17
二回戦決着/声が出た瞬間
二回戦の試合画面は、初戦よりもずっと冷たく見えた。
相手の動きが速い。
判断が早い。
崩れない。
こちらが何かを仕掛けても、
すぐに“正しい返し”が返ってくる。
控室の空気が、じわじわと重くなる。
「……硬いな」
湊が小さく言った。
「相手、崩れない」
樹が淡々と続ける。
「崩れないっていうか、隙を作らないタイプ」
斎が珍しく言葉を選ぶ。
朔は、画面を見つめたまま、短く息を吐いた。
(……強い)
そして、もう一つ。
(……俺が、迷ってる)
第16話で芽生えた“判断の遅れ”が、
まだ完全には消えていない。
それは致命傷じゃない。
でも、相手が強いほど、ほんの一瞬が致命傷になる。
「針瀬、無理に耐えなくていい。位置、戻して」
朔が言う。
「……はい」
悠の返事は早い。
早いけれど、
その声の奥にある“信じきっている感じ”が、
今日の朔には少しだけ重かった。
(……期待されてる)
分かっている。
だからこそ、怖い。
⸻
観客席。
三人の温度差は、はっきりしていた。
「……相手、上手いね」
碧が静かに言う。
「うん」
遥は短く頷く。
画面から目を離さない。
「え、え、これ大丈夫!?」
翠が珍しく声を落とした。
「湊、いける……!?」
「大丈夫かどうかじゃない」
遥が小さく言う。
「朔が……今、迷ってる」
碧の指先が、膝の上でぎゅっと握られた。
(……分かる)
碧にも分かる。
朔の声が、ほんの少しだけ慎重すぎる。
安全策が増えている。
それは“優しさ”にも似ていた。
傷つけないための。
失敗しないための。
でも勝負の場で、それは“鈍さ”になる。
⸻
試合は、じりじりと削り合いになっていく。
小さな有利を取り、取り返され、
大きな崩れはないまま、
時間だけが減っていく。
「……来る」
樹が言った。
相手が仕掛けてきた。
鋭い。
迷いがない。
「針瀬、下がって――」
朔の声が出かけて、止まる。
(……下がったら、押し切られる)
(……でも、耐えたら)
一拍。
その一拍が、重い。
「――っ!」
控室の端で、声が漏れた。
条鋼凛だった。
自分でも驚いたように口元を押さえる。
(……あ)
画面の中で、相手の圧が強まる。
悠が踏ん張っている。
朔の指示が、一瞬遅れた。
胸がぎゅっと締めつけられる。
「……大丈夫……!」
小さな声。
でも、確かに出た。
隣にいた神々桜が、ぴたりと動きを止める。
「……え?」
桜は凛を見る。
驚いた顔。
それから、少しだけ笑った。
「……凛ちゃん、今、声出たね」
「……っ」
凛は顔を赤くして俯く。
「す、すみません……」
「謝ることじゃないでしょ」
桜は軽く肩を叩く。
「それ、応援だよ」
凛はもう一度モニターを見た。
胸の奥がまだざわざわしている。
(……負けてほしくない)
それだけは、はっきりしていた。
桜は、凛の肩に置いた手を離し、
いつものテンションに戻す――戻すけれど、少しだけ違う。
「よーし!」
桜は声を落として言った。
「ここ、耐えたら勝てるよ。大丈夫」
いつも騒がしい先輩が、
今だけは静かに背中を押す。
凛は、そのことが妙に嬉しかった。
⸻
「……っ」
朔は、その小さな声を聞いていた。
凛が声を出したこと。
桜先輩が一瞬驚いたこと。
全部、視界の端で分かってしまう。
(……みんな)
みんな、見てる。
みんな、同じ場所で、同じ勝負を抱えてる。
それなのに、自分だけが迷っていいわけがない。
朔は息を吸った。
「……針瀬、耐えすぎるな」
声が、変わる。
「一歩前。相手の視線切る」
「はい!」
悠が即座に動く。
「湊、左。今だ」
「了解!」
朔の指示が、迷いを捨てる。
怖さを消すんじゃない。
怖さを抱えたまま、決める。
それが、司令塔の仕事だ。
相手が一瞬だけ揺れた。
その揺れを、朔は逃さない。
「詰める」
短い一言。
画面の中で、流れが傾く。
観客席。
「……来た」
遥が呟く。
碧が息を飲む。
翠が両手を握りしめた。
「行け……!」
⸻
最後は、ほんのわずかな差だった。
相手の最後の抵抗。
こちらの耐え。
そして。
勝利表示。
一瞬、世界が止まって――
「よっしゃああああ!!」
桜が真っ先に叫んだ。
「勝った!!勝ったーー!!」
「うるさいっすよ、桜先輩!」
斎が叫び返す。
「勝ったんだからいいでしょ!!」
蓮が穏やかに笑う。
「よくやった」
樹は淡々と頷く。
「布上、判断が戻った」
「……ああ」
朔は息を吐いた。
手が少しだけ震えている。
でも、今度は違う。
(……迷っても、勝てる)
そういう実感が、胸の奥に残った。
⸻
悠がすぐ隣に来る。
「先輩」
「……ん」
「……迷ってましたよね」
言い当てられて、朔の胸が跳ねる。
「……ああ」
朔は正直に頷いた。
悠は、少しだけ微笑んだ。
「でも」
一拍。
「戻ってきました」
その言葉が、救いになる。
期待が重いんじゃない。
期待の形が“信頼”なら、背負える。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
悠はさらっと言う。
「好きです」
「……今言うな」
「今だから言います」
朔は苦笑してしまった。
桜が横から茶々を入れる。
「はいはい距離ゼロ!」
「桜先輩、今は黙ってください」
斎がツッコむ。
「黙らない!勝ったから!」
控室が笑いに包まれる。
その笑いの端で、凛は小さく息を吐いた。
(……声、出ちゃった)
恥ずかしい。
でも、不思議と嫌じゃない。
桜が凛の顔を覗き込む。
「凛ちゃん、さっきの“大丈夫”よかったよ」
「え……」
「応援って、そういうのだよ」
凛は頷いた。
「……はい」
胸の奥が、少しだけ温かい。
同じ部員。
同じ円の中。
その意味が、ほんの少しだけ分かった気がした。
⸻
観客席。
翠が立ち上がって叫ぶ。
「やったーー!!湊ーー!!」
遥は小さく息を吐いた。
「……よかった」
碧は、少し遅れて頷く。
(……迷っても、戻ってこれる)
朔は、そういう人だ。
だから好きなんだ、と。
碧は胸の奥で、静かに認めてしまう。
遥は、そんな碧を横目で見て、
何も言わなかった。
言わないまま、視線を前に戻す。
幼馴染として、今は黙って見守る。
それが、遥の選択だった。
⸻
控室の入口で、知世が手を叩いた。
「はいはい、勝ってるから先生機嫌いい」
「飲み物奢る」
「ただしルール守ってね」
一拍置いて、笑う。
「……次も勝ってきな」
その言葉で、全員が背筋を伸ばす。
二回戦突破。
でも、まだ終わりじゃない。
勝負は続く。
恋も続く。
布上朔は、まだ知らない。
誰かに必要とされる理由を。
でも。
迷いながらでも前に立つ自分を、
誰かが見て、声を出してくれた――
その事実だけは、確かに胸に残っていた。




