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誰かに必要とされる理由を、僕はまだ知らない  作者: 優未緋


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12/20

12


 生徒会室は、放課後になると妙に音が減る。


 昼間は廊下の足音や話し声がガラス越しに入ってくるのに、

 放課後は部活へ散っていく流れに吸い取られるみたいに、

 ここだけが少し取り残される。


 槌見碧は机に向かったまま、淡々と書類に目を通していた。


 提出期限。

 添付漏れ。

 部活名の記載ミス。


 修正。

 確認。

 署名。


 いつもの作業。

 いつもの手順。


 なのに今日は、指先が少しだけ重い。


(……気のせい)


 碧はそう思おうとした。

 思おうとして、ふとペン先が止まる。


 視界の端に、付箋が貼られた紙が見えた。


 提出先:eスポーツ部


 それだけで、胸の奥がほんの少しだけ鳴る。


 ドクン、ではない。

 トン、と軽い音。


(……仕事だよ)


 碧は自分に言い聞かせるように、書類の束を揃えた。


 理由はある。

 生徒会役員としての業務。

 部活の提出物を回収し、必要なら確認を入れる。


 十分に正当。


 だけど――


(……それでも、行く)


 自分の足が向かうことを、

 碧はもう否定しなかった。



 部室棟に向かう廊下は、夕方の匂いがする。


 窓の外の空は薄くオレンジで、

 遠くの運動部の掛け声が風に混ざる。


 eスポーツ部の前で、碧は足を止めた。


 扉の向こうは賑やかだ。


「え、今の見た!?」

「見た見た!」

「布上、今の判断やばいって!」


 女子の声も混じっている。


 神々桜。

 相変わらず元気だ。


(……入る前から分かるな)


 碧は一度、深呼吸してからノックした。


「失礼します」


 扉を開けると、部室の空気が一気に肌に触れる。


 モニターの光。

 キーボードの音。

 椅子の軋み。


「お、槌見さん!」

 斎が先に気づいて声を上げた。


「生徒会の書類を持ってきました」

「いつもありがとー!」

 桜が手を振る。


「桜、落ち着け」

 蓮が苦笑しながら制す。


「はいはい。碧さん、こっち置いといて」

 顧問の神々知世が、椅子にだらんと座ったまま手を振った。

 今日もゆるい。今日も通常運転。


「ありがとー。助かる」

「いえ」


 碧は書類を蓮に渡す。


 それで終わるはずだった。


 ――はずだったのに。


 視線が、自然と向いてしまう。


 布上朔。


 画面の前に座り、マウスを持つ手は落ち着いている。

 練習中のスイッチが入っているわけではないのに、

 姿勢がいつもより少しだけ整って見えた。


 その隣。


 針瀬悠がいた。


 距離は、近い。

 でも、べったりではない。


 ただ、そこが“定位置”みたいに自然だった。


(……日常になったんだ)


 碧は心の中で、そう言葉にする。


 驚きはない。

 理解はある。


 でも、胸の奥に小さな痛みが残る。


 気づかないふりをするほど鈍くない。


「……碧先輩」


 悠の声。


 碧が顔を上げると、悠が丁寧に頭を下げた。


「この前の生徒会の調整、本当に助かりました」

「ああ、あれね。気にしなくていいよ」

「でも、ありがとうございます」


 悠は真っ直ぐだ。

 飾らない。

 押し付けない。


 碧はその“真っ直ぐさ”を、

 苦手じゃないどころか、少し眩しいと思っていた。


「……どういたしまして」


 そのやり取りを、朔が見ていた。


 声を挟まない。

 ただ、穏やかに見ている。


 碧は、その視線に胸が少しだけ温かくなるのを感じて――

 同時に、苦しくなる。


(……好きだな)


 改めて思ってしまった。


 好きだから苦しい、なんて、

 分かりきったことなのに。



 練習が始まる。


 碧は部室の隅、邪魔にならない場所に立って様子を見る。


 朔の“スイッチ”が入る瞬間は、何度見ても分かりやすい。


 顔つきが変わる。

 声が変わる。

 目が変わる。


「前線、あと二秒耐えて」

「はい」

 悠の返事が早い。


「湊、今は突っ込むな。回ってから」

「了解」


 指示が的確だ。

 迷いがない。


(……やっぱり、すごい)


 碧は何度も思ってきた。


 朔は普段、目立たない。

 教室でも控えめ。

 自分を低く見積もる癖がある。


 でも、ここでは違う。


 ここでは、

 朔の判断が“中心”になる。


 その中心に、悠がいる。


 支えるように。

 合わせるように。

 しかし、折れないように。


 チームの勝利が決まる。


 桜が大げさに椅子を蹴り、盛大に拍手する。


「はい優勝ー!」

「練習だよ」

 斎が突っ込む。


「でも今の綺麗すぎた!」

「うん、布上の判断が早い」

 樹が淡々と補足した。


 知世が気だるそうに拍手する。


「まーた勝ってる。いいねぇ。先生、機嫌よくなる」


 碧は小さく笑う。


 部の空気が、いい。


 だからこそ――


(……ここは、安心できる場所なんだ)


 朔にとっても。

 悠にとっても。


 そして、碧にとっても。


 だから、余計に厄介だった。



「……碧」


 横から声がして、碧は振り向いた。


 釘宮遥。


 ショートボブの髪が、軽く揺れている。

 腕を組んだまま、部室を眺めていた。


「来てたんだ」

「仕事」

「うん、仕事」


 遥が、わざとらしく頷く。


 碧も、わざとらしく頷く。


 そのやり取りだけで、

 二人は“同じものを見ている”と確認できてしまう。


「……どう思う」

 遥が小さく聞いた。


「なにが」

「今の」


 遥は顎で、朔と悠の方を示した。


 碧は少し考えてから答える。


「……変わったね」

「でしょ」


 遥は、軽く鼻で笑う。


 でも、目は笑っていない。


「一年生、強い」

「うん」


 碧の返事は短い。


 短いのに、

 そこにはいろいろな意味が詰まってしまう。


「……私はさ」

 遥が言う。

「止める気はない」

「知ってる」

「でも、譲る気もない」

「……それも知ってる」


 碧は、少しだけ笑ってしまった。


「遥、素直じゃないね」

「碧もね」


 遥は碧を見る。


 その視線が、鋭い。


「……碧は」

 一拍。

「どうなの」


 碧は答えない。


 答えられない。


 沈黙が落ちる。


 遥はそれ以上聞かなかった。

 それが、親友の優しさだと分かる。


 優しさが、痛い。



 練習が終わる。


 片付けの時間。


 朔が椅子を戻す。

 湊がコードをまとめる。

 斎が雑談しながら机を拭く。

 蓮が軽く次の予定を確認し、知世は「勝ったから今日は良し」と適当に頷く。


 いつもの空気。


 そして、悠は――

 いつものように朔の近くにいる。


 袖を軽く掴む。

 近くで話す。

 小さく笑う。


 距離ゼロが、もう当たり前。


 碧は、その光景を見て――

 胸の奥が、じわりと痛んだ。


(……あ)


 初めて、はっきり痛い。


 感情の正体が、輪郭を持つ。


 碧は自分の中で、静かに認めてしまった。


(……私は)


 支える側でいたかっただけじゃない。


 近くにいたかった。


 言い換えれば。


 ――選ばれたかった。


 それを口にした瞬間、

 何かが壊れそうで、碧は目を伏せた。


(……でも、壊さない)


 壊さないと決める。


 決めたから、

 次にできることを選ぶ。



 碧は、ゆっくりと朔に近づいた。


「……朔」

 呼び方は、自然に“名前”になった。


 朔が顔を上げる。


「碧?」

「少し、話せる?」


 悠が一瞬だけこちらを見る。


 でも、何も言わない。

 表情も変えない。


 その配慮が、碧には分かってしまう。


(……強い)


 だからこそ、弱くなる。


 朔が頷く。


「……いいよ」


 部室の外へ出る。


 廊下の空気が少し冷たい。


「……最近、賑やかだね」

 碧が言う。

「……自覚はある」

 朔は苦笑した。


「疲れてない?」

「疲れてないと言えば嘘だな」


 正直。


 碧は、その正直さが好きだった。


「ね」

 碧は言葉を選ぶ。

「自分の気持ち、後回しにしすぎないで」


 朔が黙る。


 碧は続ける。


「誰かを傷つけないように、って考えるのは優しい」

「でも、優しさって」

 一拍。

「自分を置いていくと、空っぽになるよ」


 言ってから、

 少しだけ自分の胸が痛む。


 それは、朔のための言葉なのに。

 同時に、碧自身のための言葉でもあるから。


 朔が小さく頷いた。


「……ありがとう」

「ううん」


 碧は笑おうとして、

 うまく笑えなかった。


 朔が続ける。


「碧には、いつも助けられてる」

「……またそれ」

「本当だ」


 その言葉は、優しい。


 でも――

 優しいからこそ、残酷だ。


 碧は一度、目を伏せた。


「……ね、朔」

「ん?」

「“助けられてる”って言葉」

 一拍。

「私、好き」


 ここで告白はしない。

 でも、気持ちは隠しきらない。


 碧は少しだけ笑う。


「だから、あんまり軽々しく言わないで」

「……ごめん」

「謝らないで。嬉しいから言ってるの」


 朔は何も言えずに黙る。


 その沈黙が、

 碧にはありがたかった。


 無理に言葉で片付けないでくれるから。



 別れ際。


 部室の前に戻ると、

 中から桜の声が聞こえた。


「え、今日も勝てる!?勝てるよね!?」

「練習だから」

「練習でも勝て!」


 いつもの騒がしさ。


 碧は深呼吸して、

 いつもの顔に戻る。


「じゃ、またね」

「うん」


 朔が部室に戻る背中を見送って、

 碧は心の中で決める。


(……私は)


 まだ奪わない。

 まだ壊さない。


 でも。


(……支えるだけでも、終わらせない)


 この気持ちは、しまい込まない。


 しまい込まないで、

 自分の中で育てる。


 いつか、必要な時が来たら――

 その時は、ちゃんと出す。


 碧は、廊下を歩き出した。


 誰かに必要とされる理由を、朔はまだ知らない。


 けれど、

 その理由のひとつに自分がなれるように。


 碧は、静かに前を向いた。


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