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誰かに必要とされる理由を、僕はまだ知らない  作者: 優未緋


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10/22

10


 朝の駅前は、いつもと同じ騒がしさだった。


 改札を抜ける人の流れ。

 少し眠そうな顔。

 制服の擦れる音。


 布上朔は、その中で立ち止まっていた。


(……いない)


 無意識に、視線が周囲を探してしまう。


 いつの間にか、

 そこにいるのが当たり前になっていた存在が、今日は見当たらなかった。


「……遅刻、か?」


 自分でも理由がよく分からないまま、

 そう呟いた時だった。


「……なに、キョロキョロしてんの」


 少し低めで、聞き慣れた声。


 振り向くと、

 釘宮遥が立っていた。


 ショートボブの髪は、朝の慌ただしさのせいか、

 少しだけ外側に跳ねている。

 それを耳にかけながら、

 じとっとした目でこちらを見ていた。


「……おはよう」

「おはよ」


 それだけで、空気が落ち着く。


 特別な言葉はない。

 でも、変に気を張らなくていい。


「……悠、いないんだな」

「今日は用事あるって言ってた」

「そうなのか」

「たぶん、遅れる」


 必要な情報だけ。


 それ以上も、それ以下もない。


 その距離感が、

 幼馴染だった。


「……久しぶりだね」

 遥が言う。

「こうやって二人で行くの」

「……ああ」


 歩き出す。


 自然に、並ぶ。


 肩は触れない。

 でも、離れてもいない。


 昔から変わらない距離。


 悠と並ぶ時の、

 あの“近さ”とは明確に違う。


(……楽、だな)


 思ってしまって、

 朔は小さく眉を寄せた。


 楽だと感じることが、

 少しだけ後ろめたくて。


「……今、変な顔してる」

「そうか?」

「してる」

「……気のせいだ」

「絶対違う」


 遥はそう言って、

 小さく笑った。


 その笑い方も、

 昔と同じだった。



 電車に乗る。


 混雑した車内で、

 遥は自然に朔の隣に立つ。


 つり革を掴む距離。

 揺れた時に、少しだけ近づく。


 でも、

 触れない。


 そこは、越えない。


「……最近さ」

 遥が、前を見たまま言った。

「朝、賑やかだったでしょ」

「……そうか?」

「自覚ないんだ」

「……ない」


 遥は、鼻で小さく笑う。


「まあ、そうだよね」


 それ以上、踏み込まない。


 少し間を置いてから、

 ぽつりと続ける。


「……一年生の子」

 一拍。

「大事にされてるよね」


 名前は出さない。


 でも、

 誰のことか分からないほど、鈍くはない。


「……ああ」

「ふーん」


 遥は、それ以上何も言わなかった。


 責めない。

 探らない。


 でも、

 話題を終わらせたのは遥だった。


(……俺から、言ってるな)


 聞かれてもいないのに、

 自分から答えてしまったことに、

 朔は内心で気づく。


 悠の存在を、

 もう隠していない。


 それが、少しだけ怖かった。



 学校に着く。


 校門をくぐると、

 いくつかの視線がこちらを向く。


 でも今日は、

 昨日ほど露骨じゃない。


 理由は単純だ。


 距離が、普通だから。


「……なんか」

 遥が言う。

「今日は平和だね」

「……そうだな」


 教室へ向かう廊下。


 遥の歩く速度は、

 少しだけゆっくり。


 急かされない。

 置いていかれない。


「……朔」

「ん?」

「最近さ」


 一瞬、言葉を選ぶ。


「……ちゃんと寝てる?」

「急だな」

「顔」

「……普通だろ」

「普通だけど」


 遥は、ちらっと朔を見る。


「前より、ちょっとだけ安心してる顔」

「……そうか?」

「うん」


 幼馴染にしか分からない変化。


 だからこそ、

 胸の奥に、静かに刺さる。


 朔は、返事ができなかった。


 理由が分からないからじゃない。

 理由を、認めたくなかったから。



 教室前。


 チャイムが鳴る前に、

 二人は自然に足を止める。


「じゃ」

「おう」


 別れ際。


 遥は、ショートボブの髪を耳にかけてから、

 何でもない調子で言った。


「……放課後、時間ある?」

「……部活」

「そっか」


 それだけ。


 引き止めない。

 でも、離れもしない。


 その立ち位置が、

 遥の本気だった。


 朔は教室に入りながら、

 ふと思う。


 悠といる時は、

 心臓がうるさい。


 遥といる時は、

 呼吸が自然になる。


(……どっちも、違う)


 どっちが正しい、じゃない。


 どっちも、

 今の自分に必要な距離だ。


 それに気づいてしまったことが、

 何よりも厄介だった。


 教室の窓から差し込む朝の光が、

 朔の足元を照らしていた。




 放課後のチャイムが鳴ると、教室の空気が一気に緩んだ。


 机を叩く音。

 椅子を引く音。

 誰かの笑い声。


 その中で、布上朔はゆっくりと立ち上がる。


(……部活)


 いつも通りの予定。

 いつも通りの流れ。


 そう思っていたのに。


「……朔」


 背後から呼ばれて、足が止まる。


 振り向くと、

 釘宮遥が立っていた。


 ショートボブの髪が、少しだけ揺れる。

 朝よりも整っているのに、

 どこか落ち着かない。


「……なに」

「一緒に、帰らない?」


 一瞬、言葉に詰まる。


「……部活」

「知ってる」

「じゃあ……」

「駅まででいい」


 理由を用意していない言い方だった。


 ただ、

 一緒に歩きたいという事実だけ。


「……分かった」


 それ以上、断る理由はなかった。



 廊下を並んで歩く。


 人は多い。

 でも、二人の周囲だけ、少し静かだった。


 距離は、朝と同じ。


 近すぎない。

 遠くもない。


 悠と並ぶ時とは、違う。


「……なんか」

 朔が言う。

「今日は、やけに一緒だな」

「悪い?」

「……悪くはない」


 正直な答え。


 遥は、それを聞いても笑わなかった。


「……ねえ」

「ん?」

「土曜さ」


 一瞬、心臓が跳ねる。


 でも、遥は続けない。


「……楽しかった?」


 主語も、目的語もない。


 でも、

 何を聞いているのかは、はっきりしていた。


「……ああ」

 一拍。

「楽しかった」


 遥は、少しだけ視線を落とす。


「……そっか」


 それ以上、聞かない。


 でも、

 その一言に込められた感情は、

 決して軽くなかった。



 駅へ向かう道。


 夕方の光が、二人の影を長く伸ばす。


 懐かしい風景。


 遥が、ぽつりと笑う。


「……覚えてる?」

「なにを」

「中学の時」

「……急だな」

「朝練サボって、駅まで走ったやつ」


 思い出す。


 息が切れて、

 並んで歩いた帰り道。


「……あったな」

「その時さ」

 遥は少しだけ笑う。

「朔、今と同じ顔してた」

「……どんなだ」

「ぼーっとしてて」

「失礼だな」

「でも」


 一拍。


「……安心してる顔」


 胸の奥が、静かに鳴る。


「……そうか」

「うん」


 遥は立ち止まる。


 改札の少し手前。


 人の流れの中で、

 そこだけ時間が緩んだ。


 遥は、前を見たまま言う。


「……私さ」

「ん」

「今さら、何か変えようとは思ってない」


 言葉は、慎重だった。


「奪うとか」

「張り合うとか」

「そういうの、性に合わないし」


 遥は、ゆっくりと息を吸う。


「でも」


 そこで、初めて朔を見る。


 真正面。


「……まだ、朔の隣にいていいよね」


 問いかけなのに、

 迫る感じはない。


 答えを急かさない声。


 幼馴染だからこそ出せる距離。


 朔は、すぐに答えられなかった。


 否定は、できない。

 肯定も、はっきりとは言えない。


「……遥は」

 一拍。

「ずっと、隣にいたろ」


 それは、答えになっていない。


 でも、拒否でもない。


 遥は、その曖昧さを、

 ちゃんと受け取った。


「……そっか」


 少しだけ、口元が緩む。


「じゃあ」

「……ああ」


 改札を通る直前、

 遥は振り返らずに言った。


「……無理に追い越す気、ないから」

「……そうか」

「でも」


 一拍。


「置いていかれる気も、ない」


 それだけ言って、

 改札を抜ける。


 朔は、その背中を見送った。


 胸の奥に、

 何かが静かに残る。


 重くない。

 でも、消えもしない。


(……ずるいな)


 遥のやり方は、

 逃げ場を残す。


 でも、

 立ち位置だけは、譲らない。


 それが、

 幼馴染の本気だった。


 朔は、ゆっくりと改札を抜ける。


 この気持ちに、

 名前はまだつけられない。


 でも、ひとつだけ分かる。


 自分は今、

 選ばれているだけじゃない。


 選び始めている。


 その自覚が、

 静かに胸に広がっていった。


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