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おわりに

 実は本文中で触れているので敢えて註釈に加えないまま放置していた曲があります。曲名の後に『本文中に説明』と記しているものです。つまりこれから註釈に加える可能性のある曲ということです。また本文中で触れているので註釈に加えなくても良いという解釈もできる、という立ち位置にある曲です。ちょっと以下にあげてみますとこうなります。

『さよならぼくのともだち』、

『おとこのくせに泣いてくれた』、

『センチメンタル通り』、

『ピラビタール』、

『蒼き夜は』、

『淋しい素描』、

『地平線』、

『チィチィよハァハァよ』 、

『淋しい猫』、

『端午の節句』、

『海を見たいと思った』 、

『ニューヨークからの手紙』、

『ぼくは16角形』、

『サナトリウム』、

『ぼくのせいですか』、

『ぼくは流星になる』 


 以上16曲になります。これについて解釈を加えることは本文と重複するので避けたいのでですが、自分自身の頭の中を整理する意味でも敢えてその禁を犯します。


 『チィチィよハァハァよ』、『淋しい素描』、『地平線』、『淋しい猫』、『端午の節句』、この5曲は家族に関する曲だと思います。

 これらの曲を聞いて思うことは童子さんは両親に怯えながら育って来たのだと言うことです。はっきり言うと虐待です。ネグレクトもあるでしょう。なにかで声を出して笑ったら「ゲラゲラ笑うなっ」と怒鳴られたのでしょう。言い返すこともできず下唇を噛んで堪えるのです。それは大きくなっても夢にうなされて夢の中で泣いていたほどのトラウマになっていたということです。

 なんでもかんでも命令し逆らうことは許されない。理不尽なことも強要される。そんな子供時代だったのだと思うのです。だから自衛のために嘘をいうこともあったのです。悲しき嘘です。辛い時は窓ガラスに映った自分の顔を見て耐えるのです。時には海に行って死のうと思ったこともあったのかもしれません。

 はっきり言うと両親とも毒親だったという訳です。逆らうことは許されないからこれらの歌で訴えるときも逆らっていないように上手に胡麻化しているのです。

 特に『地平線』の1番は謎かけみたいです。母親はちっとも優しくないことをああいう歌い方をしたのです。初めて聞けば逆に受け取ってしまうような言い方です。

既に紹介ずみの『狼少年・ウルフボーイ』では放ったらかしにされ構われることがなかったから、自分の感情が死んでいるようなことを言ってました。母親は弟には愛情を注ぐけれど童子さんには差別的な接し方をしているともいえます。『淋しい猫』では弟も姉には冷淡になっていて、「(死にたかったら)死ねばいい」と言うような発言をしたらしいです。童子さんは淋しかったのだと思います。幼い頃は一緒にふろに入り、川遊びをして過ごした弟なのに、母親の差別的態度が移って辛くあたるようになったのでしょう。たんごの節句では鯉のぼりを上げ、菖蒲湯も入れる母親です。その気持ちの何分の一でも童子さんに向けることができなかったのでしょうか?

 『淋しい素描』でも毒親の父のことを分かりづらいように古風な表現で美文調に描写していますが、なかにし礼さんに絶縁されて行くところもなく、童子さんのところに上がり込んでごろ寝して落ち込んでいる姿なのです。でも分かりづらいように歌わなければいかなかったのですね、きっと。


 そんなときに出会ったのがAさんだったのでしょう。毒親に育てられると人や物に依存するような人格になると言われますが、童子さんはAさんに依存するようになります。また毒親への対策は離れて生活することだと言われますが、童子さんはその2つを実行しています。多摩川上水の方にあるAさんの小さなアパートの部屋に一緒に住むようになるのです。『おとこのくせに泣いてくれた』とか『ピラビタール』で歌われているようなことがあったのでしょう。けれど『さよならぼくのともだち』の5番にあるようなことがあって、6番のようにAさんは出て行ってしまうのです。7番のように童子さんに慕われながらです。『センチメンタル通り』はその辺のことを歌っています。そしてその後父親が借金をこしらえて全部なかにし礼さんに押し付けて逃げた時、童子さんは恐らく以前からなかにし礼さんの家に出入りして顔見知りだった前田亜土さんのところに転がり込むのです。Aさんはどこに行ったか分からないし、頼るところはなかったのですね、たぶん。

 『蒼き夜は』はAさんロスの中でできた歌だと思いますが、ほかの歌と同様に『死』を口にします。毒親のもとで育つと自分を大切にしなくなると言います。何故なら大切にされなかったからです。死にたいとか思う時点で、自分の人生を粗末にしていることになります。そうなってしまった童子さんがかわいそうでなりません。そして毒親に怒りを覚えます。

 Aさんのことを引きずっているうちに、月日が経っていつしか年上だったAさんが年下になってしまうのです。そして海を見に行くのですがもう若くはない自分が着ているコートの形が古いことに気づいて精神的に行き止まり状態になったのです。そうなるともういつまでもAさんを偲んではいられません。それが『海を見たいと思った』 だったのです。その後で行き止まりの海を越えてニューヨークに行き、『ニューヨークからの手紙』を歌うのです。私はこの『ニューヨークからの手紙』を聞いた時、さすがと思いました。

 残ったのは『ぼくは16角形』、『サナトリウム』、『ぼくのせいですか』、『ぼくは流星になる』 の4つですね。

 『ぼくは流星になる』 は3番までありますが、これを順序を逆にして3番、2番、1番と順に読んでみてはどうでしょう? 恐らく3番が原因で2番があるのではと考えられます。これは突っ込みづらいことなので詮索はやめたいとおもっているところです。『ぼくのせいですか』も17才ときの自分の分身に向かって海の出来事で(精神的に?)死んだのは自分の責任かと自問自答しているのです。17才のときに海で何があったのでしょう?この2件については詮索をやめたいと思います。というか全く推理する為の判断材料がないからです。

 『ぼくは16角形』は本文でも取り上げていますが、童子さんはこういう歌を通して自分の心の問題を表現することによって浄化し解決しようとしているのだと思います。『サナトリウム』もそうですね、きっと。これまでの自分を不治の病で死ぬ予定にして、新しい自分(素敵な女性)にバトンタッチしようとしている歌なのだと思っています。


 もう、これで全曲について解釈を終えたと思いますので、これで終わりたいと思います。

 あくまでも私個人の主観だらけの解釈ですが、今まで書いて来たこのエッセイ?をもう少し自分なりにまとめて整理し必要なことは書き加えて『森田童子全曲についての私見的解釈』とかいうお堅い題名の文章を完成させたいと思います。

 あくまでも私が個人的に完成させてプリントアウトして綴じたものを自分だけで持っていたいと思うので、その時には歌詞などを遠慮なく書きだして分かりやすく書いてみようと思います。この『なろう』の場ではここまでが限界かなと思っています。

 それでは今までお付き合いくださいました、数少ない精鋭?の皆様、ごきげんよう。

 もうこの文は書き加えることや更新することはないので、ここにご足労される必要はありません。

 ありがとうございました。

    

2025年4月18日

                       葉裏

読んで頂いた方ありがとうございました。感想など頂いたら嬉しいです。では。

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