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8、駅


そろそろ、大きな区切りになります

 000


 学校の帰り道。

 僕と相戸夕は同じ駅に歩み出した。もう夕日が落ちようとする中。赤い大気が僕たちの影を身長の三倍に伸ばした。


 駅は地下に埋まっていて、電車が通るたびに入口から通路にかけて風が駆け巡る。

 行きと帰りの電車が交互に走る。

 狭い出入り口だから、風は強いし早朝の混雑を招く。

 朝であれば社会人に交じり生徒達も階段を上がり、風が吹き抜けるが込んでいるため、階段を上る女子生徒達はいつも後ろに手を回しているのだった。

 一歩でもその駅に入るのならば、否応なしに、その雰囲気から感ずるところが僕にはある。

 嫉妬に似ている。

 古ぼけた白い光源が通路の左右で揺れていて仄暗い。小汚く、独特の薄い悪臭が漂う陰湿な構内。

 床のタイルは元々若草色であったのだろうが、煙草の吸殻やガムのカスが両サイドに点在していた。

 最早何の汚れかは分からない黒ずみが引き延びて、床全体に疲労感が覆っている。

 天井もよろしくない、蜘蛛の巣は見られないが、ほこりの堆積と人間の吐いた息がびっしりと、こびりついている。

 曲がり角付近には露骨な監視用のカメラがじっとりと過ぎ行く人間を観ている。

 だから、僕はそっと彼女を、そっと見た。

 彼女は僕の前を歩こうとはしない。

 彼女の黒髪を悪臭が犯すのかと思うと少なからず思うところがあった。

 この地下鉄はかなり深い所に在る。

 だから空気も滞る。だから、この暗愚な悪臭の正体は人間の匂いなのだ。

 改札はそれなりに多い僕はいつもその中でも左端のものを使う、右端からは電車から下車した者が集まるからだ。

 僕たちは改札を抜け、電車の来るホームまでさらに階段を下りる。

 改札からは一本道の地下鉄。

 太い一本のコンクリートのホーム左右から電車が着て、僕は行きと帰りで進行方向が逆の電車に乗る。

 中央には安っぽいプラスチックのベンチと、掲示板が幾つかあり行きと帰りを分けている。

 雨でもないのに床のある部分は濡れていた。僕はそれをしばしの間だけ見つめていた。

 ふと、相戸夕。

「ねえ、この駅って言っては何だけど。臭いわよね。貴方と同じ様な臭いがするわ」

 電光掲示板が僕らの乗る車両が近づきつつある事を告げている。

「え?」

 意識が彼女の方に向いた。

 その時、僕達が乗る方向とは逆の電車が警笛を鳴らしながら到着した。

 轟音が駆け抜ける間、何も聞こえない。

 僕は薄暗い蛍光灯を見て一度だけ鼻をすすった。

「何でも無いわ」

「ごめんよ、最近鼻炎気味で」

 向こう側の電車が止まると、彼女は僕を見て笑った。

 ベルの音、雑踏の音、ドアの閉まる音、臭い。

 僕は彼女、相戸夕を見つめた。

 電車が出る、そして僕たちの乗る電車が二つの明かりをキラキラと輝かせながら、警笛と共に近づいてきた。

 相戸夕はそのまま、電車の来る立ち位置までゆっくりと足を進める。

 僕は目線を電車から正面に戻した……。

「え? オイ!」と、僕。

「あれ、やばいだろ」

 僕は何もいない空間に話しかける。

 灰色の構内が狭く感じた。

 相戸夕はホームぎりぎりの場所からさらに一歩を踏み出そうとしている。

 彼女はゆっくりとそのまま止まることなく、線路に身を投げ出そうとする。

 落ちる!

 僕は飛び出していた。

「夕!」

 かなりの大声を張り上げる。

 夕は応じない。

 周りの全ての動きがスローモーションになる。ヤバイ、“行動シロ”と言う脳の警告の高速伝達に反して、体の反応が酷く鈍い。

 僕は右腕を精一杯伸ばした。

 僕は地面を容赦なく蹴り飛ばした。

 僕は目をいっぱいに見開き彼女を見失わないようにした。

 僕と夕の距離は、およそ二メートル。不意打ちで無ければ手を伸ばして届くはずの距離であった。

 夕の体が傾き、髪がふわりと踊り、転落の初期動作が始まる。

 ダメだ。間に合わない。脳がフル回転する数センチ足りない事を予知させる。

 僕の意識が相戸夕と狂気でいっぱいになる。

 ああ、僕は、彼女を……。

 頭が真っ白になる。

 電車が通り過ぎる。

 目の前が真っ暗になった。

 ふとギシっと言う軋む音がした。

 そこには……。

 ――『左手』には相戸夕の左腕があった。

 彼女を抱き寄せて、その場に情けなく座り込んでいる僕と夕。

 僕はたしかに右手で彼女を引き戻そうとしていた、けれども彼女は僕の左手に受け止めていた。

 伸びきったはずの左手はすでに折りたたまれており、右手を添えて、両手で僕は相戸夕を引き寄せ抱きしめた。

「う、うう」

 声が詰まった。

 電車は完全に通過した。

 両腕で確かめる。

 これはここにいる。

「どうしたの? 痛いわ」

 初めてあった、親戚との開口を思わせるあまりにも無垢で他人行儀な幼い少女の一言。

 僕と彼女は確かに他人だけれども、はじめから相戸夕は僕の事を他人行儀には扱わず、よくいたずらにからかう兄弟にもにた雰囲気で話しかけてきた彼女からこんな声を聞くことになるとは思わなかった。

 微睡んでいる彼女は僕を見上げる形になっていた。

「と言うか、何処触ってん……」

 相戸夕は言い淀む。僕に横胸を触られているにもかかわらず、平手打ち様に準備していた手を止めた。

 羞恥心のせいだろうか、彼女は少しだけ頬をあからめて、それでも表情自体は変化せず、無表情に僕をみて言う。

「私、こうなる直前の記憶が無いわ」

 目と目が合った。超至近距離で、頬を赤くした少女の顔は可愛らしかった。

 彼女の体は温かく、柔らかく、何にも増して良い匂いがした。

「よかった」

 そのまま僕は彼女を抱上げようとしたが、ここで僕は彼女の頭突きを顎に食らい。彼女は僕の手を離れた。

「調子に乗るな」

 そこの少女の面影は……多分。

「…………ごめんなさい」

 すこしばかり行き過ぎた電車がホームに戻り。お詫びのアナウンスを入れながら扉を開いた。

 僕が下ってきた階段のほうを見ると、「何をしているの?」と相戸が僕を促した。

 電車に足を踏み入れる。

 車内も快適とは言えない、混みようは座れるか座れないか位で、何駅か通過すると地上に出る、そうなると、この車内の人間臭さも緩和されて気にならなくなるのだ。

 彼女と別れて、僕は家についた。

 部屋に入ると天使がいた。

 何も言わない天使。

 緑色の天使。

 いつもと同じ僕の「ただいま」にも返答はない。本当にこれはいつものことだ。

 話を続ける。今日あったことを。

 まだ彼女が話す頃、口を酸っぱくして言われた事。『関わるな』といった彼女との約束をよもやこんな短時間で破るとは思わなかった。

 彼女が教えてくれたことは、珍事はどこにでもあるということだ。

 身近すぎるから気付けないし、相手だって馬鹿じゃないから気付かれないようにしている。でも、もし一度でも知覚されてしまったら、いや、知覚してしまったら。

 『貴方』は死んでいる。

 今まで生きていた世界から隔離される。二度とそこには戻れない。

 それでもいいと思う人もいるかも知れないが、実際それはかなりキツイ。

 人と違う道は個人の実力勝負になるし、求められる能力の規模は莫大だし、種類も異端で歪なことが多い。

 相手に感知されるということ以上に、自分が知ってしまうことの方が手に負えない。

 どうしようもない、詰みの状態。

 だからもしも少しでも、今よりも悪化しないようにするのなら、留まりたいのなら。

 知らないふりをして、無視をするしかない。

 決してそれで良いというわけではない。上手な対処法など無い。

 底なし沼に嵌って暴れるとますます沈むのと同じだ。動かなければ沈むペースを遅く出来る。 けれども確実に嵌っていく。

 そんな時は絶対に誰かの助けが必要だ。

 独りではどうにもならないから、先駆者に助けてもらう。信用できる相手ならばどんな時も一緒に組みたいと思う。

 だから、彼女は『関わるな』と、いってくれたのだ。

「天使、聞いてくれ」

 そんなことを言わなくても、彼女は一方的に聞いてはくれる。

 彼女はいつも僕の話を聞いてくれる。

 下を見ていた天使は顎を上げ僕の目を見た。緑色の瞳が綺麗だった。

 とろんとした美しい、ろうかんを思わせるような翡翠の瞳は溶けて今にも零れ落ちそうだった。

 助け舟を自分自身で壊しておきながら、にもかかわらず……また助けてくれと頼む。

 ……そのための進言である。

 天使は一度だけ首をかしげて同意をした。

 話す内容は今日の帰り道。相戸夕の事だった。彼女は気づかなかったのかもしれないが、彼女をだきよせたあの時、階段の上から一人、階段を降りずにいる人間がいた。僕達と同じ制服脚部だけが見えていた。顔までは確認できなかったものの単調な動きをするあの環境の中で、変わらずに階段で待ち続けたあの女の行動は少し引っかかる。

 自分から首を突っ込む、ごめんね。

 天使は何も言わなかったが、心なし寂しそうな顔をしていた。

「……僕は、いくよ」


 







続きます、続きを読んでくれると嬉しいです。

Спасибо!

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