 後ろで聞こえたバカのバカみたいな声。

 苛立ちとなぜか安心がわいて起こる。


「泰斗くん、ごはんできてるわよ」


 あたしと話すときとは違う、可愛らしい声を発した母はそのまま居間に姿を消した。

 食事の支度をしに行ったのだろう。


「ゆい? 何で玄関に突っ立ってんだよ?」


 背後で靴を脱ぐ音がして。

 泰斗のいつもどおりの声がして。

 アタリマエのように名前を呼ばれた。

 その声に振り向くことも、返事をすることもできなかった。


 先に家に入った彼は、突っ立ったままのあたしに手を差し出す。


「ほら、メシにしよーぜ。俺、もう腹へってさあ」

「アンタ、今日何してたの。ずいぶん遅かったじゃない」


 自分で思ったより低い声が出た。

 差し出された手を無視して、正面の彼を見据える。


「ん、何か怒ってんの? トモダチと遊んでただけだぜ?」


 不思議そうな、彼の顔。

 けれど、差し出されていた手が一瞬震えたのを、あたしは見逃さなかった。


「……あ、そ。先行っててよ、手洗ってから行くから」


 平然なフリをした。

 だって、こんなのあたしらしくない。


 彼の足音が離れていって。

 胸に沈む重みに耐えかねて息をついた。

 なんで、こんな気持ちにならなきゃいけないんだろう。


 泰斗はきっと、うそをついた。

 あのバカ正直なアイツが、平気な顔をして。

 それが、なんでこんなに苦しいの。


 靴を脱ごうとして、体のバランスが崩れた。

 前に傾いて、あわてて体勢を戻す。


「なんで、あたしが、」


 こんなに動揺しなくちゃいけないの。

 なのに、雑巾を絞られるみたいに胸がいたい。


 アタリマエがアタリマエでなくなる。

 そんなのアタリマエのことだ。

 ずっと同じでなんていられない。


「ゆいー! まだかよ」


 居間から聞こえた泰斗の声。

 これが聞きけなくなる時が、いつか来るのだろうか。





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