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註40『a boy』

 註としては長くなりそうなので、別話として掲載しました。関係のないことを書いているようですが忍耐強く読んで頂ければ言わんとすることがお分かりいただけると信じています。また、ここに描かれている内容で童子さんのファンの方が怒るようなことがありましたら、それはご容赦下さい。一つの仮説であって決定論ではないことと、気に入らなければ無視・黙殺して頂ければと思っています。

 またオリジナル盤のサードアルバムを取り上げましたが、今回一緒に他のオリジナル盤についても言及しようかと思います。

 まず私自身のことを話しましょう。私は童子さんよりも4つ年上になります。たぶんAさんの年代に近いかと思います。Aさんのように太宰を読んでいる文学青年も親友にいました。でも私自身は太宰は苦手です。私はシェークスピアを読んだりしましたが、文学青年ではありません。ただ娯楽として読んでいただけです。

 私は70年安保のときに、仕方なしにデモに参加しました。でも周囲が〇〇派の学生寮にいたので、『自分は心情的には○○派だ』と言うことはありましたが、要するにノンポリでした。ノンポリというのは学生運動とかに全く無関心な層のことです。私はあたまでっかちなので、何故みんなが安保反対と言って興奮しているのか分かりませんでした。ですから表面は逆らわないようにしていましたが、運動そのものは一緒にしませんでした。頭が悪くてよく分からないとか言って避けていました。○○派の人たちは私のことを自分たちには好意的だが意識が低い一般学生に近い人間と見ていたようです。最後のデモのときだけはほぼ強制的に参加させられましたが。フランスデモと言って道路一杯に広がって歩くのをちょっとだけやらされましたが、道路交通法違反らしいです。先導的集団の〇〇派は私たち一般学生と違って、ジグザグデモをしました。それは御神輿みたいにスクラム組んで固まって道路をジグザグに走るやつです。そのリーダー格の人間は見てる前で逮捕されました。私は逮捕されるだろうな、それは、と思って見ていましたが、一応他の者と一緒に『官憲横暴』とか少しだけ声を上げました。しょうもない人間ですね。

 ですからその頃の年代の人たちから見れば私は問題外の人種だったかもしれませんね。

 当然私は中学校に上るまではラジオ世代でした。耳を通してラジオドラマを聞いたりしたものです。ですからテレビを見るようになってもラジオも聞いていました。笛吹童子、赤胴鈴之助、まぼろし探偵などもよく聞いていました。映画は怪人20面相、少年探偵団、月光仮面などを見ました。これで私の年齢がすっかり分かるでしょうか?

 テレビでは力道山のプロレスを楽しみに見ていましたし、その頃の洋物として西部劇が盛んに流されていました。お笑いものではジャック・ベニーショウ、レッド・スケルトン、ルーシーショウです。西部劇ではローハイド、ララミー牧場、拳銃無宿、ライフルマン……です。さあ。ここから核心の話になります。

 私は西部劇に出て来る少年の登場をいつも楽しみにしていました。西部劇の主人公は大人の男性であと重要なのはヒロインと悪役なのですが、刺身につくパセリ程度にあってもなくてもいいような立場で少年が出て来るのです。ですから出番がとても少なくてブラウン管に留まる時間が短いのです。それはきっと自分と同年代の子供だから親しみを感じたのかもしれません。でも少女も出て来てそれも楽しみだったのですが、ずっと見ているうちに何か私の心に変な感情が生まれるようになりました。私は同年代の少年たちを見ても何も感じないのですが、西部劇に出て来る少年を見ると胸がときめいてくるのです。その後でラジオ番組で『トムソーヤの冒険』というのをやりました。マーク・トゥーエンの小説をラジオドラマにしたものです。そして主人公のトムの声を聞くたびに胸がときめいて、胸の奥が痛くなる私自身に気づいたのです。もう分る方は気づいたと思いますが、当時は西部劇の少年役のアフレコもラジオドラマの少年役も声優は大人を使うことが多かったのです。とすれば声は全て女性の声優を使うことが多かったのですね。とすれば西部劇に出て来て吹き替えの日本語を話す外国人の少年は現実に存在するのでしょうか? ラジオドラマで女性が少年の言葉を話すトム少年は実際に見たり触ったりすることができるのでしょうか? できないのですね。初音ミクと同じく現実に存在しない、架空の存在なのです。つまり私は現実に存在しないものに反応していたのですね。それは男性でも女性でもない合成人間です。

 私より若い世代の男性の中に二次元の女の子にしか興味がないという人がいるのも同じ理由で、アニメの中の女の子に胸をときめかせたことが続いた為に、実際に存在しないものに反応するようになったということです。

 ある蝶々の話ですが、雌の羽根の表が黒で裏の色が赤だとします。すると裏表が黒と赤の色の四角い色紙を用意してピアノ線につけて空中にヒラヒラさせると雄の蝶々が寄って来るそうです。偽物の雌の蝶に惹かれてやって来るということです。形が違っても色だけで反応するのですね。

 少し話がくどくなりました。本文の方で書いたと思いますが、前田亜土さんは童子さんと結婚していたときには本来のイラストレーターの仕事とは別に芸能プロの事務所を開いていました。そのときに吹雪ジュンさんが事務所に所属していました。

 事務所の社長は前田亜土さんですが、そのときには義父の中西正一さんも共同経営者として入り込んでいたのです。その関係で風吹ジュンさんも待遇がひどかったようです。風吹ジュンさんは当時美人で有名だった新人女優さんで、その頃美人漫画で有名なバロン吉元さんを始め多くの漫画家が彼女の顔を漫画にしようと夢中になったと言います。ですから稼ぎや人気に比べて薄給だった風吹ジュンさんは不満だったところで他の事務所から好待遇の話を持ち掛けられたのです。それはならんということで、中西正一さんの顔が利くヤクザを使って相手の事務所の社長を暴行脅迫し、同時に吹雪ジュンさんをホテルの一室に閉じ込めて移籍阻止の説得を行ったそうです。その時には前田亜土さん、中西正一さんと一緒になかにし礼さんも同席していたとか。その後で脅迫暴行を受けた社長が電話で風吹ジュンさんに相手の言う通りにしなさいと言わされたのでヤクザから解放されたのですが、その後通報したので、警察がホテルに来て前田亜土さん以下3名を逮捕、吹雪ジュンさんを保護したのです。それが吹雪ジュンの監禁事件として報道され事務所兼住居にいた前田夫人も名前が新聞の片隅に載ったのです。この前田夫人というのが前田まえだ美乃生みのぶであり、旧姓名が中西なかにし美乃生みのぶつまり童子さんだったのです。そして森田童子として同じ年にデビューする前だったのです。

 この童子さんの実名が報道されたということが、これからデビューするうえで障碍になるということで、なかにし礼さんとは叔父姪の関係であることを隠さなければならなかったこと。そしてたぶん結婚していることも隠さなければならなかったことなどがデビュー条件として追加されたと思います。なぜならなかにし礼さんの姪であることは有名人の七光りに頼ることになるので童子さんが望まなかったということ。またメジャーな名前で体制の中で受け入れられているなかにし礼さんと親戚だと、反体制的で売り出そうとしている童子さんと方向性が真逆なので不都合だということ。さらに結婚している事実は発表予定の曲内容から見ても障碍になるということ、などなどで女性敏腕プロデューサーの後押しもあって、あのキャラクターが作られたのです。

 どこまでが造られていて、どこまでが素の童子さんなのかは謎です。けれどもよく『おバカキャラ』とかテレビなどで売れていますが、その人たちが本当におバカだとは思いません。わたしは、森田童子さんのキャラが彼女自身の意志なのかプロダクション側からの提案なのか分かりませんが、双方の話し合いによってあの男装スタイルで歌声が少年というキャラになったのだと思います。

 そこでデビューした森田童子さんは何パーセントが本当の前田美乃生さんご本人なのでしょう? 童子さんの素の声は残っていて、ユーチューブなどで聞くことができますが、話し言葉はごく普通の女性の声です。歌の最中で語る台詞とも違います。とするとあの少年の声の歌声は、西部劇に出て来た少年のアフレコの声と同じだということになります。昔私がラジオで聞いたとムソーヤの声と同じで、一種の合成人間だということになるのです。後になって女性的な声で歌う曲も出していますが、童子さん自身少年風の声は作られたキャラだと思っているのでしょうね。童子さんのオリジナル盤のアルバムは全部で7つあります。その中のサードアルバム『a boy』のジャケットは少年は作られたキャラだということを破けた二の腕からロボットの内臓コードのようなものがはみ出ているように表現をしたのだと思います。童子さんは自分は心は女の子なんだ、つまり性自認は女性だということを暗に訴えたかったのでしょうね。というのは心まで男性だと誤解している人がいたと思うからです。その証拠にイラストを頼む時に自分の合成人間が寝ている部分は花でいっぱいにしてほしいと画家に頼んだそうです。でもその画家は『花を描くのが得意でない』といって草に勝手に替えられたと童子さんは何かのインタビューのとき零していました。写実的な画家が花を描くのが得意でないなんて信じられません。きっとそれでは童子さんの男装イメージを壊すことになるからとプロダクション側が裏から画家さんに指示したのだと思います。あのジャケットの写実的な絵はそういう意味があったということですね。自分の男性キャラは作られたキャラなんだ、つまりロボットみたいなものだと暗に謎かけしたのです。おっと、断定はいけませんね。なぞかけしたのではないでしょうか? 私はそう思うのです。でももし万が一私のこの推理が当たっていたとしても「騙された」とか思ってはいけません。童子さんがAさんのことを失って心から悲しみそのトラウマから抜け出せずに苦しんだことは確かですし、家庭的に苦しみ悩み、自分の心の中の悩みといつも対面して死を見つめていたことも、もう一方の真実だと思うからです。童子さんにはそういう形でしか自分を表現して自分を救う方法が他になかったのだと思うからです。そして同時にこのアルバムでは女性としての童子さんがAさんへのメッセージとお別れを残しています。それが『終曲の為に第3番「友への手紙」』です。友として別れたけれど女性として愛してくれなかったAさんへ言葉を残しているのです。逆に言えば、女性として童子さんはAさんを愛していたし、愛して貰いたかったのだと思います。そしてこんなに何度でも曲を通して思いを断ち切ろうとしている童子さんと、そして彼女の夫としてマネージャーとして支えてきた前田亜土さんとはどんな思いだったでしょうかと思うのです。これも一つの愛のカタチなのでしょうと思いました。


 さてオリジナル盤アルバムに言及したので、ほかのオリジナル盤についても描いてみます。


 ファーストアルバムの『good Byeグットバイ』の意味はなんでしょう? 『さよならぼくのともだち』に始まるAさんへの別れ……決別なのですね。ファーストアルバムだけでは決別できなかったようですが……。Aさん関係では他にも『淋しい雲』『センチメンタル通り』『早春にて』『君は変っちゃったネ』『まぶしい夏』などがあります。でもこの盤ではすでに家庭的なテーマも取り上げていて、『たんごの節句』も『地平線』も発表されています。更に自分の分身を立てて過去との決別を歌にしたと思われる『雨のクロール』も載っています。Aさんロスの孤独を歌った『驟雨・にわかあめ』も載っています。ですからこのファーストアルバムにして既に童子さんは自分の淋しさの根源の家族問題にもさらに自分自身の心の内面の問題にも全て取り組もうとしている姿勢が分かる気がするのです。言い換えれば童子さんは自分の問題は何かを正確に捉えているような気がします。


 セカンドアルバムの『マザースカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか』は、Aさんとのお別れが済んだから次は自分の淋しさの原因である家族の問題を取り上げたのだと思うのです。でも大っぴらにはできないので『伝書鳩』という謎の歌1曲だけ家族絡みの曲として載せています。そして今度こそAさん関連のことをしっかりとけじめをつけようと『海を見たいと思った』とか『ニューヨークからの手紙』を載せたのだと思います。謎はジャケットの絵です。十字架の上の部分が砕けて空に飛び散り、十字架がT字架になっています。T字架はアントニウス十字架とかタウ十字架とも言いますが、エジプト十字架とも言います。そこで思い浮かぶのはエラリークイーンの『エジプト十字架の謎』が思い浮かびます。あの犯人は最初の被害者と思われた人間で、そこから本来の目的だった第二第三の殺人を犯し自分の肉親を殺すのです。そこから判断すると十字架が壊れてT字架がたったというあの奇妙な絵は、肉親への確執を表すのではないでしょうか?本来のあるべき愛が壊れて肉親への確執を暗示しているのかと思うのです。またこのアルバムには『春爛漫』が載っています。自分を支えてくれている前田亜土さんと肩を組んで桜吹雪の中を行く歌です。と思います。


 そして4枚目のアルバムは『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』ですが、このジャケットには青空を飛ぶ鳩の絵が描かれています。鳩は童子さんの心を象徴しているのだと思います。ここでは自由な童子さんの心を表すかのように、『風さわぐ原地の中に』という曲が載せられています。既に説明したように、Aさん(おれ)の視点で童子さん(おまえ)に話しかける形をとっています。そして童子さんは自分を客体化して、Aさんをしてお前は自由な発想をしておれを驚かせると言わせてます。さらにAさんにまつわる女性の影(あの娘)が話題になってますが、現実とは逆でAさんは童子さんを選んであの娘のところには帰れないと言わせてます。空想力を働かせ羽ばたかせて自分にとって心が晴れるように脚色しているのです。と思いました。


 5枚目のアルバムは『「ラスト・ワルツ』です。ジャケットは光と闇に分割されたバックに童子さんが佇んでいる姿が描かれています。光の世界と闇の世界のはざまでさ迷う彼女の心を表しているかのようですね。ここでも『赤いダウンパーカー』のようにAさんロスの曲がありますが、1番から6番までの歌詞の中で最後の6番にAさんとの間には男女の仲がなかったことと牛乳で乾杯して別れたことを歌っています。そして『ラストワルツ』ではAさんと最後にワルツを歌って心の中での別れを歌っています。また『きれいに咲いた』では前田亜土さんが童子さんと共に花火のように打ち上げられてともに沈んで行く描写をしています。一方童子さんの母親と弟さんが大きな船に乗り込んでいるのを見たと台詞で言っているのです。そればかりでなく『グリーン大佐答えてください』で暗に父親の正一さんの登場をさせています。このアルバムでは家族との確執みたいなものも感じられます。何故ならここでも『チィチィよハァハァよ』と同じ曲『海が死んでも良いと鳴いてるヨ』も載っているからです。『菜の花あかり』も出ているのはここです。若い頃のAさんと出会った頃の自分を今の自分がどこかに連れて行こうかと歌っている曲です。ここでは自分の分身を使って創作しているのだと思います。


 6枚目のアルバムは『夜想曲』です。夜想曲ノクターンは夜を想って作った曲で。形式は問わないらしいです。自由な発想で作った曲で性格的小品キャラクターピースと呼ばれているそうです。さてこのアルバムでは弟と自分のことを歌ったらしい『淋しい猫』Aさんとの思い出そして彼の死を知ったことを歌った『孤立無援の唄』、自分が夜の闇に取り残されていることを歌った『船が来るぞ』、空しい思想を学びながら自分を保とうとして心が滅茶滅茶に乱れているような謎の歌『ぼくは16角形』、思い出の全てを葬って哀悼歌を捧げる『哀悼夜曲』、今までの自分を肺結核で死なせようとして見舞いに来た女性に新しい自分を重ねる『サナトリウム』、そして多分童子さんの分身だと思われる女性のことを歌った謎の歌『麗子像』、そして『菜の花明かり』のように自分の分身と共に歩き、結果的に死に向かって雪の中を進む『蒸留反応』が載っています。この最後の蒸留反応は自分の中の悩みや問題は死ななければ消えないと歌ってるかのようです。根深いなと思いました。


 オリジナル盤アルバムの最後は『狼少年wolf boy』です。やや青ざめたバックに童子さんの姿がアップされているジャケットです。『地平線』の改造版『狼少年・ウルフボーイ』では自分は狼に育てられたから感情が死んでいると歌ってます

 そしてこのオリジナル盤のラストアルバムでは、Aさん関係らしいのは『ぼくを見つけてくれないかなァ』だけで、家族関係は『球根栽培の唄』が弟に関係してるらしいのが一つだけ。後はみな童子さんの心の内面と向き合ったと思われる曲ばかりだと思われます。自分の愛の在り方を考えているとみられる愛情練習ロシアン・ルーレット、過去のトラウマを歌ったらしい『ぼくは流星になる』、『ぼくのせいですか』、そして自堕落に過ごす自分をそれなりに楽しんで見つめている『憂鬱デス』です。

 

 以上、少し註としては長くなってしまいました。これで終わります。


あと1話で終わりになります

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