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誰かに必要とされる理由を、僕はまだ知らない  作者: 優未緋


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9/21

9


 月曜日の朝は、少しだけ空気が重い。


 休日の名残が残っているせいなのか、

 それとも単純に眠いだけなのか。


 布上朔は、そんなことを考えながら駅の改札を抜けた。


(……いつも通り、だよな)


 時間。

 人の流れ。

 ホームの雑音。


 全部、いつも通り。


 なのに――


「……先輩」


 呼ばれる声が、いつもより近い。


 振り向く前に、

 袖が、きゅっと引かれた。


「……悠?」


 針瀬悠が、そこにいる。


 制服姿。

 でも、距離は制服じゃない。


 自然に、当たり前みたいに、

 朔の隣に立っている。


「おはようございます」

「……おはよう」


 それだけの挨拶。


 でも、悠は袖を離さない。


「……今日は早いな」

「先輩と一緒に行けると思って」

「……そうか」


 それ以上、言えない。


 否定する理由も、

 離す理由も、

 見当たらない。


 電車に乗る。


 混雑した車内。


 悠は、迷いなく朔の前に立った。


 距離が、近い。


 つり革を掴む腕と、

 悠の肩が触れる。


「……近くないか」

「人、多いので」

「……そうだな」


 言い訳としては、正しい。


 でも、

 少しずつ体重を預けてくるのは、

 完全に悠の意思だった。


 揺れる車内。


 朔は、何も言わない。


 悠は、少しだけ安心したように、

 距離を詰めた。


(……これ、普通になりつつないか)


 そう思った時点で、

 もう普通じゃない。



 学校に着く。


 校門をくぐると、

 何人かの視線が、はっきりとこちらを向いた。


 ひそひそ。

 くすくす。


 朔は、内心でため息をつく。


(……見られてる)


 悠は、気にしていない。


 気にしていないどころか、

 自然に隣を歩き続ける。


 少しだけ、近すぎる距離。


 廊下。


 クラス前。


「……あれ、布上じゃね?」

「隣の一年……え?」

「近くない?」


 声は小さい。

 でも、耳には届く。


 朔は、歩く速度を落とす。


「……悠」

「はい」

「……その」

 一拍。

「……目立ってる」

「……そうですか?」


 本気で分かっていない顔。


 いや、

 分かっていて、気にしていない。


「……嫌ですか?」


 その一言で、

 朔の思考が止まる。


「……嫌じゃない」

「よかったです」


 悠は、満足そうに微笑んだ。


 それだけで、

 この話題は終わる。


(……ズルい)


 正論すぎて、

 何も言えない。



 教室。


 朔が席に着くと、

 悠は一歩だけ離れた。


 でも、離れただけ。


 視線は、常にこちら。


 チャイムが鳴る直前、

 悠が小さく言う。


「……先輩」

「ん」

「今日も、部活ありますよね」

「……ある」

「一緒に帰れますか」

「……たぶん」


 “たぶん”でも、

 悠は嬉しそうだった。


 教室の後ろから、

 遥の視線を感じる。


 振り返ると、

 釘宮遥が腕を組んで立っていた。


「……朝から仲良いね」

「……普通だろ」

「どこが」


 遥の目が、

 悠との距離を一瞬で測る。


「……近すぎ」

「そうか?」

「そう」


 悠が、ぺこりと頭を下げる。


「おはようございます、釘宮先輩」

「……おはよう」


 遥は、溜息を一つ。


「一年生」

「はい」

「距離」

「……はい?」


 遥は言葉を選ぶ。


「……まあ、いいや」


 止めない。


 止めないという選択。


 それが、遥なりの余裕なのか、

 それとも覚悟なのか。


 朔には、まだ分からない。



 昼休み。


 朔が廊下を歩いていると、

 自然と悠が合流する。


 いつの間にか。


「先輩、お昼どうしますか」

「……購買」

「一緒に行きます」


 即決。


 購買の列。


 並んでいる間も、

 距離は近い。


 悠は、朔の背後に立つ。


 視線が、首元に近い。


「……後ろ、近くないか」

「離れますか?」

「……いや」


 言ってから、

 自分で驚く。


 悠は、少しだけ笑った。


「……ありがとうございます」


 それは、

 “許可”として受け取られていた。


 購買を出ると、

 湊が手を振ってきた。


「おー、仲良し」

「……お前な」

「いやいや」


 湊は、二人の距離を見て、

 口角を上げる。


「もう隠す気ない感じ?」

「……隠してない」

「隠せてない、だな」


 悠は、特に反応しない。


 事実を言われただけだから。


 湊は満足そうに去っていく。


「……お前も、気をつけろよ」

「何をですか」

「……色々」


 悠は首を傾げる。


「先輩が一緒なら、大丈夫です」

「……根拠になってない」

「私の中では、なってます」


 迷いがない。


 それが、一番強い。



 午後の授業。


 朔は、何度か視線を感じた。


 好奇の目。

 探る目。


 噂が、動き始めている。


 でも、

 それ以上のことは起きない。


 誰も、踏み込んでこない。


 理由は単純。


 朔が拒否していないから。


 放課後。


 廊下で合流する。


 悠は、当たり前のように隣。


「……帰るか」

「はい」


 部活へ向かう道。


 夕方の光。


 並んで歩く影が、

 少しだけ近い。


 朔は、ふと気づく。


 もう、

 「距離が近い」と思わなくなっていることに。


 それが、

 一番の変化だった。


(……戻れないな)


 そう思って、

 不思議と、嫌じゃなかった。


 侵略されたのは、

 デートだけじゃない。


 日常そのものだった。


 そして、その侵略を――

 朔は、受け入れ始めていた。

__________


 部室のドアを開けた瞬間、

 いつもより視線が多い気がした。


 気のせいじゃない。


「……お」

 桜先輩が、真っ先に反応する。

「来た来た、噂の二人」


「噂ってなんですか」

 斎が即座に突っ込む。


「え、だってさ」

 桜先輩は楽しそうに笑う。

「駅前で目撃情報、学校でもう回ってるよ?」

「回ってません」

「回ってるって!」


 朔は頭を抱えたくなった。


「……そんな大したことじゃ」

「大したことだよ」

 湊が横から口を挟む。

「距離」


 視線が、一斉に朔と悠の間へ向く。


 ……近い。


 無意識だった。


 悠は、当たり前のように隣に立っている。

 肩が触れるほど。


「……あ、ほんとだ」

 斎が素直に言う。

「近いですね」

「……いつも通りだろ」

「昨日までは違いました」


 事実を言われて、朔は黙る。


 悠は、少しだけ首を傾げてから言った。


「……今日は、これが普通です」

「はい?」

「普通になりました」


 断言。


 桜先輩が腹を抱えて笑う。


「一年生つよ!」

「事実なので」

「事実で殴るタイプだ!」


 蓮先輩が、穏やかに咳払いする。


「はいはい。まずは準備しよう」

「部長、止めないんですか」

 斎。


「止める理由がない」

 蓮先輩は即答した。

「部活の空気が悪くなっていない」


 その言葉で、

 空気が少し落ち着く。


 朔は、少しだけ息を吐いた。


(……助かった)



 準備中。


 悠は、自然に朔の近くにいる。


 キーボードを出す時も、

 椅子を引く時も。


 距離が、近い。


 でも、誰も注意しない。


 むしろ――


「……なあ」

 樹先輩が、淡々と口を開く。

「布上」

「……はい」

「集中力、上がってる」


 淡々とした事実。


「え?」

「プレイ前の視線が安定している」

「……そうですか」

「うん」


 樹先輩は、悠を見る。


「針瀬」

「はい」

「君も、安定している」

「ありがとうございます」


 それだけ。


 評価は、プレイで決まる。


 そこに私情はない。


 だからこそ、

 この部活では成立する。



 練習試合が始まる。


 画面に集中する朔の空気が、

 一段階変わる。


 背筋が伸び、

 視線が鋭くなる。


 “スイッチが入った”状態。


 悠は、その変化を誰よりもよく知っていた。


(……今の先輩)


 好きだ。


 でも、触らない。


 今は、邪魔をしない。


 それも、距離ゼロの形だった。


「前線、三秒耐えて」

 朔の声。

「はい」

 悠は即答する。


 迷いがない。


 連携が、噛み合う。


「……相変わらず、強いな」

 斎が呟く。

「距離、物理だけじゃないですね」

「うまいこと言うな」


 湊が笑う。


 試合が終わる。


 勝利。


「ナイス」

「お疲れ」


 自然に、悠が朔の背中に近づく。


 そして――

 無意識に、ぎゅっと抱きついた。


 一瞬。


 でも、確かに。


「……っ」


 朔が声を漏らす。


 部室が、静まる。


 悠は、はっとして顔を上げる。


「あ……」

「……」

「すみません、無意識で」


 一拍。


 全員が、朔を見る。


 朔は、ゆっくりと息を吐いて――

 そのまま、動かなかった。


「……いい」

「……え」

「……嫌じゃない」


 それだけ。


 悠の表情が、ぱっと明るくなる。


「……ありがとうございます」


 桜先輩が、悲鳴に近い声を上げた。


「ちょっと待って!?」

「部室で!?」

「今の見た!?」


 斎が即座に言う。


「見ました」

「止める?」

「止めません」

「なんで!?」

「本人が嫌じゃないって言いました」


 蓮先輩は、穏やかに頷いた。


「節度は守ろう」

「はい」

 悠は即答する。

「先輩が嫌なことは、しません」


 その一言で、

 すべてが収まった。


 ルールは、明確。


 朔が基準。


 それを、全員が理解した。



 練習後。


 片付けをしながら、

 朔は気づく。


 誰も、距離について言わなくなった。


 桜先輩は茶化す。

 斎は突っ込む。

 湊は笑う。


 でも、

 否定は、誰もしない。


 それが、この場所の答えだった。


「……なあ」

 湊が、小声で言う。

「覚悟、決めた?」

「……分からない」

「でも、離してない」

「……ああ」


 それで十分だと、

 湊は言わなかった。


 言わなくても、分かる。



 帰り道。


 部室を出て、

 夕方の廊下を歩く。


 悠は、いつも通り隣。


「……先輩」

「ん」

「今日、抱きついてしまって」

「……ああ」

「嫌じゃなかったですか」

「……言っただろ」


 悠は、少しだけ笑う。


「はい」


 そして、

 控えめに、袖を掴む。


 それ以上はしない。


 確認して、進む。


 それが、悠のやり方。


 朔は、もう引き剥がさない。


 距離ゼロは、

 イベントじゃなくなった。


 日常になった。


 侵略されたのは、

 デートだけじゃない。


 生活で、

 空気で、

 場所で。


 そして朔は、

 それを拒んでいなかった。


(……本当に、戻れないな)


 でも、

 不思議と怖くなかった。


 誰かに必要とされる理由を、

 朔はまだ知らない。


 それでも。


 隣にいる温度だけは、

 確かに感じていた。


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