2、サブタイトルに意味はない
002
校門、掲示板、張り紙、クラス、名前、移動。
で、教室。
割り当てられた教室に入ると耳に馴染んだ明るい挨拶がした。
「滋野君、おはよう、また同じクラスだね」
「おはよう、加藤さん元気そうだね」
僕は笑顔で返答をする。
黒板はピカピカに掃除されている。
加藤、加藤菜月は高校一年の時にあった女子である。出会った時から髪の毛を茶色に染めていて、小柄な彼女にしては大きめの茶色いカーディガンが好きらしい。
加藤菜月という女はどこかのほほんとしている穏やかな女性だった。
また、僕の前でうろちょろと、乱歩する女である。顔は綺麗というよりは可愛い系であり、胸がとびきり大きかった。きっと養分が全部そっちに行ってしまったのだろう。成績は良くない、なんとなく、鈍い感じがした。
しかし、決して愚かではない。
彼女には敵がいないのだ。そう仕向けている。
その様な外見と性格から、男子受けするのは確かで冷たくあしらったり、罵倒したりすると反感もろに食らってしまうからいつも笑顔で返答しているのだ。
というのは、少し嘘で実際、素直に彼女を表現すると良く好かれるタイプの人間だと思う、だから僕は彼女を尊敬していた。
そんなふうに生活できたらいいなと想う。
窓際の花瓶には枯れて、茶色に変色した菊があった。
当たり前の日常を実感するのは、見知った人間との意思の疎通をした時だと思う。
僕の学校生活が今、戻ってきたと思った。
「滋野君、この春どこか行った? あのね私はね」
このように自分のことを話す。
落ち着きが無いと言うよりは焦っているような口調で話し始める。舌足らず気味な喋りが早口な印象をさらに加速させる。
僕は彼女の話を聞いている。
彼女はどうやらこの春休みに、海外旅行でマイアミに行っていたそうだ。
「海外か……僕には縁遠いな」
今までずっと旅行をしたことはなかった。正確に言うと、修学旅行は行ったのだが、正直あれをそこら辺の旅行と言うには、いささか疑問をもつ。
海外、陽気な夏の日差しと白い海……あんまり行きたくないなと内向的な僕の考え。
男友達ならば、ビーチにいる巨乳のお姉ちゃんとの絡みの話をこなすのだが、女性の前ではそうもいかない。
「あ、いまイヤラシイ事を考えたでしょ」
加藤菜月は僕の黒い瞳を覗き込む。
不安、疑念、があってか、僕は目をそらす。
一瞬何かずれていたものが重なるような感触のあと、ふと、この間の事を僕は思い出し、そして誤魔化し気味にその話題を振った。
「そういえば、飛行機事故があったんだって? ニュースでやっていたけれど、巻き込まれないで良かったね」
「え? ああ、うん……」
歯切れの悪い感じに応答した。不謹慎だったかな?
急な話題転換のためだろうか、加藤菜月はハトが豆鉄砲を食らったかの様に眼を大きく二度まばたかせた。
彼女特有のしっかりとした明るい茶色い瞳が外を向く。
誰かが窓を開けていたのか、強い風が教室中に駆け巡り、開けるたびにガラガラと音を立てるドアに消えた。
他愛の無い話をする。
色々な事も聞いた、マイアミは良い観光地だが殺人の検挙率が二割程度だとか、アメリカなのに英語が話せず、スペイン語を主流としている人が在住しているとか。
僕はと言うとあまり人様に話せるような内容の春休み生活を送ってはいなかったため、有体の話をした。当たり障りの無い日々、土日の延長線上みたいな休みであったといった。
嘘をついた。
それでも、彼女は一生懸命色々な出来事を楽しそうに話してくれた。
それに対して頷いて、笑って、目の端では、学校の柱にあたる白い壁に浮き出るシミを見つけていた。
彼女には申し訳ないが僕はどこかその話を上の空で聞いていた。そういえば、彼女、加藤菜月ってこんなふうに自分から話しかけるタイプだったかな?
クラス全体がこの初々しい空気に包まれていた。
どうという事は無いが、癖で僕はぐるりと、さり気無く周囲を見渡す、黒板の位置、窓の数、 席の数、今いる生徒の人数、広さ……。
女子生徒はよく知った中の友人たちが集まり、あまり知らない人間に向かって声をかけていたりしている。
男子生徒は……チョークスリーパーをかけている……何故だ。
普通の日常。
教室の隅、黒板が近いほうの入り口に、一人の女子生徒が目に入った。
何気なく、周りの生徒と話しているが、僕から見ると彼女は歪んでいた。
ガラガラと言う教室特有のドアの開閉音を出しながら、スーツ姿の男が教室に入ってきた。
「はい、皆さんこんにちは」
背の高い案山子みたいな教師であった。
たちまち、話し合っていた生徒達は割り当てられた席に座り、去年と大して変わらないやり取りをした。
「あ、じゃあね。席に戻りまう」
彼女は最後の締め括りを噛んで自身の席に戻った。
歯切れの悪い世間話もちょっと噛みがちな言葉も彼女らしかった。僕は彼女が席に着くまでずっとその姿を見ていた……。
長身の教師はまず黒板に自分の名前を“丞明楼”と書き、自己紹介をし、生徒たちにも簡単な自己紹介をさせた。
生徒達に割り当てられた席は名簿の通りであったから、最初に自己紹介をしたのは、黒板に近いほうの出入り口にいる、あの女性からだった。
「相戸夕です」
それだけ言うと、長い黒髪の彼女は座った。
その仕草はなんとも表現しがたかった。そういった仕草や立ち振る舞いを今まで見たことがなかったからなのかもしれない。
ひとことで言うと見事、なのだろうか。
優雅で静かで、見事だった。何よりも上品だった、そうだ、上品、この言葉がしっくりくる。 品の良さを感じた。
しかしその実、その仕草は神秘的で突き止め難く、モヤモヤと雲のように漂い、かたまり、沈んでいく感触が僕の中にはあった。
彼女、相戸夕は僕の印象に残った。
クラス中の男子は何人かを除いて惚け顔で、女子は気にしないフリをする者が多かった。
生来の美貌に加えてその品の良さがさらに彼女を魅力的にした。
前年度同じクラスだと思われる人たちは特に気にした様子では無かった。
彼女は一体どんな人なんだろうか? 知っている者は少ないらしい。
もう殆どの人間がその次の生徒の自己紹介に興味を無くしていた。
十人ほどが名前と趣味、部活などを言った後。
「退屈だ」
声が聞こえた。次に打楽器の音がした、小さな音で一度だけ、近くに太鼓など無いし、音楽屋も近くにある訳では無いから、だからやはり僕の気のせいかも知れない。
学校の一日目などすぐに過ぎる、一日など直ぐに終わる。
学校での授業が終わっても生徒達はまだ帰らない、教室では所々で話し合いの光景が見受けられる。そうするのは特に女子生徒が多かった。
廊下から僕を呼ぶ明るい声が聞こえた。
にやりと笑って、そっちの方を見る。友人の海東啓である。
「今行く」
机から立つとクラリと立ちくらみがした。滅多にない立ちくらみだ。目の前が暗くなる。しかし廊下に向かう間に回復した。
こうして一日目は終わり、僕は帰路に着く。