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学校はやめるもんじゃない

 008


 目の前の男に滋野新剛は問うた。

「……お前、何だ? なぜこの腕の事を……誰から聞いた?」

 男は小さく首をほぐすように頭を左右に振り近づいてきた。

 何も言わない。

「いや、そんな事は後で聞く事にしよう。吐いてもらうぞ知っている、アンタの全てを」

 剛の左腕は特別である。一切の攻撃を受け付けず、手を天に翳せば大地が叫ぶ。

 しかし、このところ調子が悪い。が、依然、左手自体は無双の力を秘めている。

「集中」

 緑の天使は、慎重な口調で言葉を紡ぐ。既にその手には身の丈に合わぬほど長い太刀が握りしめられている。

 その太刀は虹の様に曲がっていて、波打つ波紋が美しく、冷たい光を反射していた。

「君は下がっていてくれ、僕が様子を見る」

 剛は言った。

 印象のない男は動じずに「はあ」とため息交じりに言う。

 剛と天使は数メートル先の男を睨みつける。

 とてもこれからひと騒動起こそうとする者には見えない。

「どう思う? 君は、いや、君たちは」

男は問うた。

「人が生きると言う事は神の奴隷になると言う事ではない。どれ程正しく立派に慈悲深く生きていてもそれに従っている限り、奴隷からは抜けだせない、それは家畜となんら変わらない。いかに悪く、下劣で、劣悪な殺人鬼であっても自由であり続けようと逆らう事が人間らしく、そうでなければ人が生きている意味がない」

 その言葉は岩に刻みつけられる様に剛の脳裏に沁み込んでいく。

「天国において家畜となり下がるより、地獄の支配者たる方がいかに良いか」

「違う!」

 天使は叫ばずにはいられない。

天使に在るのは内心の焦り、彼女は知っていた。この発言を最初にした天使の言葉を。

男の言っている事の真意は天使自身の正義の不確かさ、そして自分自身のたった一つの望みを浮き彫りにするものである。

 『違う』……剛の頭にはその言葉が疾走する。

 男は続ける。

「君にその部分は在るかい? なにも恐れない……悪だと言われても恐れない、孤独になっても恐れない――――――神も恐れない」

 彼の声は聞かずにはいられない、もっと聞きたいと言う衝動を重々しく突き立てる。

「こんなに強い奴を見た事はあるか? 徹底的に戦い続けるぞ」

 男の声は岩に刻みつけるが如く校内を木霊する。

「……」

 滋野新剛は物を言おうにも口をパクパクとさせる事しかできない、言葉にならない。滋野新剛は知っている、人が人らしくある、と言う事について。

だから、何も言えない、何も言わない。反論が共感に変わってしまわないように、今の言葉を必死に忘れようとする。

「……納得が欲しいならば仕方が無い、相手はしよう。君はその後僕の事を嫌うかもしれない、憎むかもしれない。それは無論、君の体が傷つくからではない。それでも僕は甘んじて受け入れよう」

 男が言い終えると、天使は凛とした声で言う。

「この位で良いでしょう、貴方にはもっと別の事を話してもらわないと」

「君の思想を非難するつもりはないが、そういう事を聞きたかったんじゃないかな? ……いや、きっと君たちの追い返した、君の同胞達、天使兵たちも同じことが言いたかったんだと思うよ」

 ふう、と件の男は息を吐いて、雰囲気に合わない口調で言った。

「少しは信用してやりなさい」

 天使は眉間にしわをよせる。

「滋野新剛君だったね、穏便に済ませるつもりだったけれども、それはどうやら無理なようだ。彼女の気持ちをしっかりと受け入れる今の社会に……いや、君は賢いから分かるね」

 不意に投げかけられた言葉に剛の体は緊張で筋肉が膨らむ。

「剛くん、大丈夫だよ、彼女が話をする事もこの後……時間が解決するだろう」

 男はまるで、未来を含めて全てを掌握しつくしたように言う。

 滋野新剛は、心情を切り替え、誰にも聞こえない独り言を言う。

「逆らい貫く者には憧れるさ、僕だって誰だって」

件の男は律儀にも挨拶をする。

「人同士、同じ言語であっても。理解しあうのは難しい」

 剛は内心同感だ、と感じた。

 印象の無い男は相変わらず手ぶらでとてもじゃないが、この場所に似つかわしくなく浮いていた。

 天使の殺気がびりびりと辺りにまき散らされ、じりじりと間合いを詰めていた。

 聞く耳此処に在らず。

――刹那。

 男が消えた。

 文字通り消えた。

そして金属が摩擦するシュンッという音。

 音のする後方に目をやると、壁が亀裂を作り陥没していた。

滋野新剛の後方にいたはずの天使は壁に貼り付けにされていた。その姿は磔刑を思わせる。

 彼女の持っていた太刀は二つに折られ、両足の太ももの部分に刺さっており、両手はコンクリの中に埋め込まれている。さらに、腹部の洋服は破け、純白の肌の代わりに黒々とした穴があった。大きな穴が天使の腹にあいている。

 天使の臓器が無機質なコンクリートの壁に薔薇の様な後を残す。

鮮血が流出、派手に水たまりを作る、春休みにも見た赤い彼女の血。

「……」

 傍らには件の男が立っている、奇妙な事に返り血を露ほど浴びていない。

 男の表情は暗い。

言葉にならない。滋野新剛の頭には絶望と言う言葉しかない、死ぬのか?

 それは決して『自分が』と言う事では無く、目の前にいる天使に向けられた心だった。

彼女は――それは――――駄目なんじゃないか、だって。か、のじょ――は。

 天使は本当に動かない、声も上げない、痛いだろうに、粉砕された骨と重力に逆らって張り付いた臓器はもうどうしようもない事を告げていた。

「ぅぅぅぅぅぅぅううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううぅううう」

低く滋野新は唸る。

その光景は誰から見ても不気味だった。

自覚できない狂気が滋野新剛と言う自分の中で急速に育ち、自身の思考を現在進行形で食い破っている。

この男を殺せ。

 全身の血が沸騰し、血管が浮き出る。

顔は人間のそれでは無い修羅か羅刹を相手に垣間見せる形相であって

強靭な狂人は心に宿ると言った人もいるが今の剛はソレであった。

自分の中ではどうしようもない位大きくなってしまった感情の捌け口が今、目の前にいる。

辺り一面の景色が真っ赤に染まっていく中で、滋野新剛は一度だけ女性を思った。それは相戸夕なのか天使なのか、それとも母親なのかは誰にもわからないことだった。なぜならば今の彼は最早どうしようもないほどに滋野新剛では無かったのだから。

男の影が消え、そしてその容姿が消える錯覚を滋野新剛は捉えた。

錯覚は所詮錯覚、しかしながらその錯覚を与える過程には何があるのかを知るものは少なく、 それは気付かれないように夢と現を現実と言う世界で交換する一つの手段の様に働き、知らない世界へと対象を導く。

 何も無いのだろうか?

剛は弾け飛んだ、後先を考えずに真っすぐ、本能が最短だと思う方向に突き進む。

 見える。

「そんなものか?」

 男は速かった。

突如回し蹴りが剛の右腕を巻き込んで肝臓に入り、体の反対まで電撃が突き抜けた。

 瞬間、剛は自分の腹に食い込む足男の足に向けて左の手刀を振り下ろす。

 殺せればいい、結果だけを求める。

 代償になりうるすべてを渡す。

 体が悲鳴を上げる事もない。もう死んでいるのだから。

 しかし、攻撃は男に当たらなかった、なぜならば剛の体が宙に浮き、足の踏ん張りも利かないまま後方に飛んでいるからだ。

 宙に浮く剛は壁まで到達することを見越して、壁で受け身をとり、先ほどの攻撃から、タイミングを予想し、体が吹き飛ばないように壁際で男を待ち受ける事を決めていた。

 壁にはつぶれた右手をクッション替わりに使用した。

 この時、磔にされた天使の腕を剛がもう一度潰した。

 二つ分の腕の血液無機質な床を再び新しい模様で彩った。

 剛はその事に気づかない。

 件の男はまたその姿を消した。

 既に剛は声を張り上げながら、腕を前に突き出す。

 見えない相手にも、実態が無くともそこに存在するのであれば剛は音としてそれを捉えるすべを持っていた。

 剛の突き出された目の前に、男は立ち止っていた。

 しかし拳は当たっていない、精一杯伸ばした拳の手前でさっきからいた様に男は立ち止っていた。

「凄いな、そんな事が出来るのか、視界に頼らない攻撃か」

 ごり、と言う音。

 剛の右目が床に落ちた。

 剛は右目からダラダラと涙を流した。

 件の男は何もしていない、少なくとも剛は何かをされた実感は無い。

 格上でそれでもどの様に格上なのかも分からない力の差を今の剛は感じるすべはなかった。

 だから、剛は目の前にいる的に拳を振り全て空を切ってもまた次と、空振りを繰り返していた。

彼女は泣いていたのだと思う。

 少なくとも滋野新剛にはそう捉える事が出来た。

「本当にごめんなさいね」

 天使のかすれる声が、囁きが耳をくすぐり。剛の狂気が萎んでいった。

「そうか、そういう戦いではないのか」

何か悟った瞬間。

 『ずれ』の認識。

 理解を意識した時。

 人の可能性の余地。

 それらがそこにはあった。

 滋野新の狂気は引いて行った。

 あるいは出血により頭の血が下りたのかもしれない。

 剛に痛みは無かった。本人もそれについては何となく気づいていた。

 ああ。俺はここで死ぬんだな、と悟った。


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