あんなに一緒だったのに
人間ってすごく些細なことで喧嘩になったりしますよね。
普通に仲直りは子供だったら簡単だったのに、大人になるとなかなか。
そう、それが大人の複雑さの一つなのかもしれません。
久野の話を掻い摘めば、話は大脈から的になった部分だけで正直に言えば昨晩アパートの掲示板に張られていた捜し猫を偶然にも見つけたのだが、取り逃がしてしまったことから今へと遡る。
結局のところ、まだ未だに失踪した猫についても所在も知ることはなかったわけだし
「その場所にも今朝行ったのだが、見かけることはなかった。だが、周辺をもう少し探せるならば思って協力を要請したいと思ったのだが」
「律義だな。というかヨッシーからの頼みとは珍しいと思ったら猫探しなんて。普通は探偵のする仕事だろう?」
「ふう、金があったら頼める話じゃないからな。例えば目の前に霊柩車が通る、いやカラスでもいい。このねこは不幸の象徴と言っても過言じゃない」
「つまり、”黒猫“ってこと? 久野」
「ああ、ハルは流石に伊達に彼女の傍にいるロクでもない奴よりは応用が早いな」
「うるせー。どうせ成績はヨッシーには勝てないが、体育じゃあこっちが優秀だからな」
「つまり筋肉馬鹿か」
さすがに聞き流していたが、
「えっと、どうしてクロネコさんは不幸の象徴なのですか?」
「ユーリ、どうして黒猫が不幸の象徴としての事情は知らないのか?」
「ワタシも知らなかった。だって、いつも何か不幸だって」
久野は新聞を畳み、その場で息をついた。
「昔な。欧米では黒猫を魔女の使い魔として、魔女狩りと称して黒猫を虐殺した。もちろん猫には罪がない。人間がゴキブリを意味嫌うように、彼らも生まれながらにしてその姿がたまたま黒色ということだけ。しかし、ウェスト=フランデレン州では猫の水曜日として時計台から黒猫を投げ殺している行事が今でも行われている。元々迷信を信じて年間6万匹もの黒猫が虐殺されているのが現状だからだ」
「まじょさんの使い魔だから?」
「違う、元々魔女なんて存在しない。悪魔崇拝の主義者、魔女の証拠と勝手に捏造して生まれながら邪悪とされているからだ」
結局は、そんなちっぽけなこと。それにユーリが気にかけていたのは、迷い猫としてポスターを何度も眺めていた。
「どうして?クロネコじゃあいけないのでしょう? だって、こうして飼い猫としてこうして迷い猫のポスターを作ってくれる人だっているのに」
「もし見つけても……か。不幸だな」
柚樹がポスターを横から観ていたが、悲観なのは変わりない。
「私も捜すお手伝いさせてください。クロネコさんを飼い主さんに届けたいから」
久野は、笑み一つ浮かべることもなく新聞を広げていた。
情なのだろうか?偶々黒猫を捕まえられなかっただけ。俺にはそんなユーリの頑張るぞという姿を冷静にも受け止めていた。
それが、冷たくも自分にはその時の判断が誤るなんて考えもしないわけだから。
透き通る一言が、突きささる。自分は本当に正しいとあの時のユーリの言葉は友達という言葉には嘘偽りなどどこにもないはずなのに。
「なるべく携帯には連絡しておいてくれ、ユーリ」
「はい、わかりました。ハルさん」
だけど、そわそわしたユーリの姿を見ているだけで落ち着けられなかった。
授業にも、柚樹が同伴してくれることには本当に感謝している。実際には自分一人で立ち回りが出来ない部分があって、対処が困るときなんていうのは山ほどあるからだ。特にユーリの監督責任でも権限がないはずなのに、ユーリからの質問に答えることを時として朴念仁のように誤魔化したくなるときがある。
それは、恥ずかしいだろう?
だけど、ユーリがまだその恥ずかしさというものも、たぶんあまりよく知らない。あの後から、部屋に鍵をかけるようになったとはいえ素行はかわっているわけでもなかった。それに本人の悪気があってではないから、体罰とかあまり自尊心に傷をつけたくはない。特に精神的トラウマとかにさせたくないからと極力人間でいうしつけのような感覚でやり取りしていたつもりだったけど。
「1時間目からというのは聊かやり過ぎではないだろうか?」
「体育って運動ですよね?」
ユーリが困惑に満ちた表情で、なにやら黒板を見ていた。どうやら男女混合。校舎を一周する長距離か、測定の短距離。だが、問題はそこではない。
「えっと、ハルさんもお着替えするのですか?」
「ああ、運動着に……ってユーリっ!!」
同情なんかではない、ただ、どういった場面が恥じらうべきなのか分かっていない。同性ならまだしも、異性だ。しかし、ユーリはまるで天然ボケを全うしたかのようにワイシャツを脱いでそこには下着やスポーツブラも何もない素っ裸の彼女がいた。
それは、体育館着替え室へと体操着をもっていこうとした柚樹や、女子のメンツには衝撃どころか卒倒しかねん自体だったと思う。男子生徒には何が起こったのか理解できなくて、対応に困った。
「どうしたのですか? ハルさん」
「ユーリっ!!! 下着っ!!!!」
もう、どうして押し付けたのが自分の運動着で他の男子生徒も釘付けになるが、女子の抵抗にあった。張本人はまるで、ここで着替えるのが当たり前なのだと言わんばかりに普通に運動着を身に纏う。
以前の部屋での羞恥心というは、あくまで部屋ということらしい。
それに、考えてみれば運動科目を何処で着替えるなんて教えてもいなかった自分が悪かったかもしれない。
「ハルさん、着替えしないとそろそろ時間ですけど」
平然と答えるユーリに偶発とはいえ改めて、無知ということを思い知らされた。それは軽い苛立ちでもない。失意とか、そんな欠片みたいなもう少し複雑化したような気分に落胆では済ませられなかった。悪い事じゃない、いつかユーリが人間として成長していくには必要なことなのだろう。
こうして肩を落として、妥協することもときには必要なのだろうか。
だけど、意識なさが余計に自分を貶めるような気分になる。周囲の知識や行動原理が常識から逸脱しているのは、これは範疇という限度をこえていた。
「ハルさんはお着替えしないのですか?」
「いや、違うって。ブラジャーとかどうした?」
「あらあら。昨日洗濯してしまったので、男の人がシャツを着ていなくても大丈夫だからと」
「着てこなかった、と?」
「いけなかったでしょうか?」
理解など不要で、押しつけた運動着を畳んで俺に返した。
本当に、苦労するというか。その後自分の運動着を肌身から通していたが、当然ニコニコしているユーリに頭が痛くなってくる。
「ちなみに、下はきちんと穿いているよね?」
我ながらこれだけは大丈夫だと胸を撫で下ろそうとした矢先、
「はい。しましまさんですけど」
ぴらりと、ジャージから自分のショーツを教室で大公開。一応、ロボットとはいえ殆ど人間と肌感が変わるわけじゃない。まして、年頃の乙女だ。
さすがに無神経だった柚樹が、起点を利かせてユーリの首根っこを掴みそのまま教室を脱兎した。
「今見たかよ」
「………みてない」
流石にみていないフリ。いや、始めから見ていなかったのだと逃避することによって現実から目を背けることができそうだ。
「ん~、さすがいい成長具合だったな。ハル」
「俺にコメントを求めるな、吉田」
初めから仕草とか人間というよりは素の感情が出てしまうと、こちらが弾みで空回りしてしまうような気持ちはなんともいえなかった。
「なあ、いつもああやって女の子の胸を拝められるのか?」
「いつもじゃない。それに、わざとじゃない」
体育の時間は個別にトラックを走る。それは教科教諭が今現在他校へと部活の関係での出席会へと参加することになったため、個々での準備運動を済ませたあとは最低修学として7周の校庭を走ることが実習としてたちどころに、クラスメイトの悲鳴と息が上がってペースが落ちてからの話。
男子生徒にはなまじ衝撃的な光景を見てしまったか、授業内に済ませればいいと女子生徒よりも遅いペースで集団になって走っていた。どうやらその話題で持ち切りになり、彼女の胸を触ったなど言えなかった。男女の意識差などまだ彼女にはなくて、そんな彼女がガイノイドと呼ばれる機械であることを少なからず実感していた。
女子生徒は相変わらず効率よくすぐに終わらせて日陰で休んでいる生徒だっている。
だが、ゆっくりとしたペースにはクラスメイトからは「羨ましいな」と声もあがっていた。
「意気阻喪だ」
「違うって。期待というか転入生がまさかあそこまで天然だと思ってもいなかったからな」
まるで、現実味を帯びているから期待が願望のように男子生徒にはどうやら夢を与えたようだ。
「天然というよりは、まだ色々と判っていないだけだよ」
ここまで冷静なのは、ユーリには行き先が不透明な桟橋のように感じてしまった。
「それにしても、本当に希望に満ち溢れていた胸だったな」
「そうかい」
俺には嬉しくもなんとも思わない。
「だけど、ハルと、ユーリって仲いいだろう?良く出来たロボットだとしてもあんなに綺麗な子がロボットなんて」
「でも、真面目に見てもアレは人間だよっていいたくなるよな。人間と同じで食べ物を食べるとか」
クラスメイトは見所があると、彼女の話で持ち切り授業なんてそっちのけ。多少猥雑したクラスメイトの端を大人しく追い抜かすこともせず、横を走ることにした。
しかし、ユーリの姿がない。
まあ、柚樹が一緒にサポートしてくれたかもしれないけど、居ないとかえって心配するのはアンバランスな気持ちを抑えるに十分だ。
「でもハルはもう少し相手の身になって考えてみてもいいと思うよ。相手が機械だからさ」
一人のクラスメイトが口に出した言葉に思わずむっとする。
「機械も、人間も関係ないよ。俺はユーリのことをなんとも思っていない、だけど」
「えっ……、ハルさんはやっぱりそうなのですか?」
なんで、この声が聞こえたのだろう。たぶん、振り向いてしまえばユーリがそこにいて。
「っ、ユーリ?」
「ハルさんなんて、大嫌いですっ!!!」
その言葉の最後に手を掴もうとしたのに、どうしてすり抜けてしまうのだろう。
必死で追いかけようとしたのに、それでも無理で。ユーリの涙腺から液体が流れていたのを見て余計に後悔した。
後悔の次には何が起きるかなんて、雨の意味に沿いません。
とりあえず、雨宿りとか。
桜に雪が積もったりとか珍しい季節ですから、写真とっておいても損がないかもしれません。