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土曜日の駅前は、思ったより騒がしかった。
家族連れ。
友達同士。
そして、手を繋いだカップル。
布上朔は、その流れの端に立っている。
(……場違いじゃないよな)
服装は無難。
派手じゃない。
でも、だらしなくもない。
いつもと変わらないはずなのに、
胸の奥が落ち着かない。
時計を見る。
集合時間まで、あと三分。
その時だった。
「……先輩」
後ろから聞こえた声に、
朔は反射的に振り向く。
そこにいたのは――
針瀬悠。
私服姿。
制服の時よりも少し柔らかい印象で、
でも、視線はいつも通り真っ直ぐだった。
「……おはよう」
「おはようございます」
悠はそう言って、
一歩、近づく。
距離が、近い。
それだけで、朔の心拍が一段上がる。
「……待たせたか?」
「いいえ。私も、ちょうどです」
それは嘘じゃない。
でも、悠は少し早く来ていた。
約束の日。
遅れたくなかった。
それだけ。
悠は、じっと朔を見上げる。
「……先輩」
「ん?」
「今日は」
一拍。
「一緒にいられる日、ですよね」
「……そうだな」
それだけで、
悠の表情がはっきりと緩む。
そして、ためらいなく――
朔の腕に、抱きついた。
「……っ!?」
朔の体が、一瞬で固まる。
「ゆ、悠!?」
「はい」
悠は顔を上げて、まっすぐ言う。
「今日は、触ってもいい日だと思ったので」
理屈が、強すぎる。
「……誰が決めたんだ」
「私です」
「即決か」
「はい」
朔の脳が追いつかない。
人目。
距離。
心臓。
全部が一気に主張してくる。
「……嫌ですか?」
真正面からの問い。
逃げ道は、ない。
「……嫌じゃない」
「……よかったです」
悠はそう言って、
少しだけ力を込めた。
ぎゅ、と。
腕に伝わる体温。
近い。
近すぎる。
「先輩、あったかいですね」
「……暑くないか」
「全然です」
「……そうか」
朔は、どうしていいか分からず、
とりあえず動かないことを選んだ。
(……これが、デート)
頭が、ようやく現実を認識する。
⸻
歩き出しても、
悠は腕を離さなかった。
並んで歩くというより、
寄り添っている。
「……離れなくていいのか」
「今日は、離れない予定です」
「予定って……」
「楽しみにしてたので」
即答。
心臓に、砂糖を直接流し込まれる感覚。
店を覗くたび、
悠は朔の袖を引く。
「先輩、あれ可愛いです」
「……そうだな」
「一緒に見るの、楽しいです」
「……そうか」
言葉の一つ一つが、
まっすぐで、飾りがない。
なのに、
重い。
雑貨屋の前で立ち止まる。
「……先輩」
「ん?」
「今日、私、嬉しいです」
「……まだ始まったばかりだろ」
「始まった時点で、嬉しいです」
そう言って、
悠は少しだけ身を寄せる。
肩が、当たる。
「……近いな」
「はい」
「……離れないのか」
「はい」
迷いがない。
朔は、軽く息を吐いた。
「……参ったな」
「降参ですか?」
「……たぶん」
「よかったです」
悠は微笑んだ。
その笑顔は、
勝ち誇っていない。
ただ、嬉しそうだった。
⸻
クレープ屋の前。
「先輩、これ食べたいです」
「……甘すぎないか」
「甘いの、好きです」
「……俺も、嫌いじゃない」
並んで注文する。
受け取ったクレープを、
ベンチに座って食べる。
「……先輩」
「なんだ」
「こっち、クリーム多いです」
「……ほんとだな」
「交換します?」
「いいのか」
「はい」
自然な流れで、
クレープを差し出す。
指が、触れる。
一瞬。
それだけで、
朔の心臓が跳ねる。
「……悠」
「はい?」
「……わざとか」
「……少し」
正直。
悠は、悪びれない。
「先輩がドキドキしてるの、分かるので」
「……分かるな」
「はい」
悠は、少しだけ声を落とす。
「……嬉しいです」
その言い方が、
朔の胸を締め付ける。
「……俺は」
一拍。
「……どうしたらいい」
「一緒にいてくれたら、それで」
即答。
条件が、低すぎる。
「……それだけでいいのか」
「それ以上は、これからでいいです」
その“これから”が、
はっきり未来を含んでいて。
朔は、何も言えなくなる。
⸻
食べ終わった後、
悠は少しだけ間を置いてから言った。
「……先輩」
「ん」
「今日、デートですよね」
「……そう、だな」
「じゃあ」
悠は、ほんの一瞬だけ、
朔に抱きついた。
本当に、一瞬。
「……ありがとうです」
「……なんで礼を言う」
「一緒に来てくれたので」
「……当たり前だろ」
そう言いながら、
朔は逃げなかった。
その背中に、
そっと手を置く。
悠の体が、わずかに震える。
「……先輩」
「ん」
「今、すごく幸せです」
それは、
確信に近い声だった。
朔は、少しだけ迷ってから言う。
「……そうか」
それ以上、言えない。
でも、
その一言で十分だと、
悠は分かっていた。
二人は、まだ知らない。
この時間が、
どれだけ貴重か。
まだ、
誰も来ていない。
侵略も、
混乱も、
この先。
今はただ、
二人きり。
砂糖みたいな時間が、
静かに流れていた。
____________
任せて。
ここからは 壊すけど、壊しきらない。
二人の距離はもう戻らない状態で、
**周囲がなだれ込んでくる「侵略」**を、ドタバタとニヤニヤで描く。
――では行くよ。
⸻
第八話
誰かに必要とされる理由を、僕はまだ知らない
後半(侵略デート回/砂糖は止まらない)
二人で歩く時間は、思っていたよりも早く過ぎた。
クレープを食べ終わり、
雑貨屋をひと通り見て、
気づけば昼を少し回っている。
悠は、相変わらず朔の腕に軽く触れたまま歩いていた。
離れない。
でも、さっきほど強く抱きつきもしない。
――絶妙。
「……次、どこ行く」
朔が聞く。
「先輩の行きたいところで」
「……俺、こういうの詳しくないぞ」
「知ってます」
「即答だな」
「でも」
悠は少しだけ視線を上げる。
「一緒に考えるの、楽しいです」
「……そうか」
その一言で、
朔は「じゃあ」と歩き出した。
ゲームセンター。
音と光が溢れる場所。
「……うるさくないか」
「平気です。先輩の声、聞こえますし」
「近いからだろ」
「はい」
また即答。
クレーンゲームの前で立ち止まる。
「……取れそうか?」
「先輩、得意ですよね」
「なんで知ってる」
「湊先輩が言ってました」
「余計なことを……」
朔がコインを入れ、
アームを動かす。
真剣な横顔。
悠は、それをじっと見ていた。
「……先輩」
「今は話しかけるな」
「はい」
集中。
アームが下りて、
景品が少しだけ動く。
「……惜しい」
「もう一回やるか」
「はい」
二回目。
今度は、しっかり掴んだ。
ぬいぐるみが、落ちる。
「……取れた」
「すごいです」
悠は素直に拍手する。
「先輩、かっこいいですね」
「……それは言い過ぎだ」
「事実です」
朔はぬいぐるみを差し出す。
「……いるか」
「いいんですか」
「取ったし」
「……大事にします」
悠はぬいぐるみを抱きしめて、
一瞬だけ目を伏せた。
「……先輩」
「ん」
「今日、思ってたよりずっと……」
一拍。
「幸せです」
言葉に、重みがある。
朔は、どう返していいか分からず、
頭をかいた。
「……それは、よかった」
その瞬間。
「……は?」
背後から、聞き覚えのある声がした。
朔が振り返る。
そこにいたのは――
釘宮遥。
買い物袋を片手に、
完全に固まっている。
「……なに、これ」
視線が、
悠の腕、
朔との距離、
ぬいぐるみへと移る。
「……朔」
「……遥」
一瞬の沈黙。
悠は、ゆっくりと朔から一歩だけ離れた。
でも、距離は保たれている。
「こんにちは、釘宮先輩」
「……こんにちは、じゃない」
遥の声が、低い。
「なにしてんの」
「デートです」
悠は、はっきり言った。
遥の眉が、ぴくりと動く。
「……は?」
「朔先輩と」
「……聞いてない」
朔が口を開く。
「……言ってない」
「でしょ」
「……悪い」
遥は、深く息を吸って――
吐いた。
「……もういい」
そう言いながら、
視線を逸らす。
「どうせ、そういう日だと思ってたし」
「……え?」
「察するくらい、幼馴染なめないで」
その瞬間。
「やっぱりここだった」
さらに声が増える。
振り向くと、
槌見碧と糸井湊。
完全に揃った。
「偶然?」
朔が聞く。
「偶然だよ」
湊が即答する。
「たまたま週末で、たまたま駅前で」
「……絶対嘘だろ」
「細かいこと気にすんなって」
碧は、状況を一瞬で把握した。
そして、静かに微笑む。
「こんにちは」
「……こんにちは」
空気が、一気に賑やかになる。
「いやー」
湊が楽しそうに言う。
「これは完全にデートだね」
「はい」
悠は否定しない。
「そうですね」
遥が頭を抱える。
「……強すぎ」
「何が」
「一年生のくせに」
悠は首を傾げる。
「好きなだけです」
「それが一番厄介なの!」
碧が一歩前に出る。
「ね」
「なに」
「せっかくだし、みんなで少し遊ばない?」
「……は?」
朔が素で驚く。
「デート中なんだけど」
「知ってるよ」
碧は穏やかに言う。
「でも、もう侵略されてる」
湊が笑う。
「抵抗は無意味だな」
「……お前、楽しんでるだろ」
「もちろん」
遥は少し考えてから、
肩をすくめた。
「……仕方ないでしょ」
「え?」
「ここまで来たら、みんなで行く」
「……いいのか」
「いいわけないけど」
一拍。
「逃げるのも癪だし」
悠は、朔の袖を軽く引く。
「……先輩」
「ん」
「一緒にいられますよね」
「……いるけど」
その返事で、
悠は満足そうに頷いた。
⸻
結局、
五人で回ることになった。
プリクラ。
「え、撮るの!?」
「撮るでしょ」
湊。
「記念だし」
「なにの記念だよ……」
悠は、迷いなく朔の隣に立つ。
距離が、近い。
「……寄りすぎ」
遥。
「仕様です」
悠。
「仕様じゃない!」
シャッター。
光。
笑い声。
ゲームセンターを出る頃には、
夕方になっていた。
駅前で、自然と足が止まる。
「……じゃあ」
湊が言う。
「そろそろ解散かな」
「そうだね」
碧が頷く。
遥は少しだけ黙ってから、
朔を見る。
「……ちゃんと帰れよ」
「お前もな」
それだけ。
碧は、悠に視線を向ける。
「……楽しかった?」
「はい」
悠は即答する。
「すごく」
それを聞いて、
碧は安心したように微笑んだ。
人が散っていく。
最後に残ったのは、
朔と悠。
少しだけ、気まずい沈黙。
「……デート、じゃなくなったな」
「はい」
悠は、少しだけ考えてから言う。
「でも」
一拍。
「一緒にいられました」
そして、
人目の少ない位置で、
そっと抱きつく。
今度は、長め。
「……好きです」
朔は、逃げなかった。
背中に、ゆっくり手を置く。
「……分かった」
それだけ。
それで、十分。
侵略されたデートは、
予定通りには進まなかった。
でも――
距離だけは、確実に縮んでいた。
それを、
誰も否定できなかった。




