第8話 最初の依頼①
「はあはあ、ちょっと休憩……」
ルスの森へと向かう街道の途中、ララに声をかけてドサッと腰をおろす。
女になった影響だろう。以前よりも格段に疲れやすくなっている。さてはこの聖女長い間運動していなかったな。
「はあ、さっき休憩したばっかでしょうが。アンタのペースに合わせてたら一生着かないわ」
俺の懇願を無慈悲に一蹴し、ララはずんずんと前へ進んでいく。
むむむ、この全く鍛えられていない体のせいで俺は苦しんでるんだよ。そう思わず叫びたくなる。ただ言ったらどうなるか分かったものではない。
そのため俺はひっそりと心の中だけで毒づいておく。べ、別にララにビビってるとかじゃねーからな!
「こらっ、早く来なさいよ」
モタモタしていると前方から檄が飛んだ。
メルンを発って体感一時間ほど歩いているだろうか。俺の視界に映るのは延々と続く空と草原、そして遠くに見える森林だけ。景色は綺麗だ。ただ、全く楽しむ余裕はない。
ララの身体はちょっと歩いただけで足が痛くなるわ、息切れするわで大変だ。
なのに、元の持ち主は一切気にかけてくれない。
俺を置いて自分のペースで突き進んでいくのだ。ただ、ララに置いていかれたら土地勘のない俺など即死間違いなし。
足の悲鳴を無視して歩き続けるか、死ぬか。あまりに理不尽な二択に泣けてくる。
それでもなんとか涙をこらえて歩く。ほどなくしてララの高慢な口が動いた。
「着いたわよ」
そこは木が伐採され、鬱蒼とした森の中が見える場所だった。
ここがルスの森の入り口なのだろう。
よく目を凝らすと、かろうじて道と呼べる線が延びていた。
「広い……」
ルスの森は外から見ると緑の海のようだった。
光が吸い込まれていくような深い翠色が大地の雄大さと人間の住む場所でないと知らせている。
重たい威圧感、プレッシャーに呼吸が乱される。
「行くわよ」
ララの声も緊張のせいか硬くこわばっていた。俺はゆっくりと首を縦にふる。
勇気をもって一歩踏み出す。その瞬間、空気が変わった。先ほどまでの西洋を思わせるカラットした暑さから一転、微かな湿り気と冷たい風が肌をさす。
微かに通り抜ける風が葉を揺らし、森全体を揺らした。樹齢千年以上だろう。見上げるほどの大樹が連なる森は俺を歓迎していないように感じる。
先ほどから感じるどうしようもないプレッシャーから思わず一歩後ずさりした。ダメだ、ダメだ。空気に呑まれていては話にならない。
「ルナ草ってどんな見た目なの?」
俺は胸に押し寄せる切迫感から逃れようとララに話しかけた。
森の奥深くに自生していることは聞いているがヒントがそれだけでは探しようがない。
「見た目は普通の雑草と変わんないな。ただ、暗闇で青く光るからド愚図でもすぐ分かるから安心しなさい」
闇で輝く青ってなんかカッコイイな!
その中二心をくすぐる性質、悪くない。てか、俺のあだ名本当にド愚図のままなの?
ずっとそう呼ばれていたからスルーしてたけど。
勇者と聖女が相棒って説明は嘘だったに違いない。うん、絶対嘘だったはず……。
「アンタが魔法を使えるようになるともっと楽になるんだけど」
ララが恨めし気に俺を見る。あの日自分の体を治して以来、俺は魔法を使うことができないでいた。
ララ曰く、魔法の原理は空気中に漂う魔素という無形の物質を体内に宿る力――いわゆる魔力で火の玉や水の槍という形に作り直すことらしい。んで、異世界から来た俺は当然魔素なんて触れたことすらない。
だから、魔力はあっても、そもそも魔素を上手く取り入れることが出来ていないから魔法を使えないんじゃないかってさ。
ちなみに、ララは既に火魔法の発動に成功していた。
「俺だって時間が経てば魔法ぐらい使えるようになるもんね」
まだ、この世界では生後二日。実際この世界の子供が魔法を使えるようになるのは三歳ぐらいらしい。つまりまだまだこれからですよ。
それからもボソボソと喋りながら森を進む俺たちだったが、ふとララが深刻そうに口を開いた。
「アンタ段々女口調に……」
「お前もな……」
徐々に股間の空虚さ、胸の重みに慣れてきた――つまり体に慣れてきたところで不思議と口調も変わってきている。
別に意図してやっているわけじゃない。そりゃあ、心は男のままなんだから「~よ」とか「~わね」なんて使いたくない。
しかし、その口調が当然であるかのように俺の口は言うことを聞いてくれないのだ。意識していないと自然と女口調になってしまう。
「せめて二人きりの時は……」
俺の言葉は最後まで言わせてもらえなかった。
「伏せろ!」
ぐへっ、情けない声が漏れ出る。しかし、それを覆い隠すような炸裂音が森をこだました。
振り返れば、俺たちの後ろで木が粉々になっていた。投石ならぬ、投木だった。
伏せなければ死んでいた……その事実が脳に行き渡るまでそう時間は掛からない。なんだよ、これ!
普通車くらいの大きさはあるぞ。
「逃げるわよ!」
ララが俺の体を無理やり引っ張る。俺は立ち上がった時、見てしまった。
「……うそでしょ」
人間の二倍ほどの体格。丸太のような腕にやけに短く太い脚。
緑色の肌は筋肉の鎧で覆われている。そして、大蛇のように口先から出ている舌が気持ち悪い。
なにより、豚を思わせる醜悪な顔が目の前の生物が魔物だということを伝えていた。
「さっさと走れド愚図!」
俺の手を引っ張ったララが耳元で怒鳴る。自然と俺の足はオークと反対の方向、森の出口へと向かっていた。脳の電源が落ちたように頭が働かない。
全身から吹き出す汗は走っているからか、それともあの不気味な魔物を見たことが原因か。
「ちっ、オークと出くわすなんて!」
横で疾走するララが呻いた。
オーク――ゲームだったら吐いて捨てるほどいる雑魚モンスター。
あれが雑魚だと!
そんなハズない。きっとアイツが本気で俺を殴ったらこのか細い体なんて一瞬でミンチとなるだろう。
木々を避けながら、空から差し込む木漏れ日を頼りに全速力で走る。後ろからドスンッと音がすると同時に地面が揺れる。オークも確実に追ってきている。
奴の一歩が俺の心を震いあがらせる。音が聞こえるたびに体がこわばる。
だから、それは当然の結果だったかもしれない。暗い道に極度の緊張。俺は地面の倒木に気づくことなく足を躓かせた。
「あっ!」
気づいたときには体は地面に打ち付けられていた。早く立たなければ。
頭では分かってる。でも、足の神経にまでシグナルが伝わらない。
「なんでっ、なんでだよ……!」
涙が一筋零れた。音が近づく。
もう奴との距離はほとんどない。
動け、動いてくれよ……。