3、帰宅の時
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不思議に思う方も居られるだろうが、今現在。海東啓の学ランの胸ポケットには、小汚いキノコが刺さっている。
新品同様に仕立て上げられていた制服には似合わない茶色くなっているキノコ。今回はこのキノコの事についてしばしば、話をさせて頂きたい。
つい先ほど、五分も経っていない時、僕、滋野新剛の周りには僕を含めた五人男子生徒たちと共に帰路についていた、その中にいる一人の友人である海東啓。事の発端は、この人物の小さな一つの発見による。
どこにでもいるような学生が会話をする中、海東啓はこう言った。
「あれ? おい、あれキノコじゃね?」
彼の指さす方向には家々の隙間の細い路地に一対の茶色いキノコが生えていた。
彼は何を思ったのか、急にキノコに急接近し、自身の手を男性の究極に模した様なキノコに差し出した、この狭い世界から出してあげると。
根っ子から取りだされたキノコには、自身のいた名残の土が僅かに付着していた。
「くせえ!」
取り上げた第一声がソレだった。
「すごい、まるで猫の尿が具象化したみたいな匂いだ、おううぇぇぇ、気持ちわりぃ」
他の友人たちは思い思いに、汚ねー、早く捨てろよ~、などと言いながら、僕以外の三人は笑っている。が、しかし僕はこの時、海東啓の次の発言を予見していた。皆、駄目だ、早く帰るぞ、そいつ(海東啓)は見捨てていくんだ! という警告が脳裏を走り、無意識に後ずさろうとすると同時に、海東啓は言った。
「おい。阿部、お前これ胸ポケットに差したら、お洒落じゃね?」
バレー部の阿部の笑顔が消えた。
阿部、後輩からは阿部さんと慕われる事を夢見てバレー部に入部。
先輩からは千円やるから一緒に寝ろ、と合宿中に言われ宿舎から逃げ、身長とジャンプ力の高さを活かしたアタックに定評のある阿部。
女子バレー部の豊田さんと付き合っている阿部。
豊田さんはしっかりとした眼が印象的な美人であった、身体的曲線はなだらかに美しく、少し変わった笑い方と、少しずれた笑いの壺を有する少女。
あの件の合宿中に阿部自分がストレートである証明のために告白をし、上手く成就してしまった……阿部。
以降ずっと調子に乗っていた阿部。
今日は久々に彼女と二人で下校をするという淡い夢を持ちながら、海東啓に砕かれた阿部。
阿部以外の二人(畦上、志渡)は大爆笑、思い思いの激励の言葉を阿部にかける。
僕は思う、違う駄目だ、そんな一人だけを人身御供にしても海東啓は止められないんだ。
阿部の一撃が口から飛び出る。
「いや、そう言うのは、シドーの方が似合うともうな」
え? まるで銃弾を浴びた刑事のように、志渡は息を吐いた。
しかし、すかさず海東啓。
「俺は~お前の方が似合うと思うな」
彼目には、阿部しか捉えられていない。
脱走を図るべく畦上はそれと無く、後じさりする。
「おい、畦上――」
志渡は畦上に投げかけるが……。
「じゃんけんしよう」
畦上は言う。これで終わりにするために。
「いいだろう」
にやりと唇を弧の形に歪ませる海東啓。その眼は負ける気がしないと言っている。
結果が出てから少しだけ時間が過ぎた。
その時ちょうど、加藤菜月を含めた数人の女子生徒やってきて背後から話しかけてきた。固まっている集団を見て何をしているのと言った風に。
「なにしてるの? 男どうしで固まっちゃって、ゲイなの?」
しっかりした良く通る声がした。
この時の阿部は微小していた。
「いやー、海東がすげーお洒落なんだよ。ほら見て」
明るい声の阿部、海東の胸ポケットを指指して言う。
そこに在るのはキノコである、茶色く小汚いその辺にあったキノコ。
海東啓は僕たちに目配せをする、俺様の生き様を見な! という、声が聞こえた気がする。
「……どう? 似合うかな」
彼女たちは一瞬固まったが、直ぐに返答をする。
「うーん、似合わない、変」
「うん、変だね」
「おかしいね」
「キモっ、なにやってるの。消えろカス」
異なる口が同じ意味をなすに返事をする。
「そうかな~、俺は似合うと思うんだけどな~。じゃあ、どうすれば良いかな?」
海東啓は、ある意味空気を読んだのだ。確かにここで「そうか、じゃあこれは捨てるよ」と爽やかスマイルで忌まわしき突起物を捨てる事もできただろう。
が、それをしなかった、決して引かず前に出たのだ。
眼鏡をかけた真面目そうな女生徒が、若干胞子が黒い学ランに付着し、白を広げていることを確認してから言った。
「そのキノコを引っこ抜け」
眼鏡をかけた真面目そうな女子生徒はその顔に似合わない行動を取っていた。
彼女、白峰と言ったか、僕も海東啓もこの手のタイプには初めて出会った、出会いの瞬間であった。おそらく、海東啓と先刻まで名も知らぬ彼女は出会った瞬間に特別な関係に成るタイプの人種だったのだろう。
そう結果から言ってしまえば、彼女のキノコという単語は非常に多角的な意味を内包していた。と、言えば全てお分かり頂けるかと思われる。
彼女たちとの別れの後も、僕たちは、知らない人や、学校の知人が近くに来る度に「すげーそれお洒落じゃん!」と言って胸ポケットを指さし新しいトレンドを浸透させるべく草の根活動を行った。
通行人の何人かは吹き出していたのでこの企画は大成功を収めたのであった。
「それにしても、こえ~」
彼、海東啓は言う。
「まさか、あんな真面目眼鏡が、いとも容易くえげつない行動に出るなんて……」
「きっと相当気に障ったんだな」
阿部は良い笑顔で返答する、その笑顔は他人の不幸によってしか人間は真の幸福には至らない事を暗に告げていた。
駅について、僕と海東啓。それと、そのたのメンバーとで別れた。
海東啓とは竹馬の友で、生活区域も非常に近く、確か付き合いは幼稚園からだったと思う。
小中高と同じ学校に進学した。クラスは違えども学校があれば大抵週三のペースで電車内で会っている。もしも仮にこれが知らない女の事であれば運命の出会いとなるだろう。
春休みの僕は、誰とも会っていない。と、言うよりは今まで会った事の無い人としか会う機会が無かった。だから、加藤啓と会うのは今日が本当に久しぶりで、僕自身の変わってしまった様を見て何かを言われるのでは無いかと思っていた。そして問われれば彼だけには正直でいようと思った。
――だって、親友だから……。
だから、僕も問おう、彼の異変について、気になる、興味本位という心情は無いにしろ、相手にとってはそう思われてしまうかもしれない。
それでも、僕は彼に聞かずにはいられなかった。
電車が僕たちの降りるべき駅に止まり、足を進める。さっきまであったはずのキノコはもう無い。
僕は言った。彼の眼を見て僕は言う。
「啓。春休み何があった?」
彼は立ち止った。僕の真意を汲んでくれたのだ。
時々、僕は彼の眼を見ると何を言っているか分かる時がある。
「それを聞いてさっ、滋野。お前どうするよ?」
おどけるような、言葉を選び、真剣な口調で海東啓は僕に問うた。
「いや、別に……なんとなく感じが変わったから」
ごまかしの様な煮え切らない答えであったのは重々承知であったが、僕は踏み切れなかった。
彼の身の上に起こっていただろう事は、僕の考えが到底及ばないだろう。
だって、僕の影の隣にある彼の影はもう殆ど霞んでいてそこには無いのだから。
啓はいった。
「俺自身は特に何かがあったわけじゃないんだ、取り巻く環境が、って感じかな」
粗末な言葉の省略が後ろめたそうに彼の内心となって表れている。
もう、この話の続きは聞けそうにはない。
手を頭の後ろで組みながら僕の前を歩く啓は慎重に言葉を選んでいる気がした。
「それと俺さ、剛を探してる人にはあったな。悪い人ではないとは思うけれどさ、まあ近いうちに会いに来るかもな」
「え? 僕に会いたい人か……心当たりは無いのだけれど。どんな人だった?」
啓は手を組んだまま振り返って僕にいった。
「うーん、難しいな……男で中肉中背、印象的じゃないのが印象かな、浮世離れしてる様な、頼りがいのあるような……まあ、俺には分かんねえや」
「………………」
「なんだよ、心配するな。いい人だと思うぜ」
啓は少しだけ口から歯を覗かせて笑い、僕たちは別れた。海東啓がいい人だというのならば、きっと害にはなるまい。親の知り合いかもしれない、などと思いながら、まだ高くにある太陽を背にして、僕は家に足を向け歩いた。
あとがきの文字制限が{20000文字以内で入力}らしいです、ちょっと多すぎないかな?
それはともかく、目を通して下さって多謝。