13、君の幻想を使って Ⅳ
これにて ひと段落となります。
ドン、ドドン、ドン、ドドン。ドン、ドドン、ドン、ドドン……。
今までとは違う心地のいい響きであった。そして悪寒。
浮かぶ月は闇にその身を喰われて、空は星も見えぬ暗黒で形成されていた。
ドン、ドドン、ドン、ドドン。ドン、ドドン、ドン、ドドン。
あの音が次第に大きくなって来る。
「フフフフフフフ」
ドン、ドドン、ドン、ドドン。ドン、ドドン、ドン、ドドン……。
「ハハハハハハハ」
ドン、ドドン、ドン、ドドン。ドン、ドドン、ドン、ドドン……。
「フフフフフフフ」
ドン、ドドン、ドン、ドドン。ドン、ドドン、ドン、ドドン……。
「ハハハハハハハ」
その声の主は笑っていた。その笑い声はどんどん大きくなって、響く音に合わせて、愉快でも皮肉でもなく、ただの笑い声を形成している。それも音であった。
ドン、ドドン、ドン、ドドン。ドン、ドドン、ドン、ドドン……。
この地響きのような音は僕を高揚させる。
「ああああああぁぁ、あぁあああああああああぁぁ、ああ」
一瞬の女の悲鳴。
悪魔はその身を大きく反り返らせると、背中からは大きな黒い双翼が生えそろった。
(この高なる音……)
悲鳴を最後に全ての音は、その役目を終えたように終わり、この世界から五感の一部をえぐり、切りだして眠った。
夜。
そして滋野新剛は一つ呟く。
「ああ、そうかこの音は、僕の心臓の音なのか」
その音は、僕の声は三人しかいない校舎にはよく響いた。
ウサギが翼を数度羽ばたかせると、辺りの光が黒い翼に喰われて切り取られたように、その空間は暗くなった。
そして加藤菜月はいなくなった。
ウサギはその時ここぞとばかりに跳ねた。ぴょんぴょん跳ねた。
天井を壁を、黒板を机を、ありとあらゆる平面はウサギの地面であった。跳ねる回数に比例して、ウサギはどんどん加速していく、最早、剛の動体視力では追いつけない。
今や、剛の肉眼は悪魔の本体を追う事を諦め、影と残像を見る事しか叶わない、しかし、それもあと数度跳ねれば重なる加速により不可能となる。
翼の軌跡は闇として空間に刻まれ続ける。
闇が広がる。
剛に恐怖は無かった。
加速と運動の激しさを全く無視して、机や電球を足場に跳躍しても
それらの器物は一切動かず、又、音が聞こえなかった。
平面を蹴る音も、高速で生じるはずの風切り音も――。
闇の中では聞こえない。
そこは一切の静寂であった。
今までとは段違いの跳躍と反射スピードもう誰にも何も見えない。
跳躍を超えた飛行。
飛行を超えた消失。
にもかかわらず、だが、そこには消えた彼女の残り香があった。
僅かな匂いをかぎ分けられたのは、静寂のせいかも知れないし、それが引き起こした安寧のせいかも知れない。又はもう既に一切の光が喰われてしまったからかも知れない。
それから……時間が流れた。数十秒、数分か、数十分だろうか、この闇の中では時間の感覚は麻痺してしまう。
穏やかな時間の中で、滋野新剛は自身の脈打つ心音が耳触りだった。
ドクン、ドクンと一つ一つ音を出す臓器が狂っている。
何も無い闇では自分はどこにも居ないということがよくわかる。
この世界には不相応である。
どこから、いつ、どのように、己を襲うであろう危機と恐怖を実感する。
普通ならばそのまま押しつぶされてしまう、けれども剛は違った、それを容赦した。
それでも、よいではないかと、ゆるした。許して赦す、赦してから許した。
そうすれば、自分もゆるされるきがしたからだ。
暗黒の中で剛は目を瞑った。何も変わらなかった。
ドクン……ドクン……。
静かに滋野新剛は自身の全てを他力に任せた。
そしてそれは、突如終わった。
ゆっくりと、滋野新剛の視界いに血の赤が広がった。
……目を開けると。
闇が光を内包し始め景色が帰ってきた。
剛の目の前のはウサギの悪魔が背を向けて立っていた。
ウサギは、赤い瞳をガラス越しに空に目を向け、大きく翼をはばたかせた。
そして、こちらをもう一度だけ、悲しげに振り返ると。そのままガラスを突き破って、つい先刻まであった、月の方へ飛び去ってしまった。
(何も言ってはくれないのだな……)
その場にはそんな音が響いた。
ご健勝とご繁栄をお祈り申し上げます。