7
「二次会に行く人―?」
午後九時を過ぎた頃、その親睦会の終盤に戸田課長が皆に訊いた。
すると、「行きます」と言う社員もいれば、「今日はもう帰ります」と言う社員たちもいた。
「諸見里たちは?」
それから、戸田課長が諸見里さんの方を見て言った。諸見里たちとは、自分や河西さんも含まれているのだろうなと、皓太は思った。
「私は帰ります。彼氏が待っているので」
すぐに諸見里さんはそう言った。
「そうか。じゃあ、二人は?」と、戸田課長が今度、皓太たちを見て言った。
皓太は、二次会に行っても良かったし、別にここで帰ってもいいだろうと思った。
「僕は……。」
皓太がそう呟くと、「私は……。」と、河西さんも被せるように言った。それから、皓太たちは自分たちの発言をお互い譲ろうとして黙った。
「二人は、二次会に行ったら?」
その後、すぐに諸見里さんがそう言った。
「え? ああ……。」
皓太は別にそれでもいいだろうと思った。
「じゃあ……行きます」
皓太がそう言った後、「池田さんが行くなら、私も行こうかな……。」と、河西さんが言った。
「よし! 決まりだな」
戸田課長はそう言って、にやりと笑った。
「じゃあ、二次会に行く人たちは、俺について来て」
それから、彼がそう言った。
「と、その前に」と彼は言って、一次会の親睦会のコース代、三千円を皆から徴収し始めた。それが終わると、彼は会計を済ませる。社員たちは先に外へ出た。
彼が店を出た後、皆を見回した。
「じゃあ、一次会はここでお開きということで、帰る人たちは気を付けて帰ってな」
彼がそう言うと、帰る人たちは「お疲れ様です」と言って、そこで二次会に行く人たちと別れた。諸見里さんも挨拶をするなり、帰る人たちと一緒に駅の方に歩いて行った。
そして、二次会に行く社員たちが残ると、彼は「じゃあ、行くか!」と言って、歩みを進めた。社員たちがぞろぞろと彼の後について行く。皓太や河西さんもその後に続いた。
二次会はそのお店から少し歩いた所にあった居酒屋で行われた。
戸田課長や他の社員らは、大きな声で話をしていた。皓太や河西さんも、その話を聞きながらそれぞれビールやレモンサワーをちびちびと飲み、頷いたり、笑ったりしていた。
「ねえ、池田さん」
ふと、隣にいた河西さんが口を開いた。
「はい?」
「運命論って信じます?」
それから、彼女がそう訊いた。
「運命論?」
「はい。ほら、諸見里さんがさっき話してたじゃないですか!」
「ああ、そうだね」
「それで、池田さんはどうかなと思いまして?」
河西さんにそう訊かれて、皓太は少し考えた。それから、すぐに口を開いた。
「前までは全く信じていなかったよ。今も別に完全に信じている訳じゃないけど、運命って少しはあると思うよ」
皓太がそう答えると、「ふーん、そうですか」と、彼女は言った。
「河西さんは?」
それから、皓太は今度、彼女にそう訊いた。
「私は全く信じていないです」
彼女はそう言った。
「そうなんだ。それはどうして?」
「だって、運命なんて、本当にあると思います? 馬鹿馬鹿しいじゃないですか。ただの迷信だと、私は思うんですよ。占いとかおみくじだって、別にあてにしてませんから」
なるほど、と皓太は思った。
「確かに、僕も同じようなことを考えていたから、気持ちは分かるよ」
「そうですよね。だから、私、諸見里さんがあの話をすると、とてもガッカリするんです。またあの話かって……。もう耳にタコができるくらい聞きましたよ。信じていない私からすれば、それってもうどうでもいいんですよ! もう二度とその話をしないでください! って感じです」
彼女はそう言った後、はあと息を吐き、自分の目の前にあるレモンサワーを一口飲んだ。その後、再び彼女が口を開いた。
「そう言えば、どうして池田さんは運命があると思うんです?」
「え? ああ……実はさ」
皓太はそう言い、最近、気になっている人がいることを彼女に打ち明けた。
「へー、居酒屋の前で……そんな出会いが……。」
「うん、僕もビックリしたんだ」
「でも、それってたまたまですよね?」
「まあ、そうだね」
「それに、もしその時、池田さんが彼女に声を掛けなければ、別にその人とも接点もなんも無かった訳で」
「そう。つまり、偶然というか運命というか」
「いや、それはたまたまであって」
「でも、諸見里さんはそれが運命かもって言ったんだよ」
「それは、諸見里さんだから、そう言うのは当たり前じゃないですか」
「まあね」
「私、諸見里さんの運命論の話は全部信用しませんから!」
河西さんはそう言って、レモンサワーを一気に飲んだ。それから、彼女はもう一杯レモンサワーをお代わりした。
その後、河西さんは社員たちの輪に加わり、彼らと楽しくお喋りをしていた。皓太もその話に耳を傾け、彼らの話を聞いていた。
「河西のやつ、寝ちまったみたいだな……。」
しばらくして、戸田課長がそう言った。
皓太も彼女の方を見た。酔って来たのか、彼女はテーブルに突っ伏して、寝息を立てていた。
「飲み過ぎなんですよ、彼女」と、皓太は呟くように言った。
それから、「そうだよな」と、戸田課長が笑った。その後、他の社員たちも大笑いした。
戸田課長が腕時計をちらりと見た。
「もう十時か。河西も寝ちゃったし、そろそろ帰るか」
それから、彼がそう言った。
「そうですね」と、別の社員が言った。他の皆も頷き、二次会がお開きのムードになった。
その後、戸田課長が店員を呼び、「お会計で」と言った。
「一人いくらですか?」
それから、社員の一人がそう訊いた。
「二千円でいいよ」と、戸田課長が言った。
その後、皆それぞれが二千円を彼に手渡した。皓太もそれを手渡した。
「河西さんがまだですね」
皓太がそう言うと、「おーい、河西。起きろー」と、戸田課長が大きな声で彼女に声を掛けた。
「んー」
しばらくして、彼女が唸り声を上げた。しかし、彼女はすぐに起きそうになかった。
「起きそうにないな……。」
戸田課長が困った顔で言った。
「仕方ない。河西の分は俺が払うとして、……誰かこいつを家まで送ってくれないかい?」
それから、彼がそう言って、社員たちを見回した。社員たちは面倒くさそうな顔をした。
「うーん、誰もいないのか。それならば、池田」と、彼は皓太を呼んだ。
「はい?」
「お前、頼めるか?」
皓太は自分がそう言われるとは思わなかったのだが、彼女は自分の後輩であり、今日はここまで諸見里さんと三人で一緒に来たこともあり、引き受けない訳にはいかないなと思った。
「分かりました」
皓太がそう言うと、「本当かい?」と、戸田課長は言った。
「はい、いいですよ」
「池田、済まないね。ところで、彼女の家は知ってるのかい?」
戸田課長に聞かれ、皓太は頷く。
「自宅までは分からないですけど、最寄り駅なら知っています」
「そうか。じゃあ、池田、河西をそこまでタクシーで送ってくれ。着いた頃には、もう酔いがさめてるだろう」
「はい」
皓太がそう返事をすると、「池田、これだけ渡しておく」と、戸田課長は皓太に五千円札を手渡した。
「いいんですか?」
「ああ、これくらい別に」
「なんかすみません」
皓太はそう言って、戸田課長からその五千円札を受け取った。
それから、戸田課長がその店の前にタクシーを呼んでくれた。彼が会計を済ませて、しばらくしてからタクシーが来たので、全員でその店を出た。皓太は戸田課長と彼女をタクシーに乗せた。それから、皓太もタクシーに乗った。
「池田、後はよろしく! 気を付けて帰れよ!」
戸田課長はにこりと笑って、皓太たちに手を振った。他の社員たちも手を振っていた。
「どちらまで?」
運転手にそう訊かれ、皓太は「代々木上原の駅までお願いします」と言った。
すぐに運転手はタクシーを走らせた。
タクシーに十五分程乗って、代々木上原駅に着いた。
乗車中、彼女はようやく目を覚ましたのだった。
駅に着いて、二人はそのタクシーを降りた。
「池田さん、すみません。私が寝ちゃったばかりに……。」
タクシーを見送った後、彼女が申し訳なさそうに言った。
「まあ、いいんだよ。別に」
「あ、そうだ。二次会のお金、私、払い忘れてますよね?」
それから、彼女が思い出すように言った。
「ああ……、それは戸田課長が払ってくれてるよ。支払いは今度でいいからって、課長言ってたよ」
「そうですか。分かりました」
「もうここからは一人で帰れるよね?」
それから、皓太が彼女にそう訊くと、「はい」と、彼女は返事をした。
「じゃあ、僕はここで」
皓太はそう言って駅の改札を入ろうとした。すると、「あの、池田さん」と、彼女が呼んだ。
「ん? どうかしたの?」
「あの……。送っていただいたお礼に、良かったら家に来ませんか?」
それから、彼女がそう言った。
皓太は正直、すぐに帰りたかった。だが、彼女の誘いを無下に断るのも悪いだろうなあと皓太は思った。
「気持ちは嬉しいけど、また今度でいいよ」
皓太がそう言って帰ろうとすると、「お茶だけでもご馳走させてください」と、彼女が言った。
皓太は考える。それから、少しだけならいいかと思い、「分かった」と、返事をした。
「ありがとうございます。ウチ、こっちです」
彼女はそう言って、駅から離れて歩き出した。皓太は彼女の後をついて行った。
それから、五分程歩いた所に、アパートがあった。
「ここです」と言って、彼女はそのアパートの階段を上がる。皓太もその後に続いた。三階まで上がり、三○三号室の前で彼女は止まった。それから、すぐに彼女はその部屋の鍵を開けた。
「お邪魔します」
中へ入り、皓太は玄関でそう言った。
「どうぞ」と彼女は言って、部屋の電気をつけて、中へと入っていく。
彼女の部屋はとてもきれいで女の子らしさもありつつ、シンプルな部屋だった。
早速、皓太は彼女に案内され、リビングへ行くと、白い大きなソファがあった。
「よかったら、このソファに座ってください」
彼女がそう言って、そのソファを勧めた。皓太はそのソファへと腰掛けた。
その後、彼女はキッチンへ行って、冷蔵庫を開けた。それから、「ビールでいいですか?」と、彼女が訊いた。
先ほどまで飲んでいたのに、まだ飲むのかと皓太は思った。
「他に何もないの?」
皓太がそう訊くと、「はい……」と彼女が言って、舌を出した。
「じゃあ、ビールを貰おうかな」と、皓太は言った。
「どうぞ」
それから、彼女がリビングへやって来て、皓太に缶ビールを手渡した。それは良く冷えていた。
「どうも」と言って、皓太はそれを受け取る。それから、彼女は自分の缶ビールを開けて、一気にそれを飲んだ。そして、はーと息を吐く。
皓太もいただきますと言って、缶のプルタブを開けて、それを一口飲んだ。皓太もさっきまで飲んでいたが、冷蔵庫で冷えていたその缶ビールも普通に旨かった。
「さっき言ってた池田さんが気になっているその女性って、どんな人なんですか?」
少しして、彼女がそう訊いた。
「え? ああ、可愛らしい人だよ。黒髪のボブヘアで、目が大きくて、女の子らしいというか、モデルさんみたいな……。」
皓太がそう答えると、「へー、そんな可愛い子なんですね」と、彼女は言った。「それじゃあ、私よりも可愛いんじゃないですか?」
彼女は缶ビールを持ちながら皓太の方を見てにやりと笑った。
皓太は返答に困ったが、「どうだろう?」と、はぐらかすように言った。
「まあ、タイプではあるかなぁ……。」
皓太がそう呟くと、「そうですか」と、彼女は言った。
「河西さんは? 彼氏いないの?」
その後、皓太は彼女にそう訊いた。
「彼氏はいません」と、彼女が言った。
「好きな人は?」
「今好きな人はいますよ」
彼女はそう言って、照れ臭そうに笑った。
「そっか。どんな人?」
皓太がそう訊くと、「それは教えません」と、彼女は答えた。
「そう」
それから、彼女が缶ビールを一口飲んだ。皓太もつられてそれを一口飲む。
その後も、皓太は彼女と雑談をしていた。
しばらくして、皓太が彼女に声を掛けると、彼女はソファで寝息を立てていた。どうやらもう寝てしまっているようだった。
――――池田くんさ、河西さんのことをどう思う?
ふと、皓太は諸見里さんの言葉を思い出した。
彼女にそう訊かれた時、皓太は意表を突かれてすぐに答えられなかった。
皓太がどう思っているかと言えば、河西さんのことは特段気になるという訳もなく、後輩の女の子という印象だった。彼女のことを恋愛的に好きという気持ちがある訳ではない。かといって、彼女のことを嫌いでもなかった。彼女は可愛らしいと思うが、別に普通であった。
皓太は壁の時計を見た。午後十一時を過ぎた頃だった。皓太はもう帰ることにした。
ソファの端に薄い毛布が掛かっているのに気が付いた。皓太はそれを彼女に掛けてやることにした。それから、電気を消して、皓太はその部屋を出た。