19
憧れを口にする勇気/張り合う視線、ほどける空気
準決勝開始まで、残り二十分。
控室の空気は、静かに熱を持っていた。
初戦の浮つきはもうない。
二回戦の余韻も、少しずつ沈んでいく。
ここまで来ると、勝負の重さが違う。
勝ち負けの先に、もう一段“何か”がある。
条鋼凛は椅子に座ったまま、膝の上で指を絡めていた。
(……言わなきゃ)
二回戦の途中。
思わず漏れた声。
あの瞬間から、自分の中で何かが変わった。
変わったまま黙っているのは、嫌だった。
凛の視線は、自然と二人に向かう。
モニターの前に立つ、布上朔。
そして、その少し前――前線に立つ針瀬悠。
悠は、凛と同じ一年だ。
しかも、親友。
普段の悠は、真っ直ぐで、距離が近い。
好きという言葉も、臆面なくぶつけてくる。
けれど試合中の悠は別人みたいに鋭い。
“受け止める”ことに迷いがない。
凛は、それを二回戦で初めて真正面から見た。
朔の指示が一拍遅れた、あの瞬間。
悠は、前で踏ん張った。
そして朔は、迷いを抱えたまま戻ってきた。
(……司令塔と、前線)
(……繋がってた)
ただ強いだけじゃない。
ただ上手いだけでもない。
“信じる”って、こういうことなんだ。
凛は胸の奥が熱くなるのを感じた。
(……私も)
いつか。
いつか自分も、あの位置に立てたら。
司令塔という場所に。
でも――言うのは怖い。
恥ずかしい。
場が止まるかもしれない。
凛は深く息を吸った。
「……あの」
声が出た瞬間、控室の空気が一拍止まる。
全員の視線が、凛に向いた。
「どうした、凛」
蓮が穏やかに言った。
「……準決勝の前に」
凛は背筋を伸ばす。
「少しだけ、時間をもらってもいいですか」
蓮は迷わず頷いた。
「構わない」
凛は立ち上がった。
心臓がうるさい。
でも逃げない。
「……私」
声が少し震える。
「まだ、全然分かってなくて……」
「ゲームのことも」
「チームのことも」
「自分の役割も」
一拍。
凛は、朔を見る。
そして――悠を見る。
「……でも」
言葉が喉につかえそうになるのを、飲み込む。
「司令塔って……」
「布上先輩みたいな人なんだって」
「思いました」
朔がわずかに目を見開く。
「……全体を見て」
「迷って」
「それでも決めて」
凛の声は、少しずつ落ち着いていく。
「……怖いのに」
「前に立って」
拳を、ぎゅっと握った。
「それを……」
少しだけ言い淀む。
「悠が前で、受け止めてて」
悠の目が、ほんの少し大きくなる。
凛は続けた。
「……二人が繋がってるのが」
「すごくて」
喉が鳴る。
「……私」
一拍。
「そういう司令塔に、なりたいです」
控室が静まり返る。
「す、すぐじゃなくて……!」
凛は慌てて続ける。
「全然、まだ無理で……!」
顔が熱い。
「……でも」
最後に、しっかり言い切る。
「司令塔を、目指したいです」
言った。
言ってしまった。
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
でも次の瞬間――不安が押し寄せる。
(……変だった?)
(……今じゃなかった?)
「……は?」
最初に声を出したのは桜だった。
一拍置いて、桜が凛の前にずいっと出る。
「……なにそれ」
凛の肩がびくっと跳ねる。
でも。
桜は次の瞬間、破顔した。
「最高じゃん」
「え……?」
「だってさ」
桜は腰に手を当てて笑う。
「それ、逃げてない目標だよ?」
「憧れを」
「ちゃんと言葉にして」
「その場で言えるの」
凛の顔を覗き込む。
「めちゃくちゃ“部員”じゃん」
凛の目が潤む。
「……っ」
「……本当に、すごいよ」
斎が少し照れたように言った。
「俺なら言えない」
「特に、先輩たちの前だと」
斎は蓮と桜と樹をちらっと見る。
「なおさら」
樹が淡々と続ける。
「司令塔に必要なのは」
「視野、判断、責任」
一拍。
「今の発言は」
「少なくとも“責任感”がある」
蓮が穏やかに頷いた。
「いい目標だ」
「時間はかかる」
「でも、価値はある」
凛は息を吸う。
「……ありがとう、ございます」
その時。
「……凛」
悠が、ぽつりと声を出した。
凛が振り向くと、悠は少しだけ照れたように視線を逸らしている。
普段の“砂糖吐く悠”じゃない。
「……さっきさ」
悠は小さく笑った。
「私のこと言ったでしょ」
「え、う、うん……」
「……うれしい」
短い一言。
それだけで凛の胸が温かくなる。
「私、前で踏ん張るの好きだけど」
悠は朔を見る。
「先輩の声がないと、踏ん張れない時もある」
「だから」
凛に戻る。
「凛が“繋がってた”って言ってくれたの、すごくうれしい」
凛の喉が鳴る。
「……悠……」
悠は、いつもの笑みを少しだけ取り戻して言う。
「司令塔、目指すなら」
「私、めっちゃ応援する」
一拍。
「だって凛、負けず嫌いだし」
「本気になったら、すごいもん」
「そ、そんなこと……」
「ある」
悠が即答する。
「私は知ってる」
桜が「え、なにそれ青春」とか言いかけて、蓮に肘で止められる。
場がふっと和らぐ。
そして最後に――
「……俺は」
朔が、少し困ったように言った。
凛の心臓が跳ねる。
「そんな、すごい司令塔じゃない」
視線を逸らす。
「迷うし」
「間違えるし」
「正解か分からないまま決めてる」
一拍。
でも、凛を見る。
「……でも」
「そうやって“なりたい”って言われるのは」
一瞬、言葉を探して。
「……正直、嬉しい」
凛の胸がいっぱいになる。
「……はい」
声が震える。
でも、顔は前を向いていた。
逃げなかった。
言葉にした。
それだけで、もう十分だった。
⸻
その頃、観客席へ戻る通路。
「ねえねえ!」
翠が元気に言う。
「うちの湊、かっこよかったでしょー!」
「……うるさい」
遥が即答する。
「でも事実じゃん!」
翠は胸を張る。
「ついていくだけじゃなくて、ちゃんと“勝ち筋”作ってた!」
「それは認める」
碧が静かに言った。
「でも、試合を動かしてたのは朔だよ」
遥がぴくりと反応する。
「……幼馴染として言わせてもらうけど」
「朔は昔から、ああいう人」
「知ってる」
碧は一歩も引かない。
「だからこそ、“今”を選び続けてる」
空気が、ぴりっと張る。
「隣に立ってるのは私」
遥が言う。
「一歩引いて支えるのは私」
碧が返す。
視線が、正面でぶつかる。
「ちょっとちょっと!」
翠が割って入る。
「二人とも朔ばっかじゃん!」
「湊もすごいからね!?」
「私の彼氏だからね!?!?」
二人が同時に顔を逸らす。
「……別に」
「……張り合ってない」
「はいはい」
翠が肩をすくめて笑う。
「仲良しだねー」
遥がむっとする。
「……仲良くない」
「……仲良いよ」
碧が静かに返す。
「ほら」
翠がにこにこしながら言う。
「言い方がもう仲良し」
三人は、顔を見合わせて――
小さく息を吐いた。
「……戻ろ」
遥が言う。
「そうだね」
碧が頷く。
「準決勝、始まるよ!」
並んで観客席に戻る。
笑いながら。
火花を残したまま。
⸻
司令塔を目指す少女がいて。
背中で示す少年がいて。
前で受け止める親友がいて。
張り合いながら応援する三人がいる。
布上朔は、まだ知らない。
誰かに必要とされる理由を。
でも。
その背中が、
憧れになり、
信頼になり、
火花の種になり、
笑い話になるほど――
確かに、誰かの中心にあることだけは。
もう、疑いようがなかった。




