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茶色い猫

「おい!こっちだ!さっさとしろ!」


「うわぁー!親方ぁ!なんですかこれ!スペースシャトルじゃないですか!うちの工場こんなのも作ってたんですね!」


「…まぁな」


「すっげぇ!すっげぇ!俺知りませんでした!ちょっと親とか友達に自慢してもいいですか?」


「……んー…やめとけ…」


「うわーすっげぇー!これなんか操縦席じゃないですか!なんか全部メタリック!やばいっすねー」


「…そんな…もういいから…あんまりうかれるな…」


「親方なんで黙っていたんですか!?こんなすごい仕事してるのに!僕なら周りに自慢しますよ!…ほらちょっと写真いいですか?これツブヤイッターにアップしていいすか!?」


「おい!いい加減にしろ!!これはスペースシャトルでもなんでもない!!!」


「これはな!!!これは……!!ラブホの内装の一部だよ!!!」


劇場に小さい笑いが沸き起こる。掴みは良かった。

俺はずっと、こうして劇場に立って客を笑わせることができれば、それだけでいいと思っていた。たとえ貧乏でも、笑いがあれば幸せだ――そう信じていた。


「絶対売れるよ」


周りからそう言われて、もう20年が経とうとしていた。

20年経っても、俺は相変わらず末端の劇場で、数少ない客を笑わせている。笑いがあれば幸せ……売れてなくても……笑いがあれば……。


--------------


劇場を出ると、冷たい風が頬を叩いた。

誰もいない無人駅のホーム。街灯の下で、俺はふと、明日の朝刊の記事を予測していた。


『41歳の男性、ホームから転落し、電車と接触したのち死亡した。男性の身元は……』


「……ッ、はは」


俺は小さく首を振った。芸人がこんな思考でどうするんだ。芸人なら、どんな時でも笑っていなきゃいけない。


「……はぁ……おもんな……」


独り言が、白い息とともに闇に消えた。


その時だった。足元を何かがすり抜けた。茶色い、小さな影。一匹の猫が、バランスを崩して線路へと落ちたようだった。


遠くから、迫り来る電車の轟音が聞こえる。

気がつくと、俺は体が勝手に動いていた。その猫を助けるために、迷わず線路へ飛び降りていた。


なぜこんなことをしたのか、自分でもわからない。

最後に救世主にでもなったつもりだったのか。

ただ、一つだけわかるとすれば――俺が必死に抱き上げたのは茶色い猫ではなく、風で膨らんで舞い落ちた、ただの茶色いビニール袋だったということだ。


「あ……やっぱ…おもろ…」


それが、俺の人生の最後の言葉だった。



---------------



目を覚ますと、俺は見たこともない場所にいた。

どこまでも続く赤茶けた大地。空を見上げれば、そこには巨大な三つの月が不気味に浮かび、その間を巨大な金属の塊……宇宙船らしきものが、轟音を立てて横切っていく。


「……なんだ、ここ。劇場のセットにしちゃあ、凝りすぎだろ……」


呆然と立ち尽くしていると、地響きとともに見たこともない生物が現れた。

粘土を捏ねて無理やり形にしたような、グロテスクな外見の宇宙人。侵略者たちは、手にした奇妙な武器を俺に向けてくる。


死を覚悟したその瞬間。20年の芸人生活で体に染み付いた「習性」が暴走した。

俺は無意識に腰を深く落とし、白目を剥いて、両手を左右に突き出した。かつて舞台で一万回はスベり倒した、渾身の変なポーズ。


「キュ、キュヒィ……ッ!?」


宇宙人の動きが止まった。

次の瞬間、宇宙人の体が内側から激しく明滅し、ボロロォン!という間の抜けた音とともに爆散した。


「……は?」


呆然とする俺の前に、ボロボロの服を着た異世界の住人たちが駆け寄ってきた。


「お、おぉ……! 伝説の『ゲイニン』だ! 奴らの弱点である『笑い』を引き起こせる聖者が、ついに現れたぞ!!」


戸惑う俺を彼らは救世主として讃え、涙を流して跪いた。


「笑い」の力で侵略者を倒し、世界を守ることになるとは…この時の俺は想像もしていなかった…


---------------


『……ふふ、ふふふ! 見てくださいアオキャルさん! 私の力作ですよッ!』


管理課のオフィス。私は充血した目で、残像が見えるほどの速度でタイピングを続けていた。脳内に無限の設定が溢れ出し、転生希望者の願望を次々と叶えていた。


「……ん…?いやいやいや…なんだコレ…」


横からアオキャルさんの手が伸びてきて、私の肩を掴んだ。


「お前、どうした……?なんか変だぞ?」


『アオキャルさん、最高ですよ! 彼が侵略者をギャグで爆発させるんですけど、このギャグが……ッ!』


「……」


アオキャルさんは、私の狂ったような作業を強引に止めると、大きなため息をついた。


「今日の仕事はここまで。お前、今すぐ帰って寝ろ。あとの処理はこっちで適当に……そう、適当にやっとくから。な?」


『え〜?ここからじゃないですか!ほら!この芸人の人どんどん願望が叶ってますよ!』


「…いい加減にしろ。すぐにやめるんだ。』


私はアオキャルさんの冷めたような、どこか同情の混じった視線を感じながら、無理やり席を立たされた。


『なんでですか!?自分の力でこんなに頑張ったのに!なんでやめないといけないんですか!?』


私は画面を叩き、アオキャルさんに詰め寄った。しかし、彼はいつものヘラヘラとした態度をかなぐり捨て、厳しい表情で私の腕を掴んだ。


「…落ち着け…周りをよくみてみろ」


沸き起こる興奮と、心臓を突き刺すような怒りを必死に抑えながら、私はゆっくりと辺りを見渡した。

そこにあったのは、真っ暗なオフィスだった。

昼間の喧騒は嘘のように消え去り、点滅する非常灯だけが不気味に廊下を照らしている。私たちがいる一角を除いて、仕事をしている者は誰一人としていなかった。


あれから一体、何時間が過ぎたのか。窓の外は、天界特有の底冷えする夜に沈んでいた。


『…んん??……』


霧がかかったように、脳が機能しなくなった。必死に状況を整理しようとした瞬間、猛烈な吐き気が私を襲った。加えて脳を万力で締め付けるような頭痛。偽りの全能感が、雪崩のように崩れ去っていく様な感覚だった。


『…ゔっ…』


「おい!大丈夫か!?吐くならコレに吐けよな!」


遠のく意識の中で、アオキャルさんが私の手に「何か」を押し付けた。

触れるとそれが茶色い袋であると理解できた。しかし、私の視界の中でウネウネと確実に揺れ動いたそれは少し小さい茶色い猫のようにも見えた。

視界が急速に霞んでいく。


『…な、なんで…なんれ…ネコなんれすか…』


私は手渡された茶色い袋を、最後の一片の救いであるかのように強く抱きしめた。

そのまま、冷たい床の感触すら感じることなく、深い闇の底へと吸い込まれていった。

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