3ダース (回想)忍び寄る影
ビター珈琲の味に誘われ、まるであの頃を連想しそうになる。
珈琲を嗜みつつ、暗雲の空を見詰める。
それはまるで准の心を現しているかのようだった。
心中、穏やかではなく、またそうでも居られない。
(_____今は、今の平穏を、壊したくないんだよ)
中で不意に目の前に影が現れた気がして、
なぞる様に目の前に視線を向ける。
鉄仮面と造られた、と思わせる顔立ちに
更に秘密を隠す様に重ねられた厚化粧。
クラッチバッグにボディラインが強調されているワンピース。
守山財閥の会長の娘___守山綾だ。
一瞬、誰だが分からずに呆然としていたが、
脳裏であの頃の面影なんてないと思い出して
複雑化した眼差しを准は彼女に向けた。
「………今更、何の用ですか」
呟かれた声音は、他人事の単調さを重ねて無機質的だ。
物憂げな眼差しに女性は不機嫌になる。
「他人行儀で素っ気ないわね。
せっかくの再会だというのに。
………ところで、貴方が緒方家を飛び出して、何年が経ったかしら?」
「………それはまた、億劫な話ですね」
准は流し目に視線を反らして、珈琲を嗜む。
守山姓とその身分を捨てて、
あの異常な館から逃げ出したのは成人を迎えた時の事だ。
_____緒方准、基 守山准は、
守山綾の弟という事実すら闇に葬ったあの日。
紛らわす様に、珈琲をもう一口。
今度は珈琲よりも目の前の人物が、最も苦いと感じる。
守山家は守山財閥と名を打ち、
エスケープクロックホールディングスグループの経営者でもある。
「冷たいわね。あたし、ずっと搜していたのよ?」
「見せかけのお世辞なんて、要りません」
准の態度は、
冷静沈着かつ飄々とし、余裕がある様に見え素っ気ない。
けれどもその何処か達観と諦観の微笑を貼り付けた顔立ちは
綾の記憶には、見た事がない。
そんな弟の態度に綾は不快感と
意固地さを覚えながら、綾は口許を引き攣らせる。
(____そんな、余裕、壊してやるわよ)
彼女は1枚の封筒を差し出す。
中には『身辺調査表』と第されたファイル。
伏せた眼差しでそれを疎ましく見詰めたの後に、准は綾に視線を戻す。
「………どういうつもり? ………いや、どうしたいんだ?」
「別に可笑しい話でもなく当たり前じゃない?
失踪した弟を捜すのは」
「…………“普通”の感性ならな」
気怠げそうな声音でファイルを取ると、
有名な実力派の探偵事務所と謳われる所に調べ上げられた、緒方准の身辺調査表。
対象者:緒方 准
生年月日:19XX年 6月27日
現住所:〇〇県 〇〇町
家族構成:
緒方 美琴(妻)
緒方 香菜(娘)(※20XX年に養子縁組)
「結婚したのね。それに娘までいるなんて」
孕む微笑を持って身を乗り出す綾に
准は動揺する訳でもない。ただ能面師の面持ちで
そして___知らぬ間に白けた微笑みが込み上げで口角を上げる。
「なによ」
「………いえ、間違いでは?」
「どういうこと?」
綾は眉を潜める。
「ご冗談でこんな事を?
大切なお時間が無駄になるというだけなのに。
___守山綾さん。貴女の本当の探し人は“僕ではないでしょう”?」
心理戦の攻防戦のチェスは得意技だ。
綾は不快感と不服な面持ちを浮かべて静かに首を傾けた。
「この私が、貴方以外の誰を探すというの?」
高らかな自尊心と尊厳、自信に満ちた表情。
綾の“本当の意図という切り札”を知っている准にとって、
彼女の虚勢と暇つぶしに付き合う気は更々ない。
(____だから、あの時もか)
「____それは、貴女が一番知っている事でしょう?
俺が口にする事じゃない」
「…………」
その刹那、
強気だった綾の顔色が翳りを見せた。
複雑味を帯びた余裕の表情と飄々とした面持ちは“残酷にも優しい”。
「勿体ぶる言い方をするのね? いつからそんなに高尚になったの?」
「……………どうでしょう。俺自身は変わったつもりはありませんが」
「…………」
(………調子が乱されるわ)
准はいつも冷静沈着で、優美だ。
そして態度は飄々としたもので、毅然としている。
「ただ貴女が求める捜し人は
僕ではなかったという事かな、と思っただけです」
本心でもない事を行動に移す。
それはとても無意味な事だと思っている。
余所見をしても、本当に求めているものは、訪れない。
(守山家に毒されてる)
綾は心情を悟られない様に、必死で繕う。
「それより、貴方はもう娘がいるのね」
「居ますよ」
そう言うと、
探偵事務所の身辺調査表に挟まっていた写真を出す。
刹那的で儚く薄幸な少女____そこには香菜がいた。
「かわいい娘」
「…………何が言いたいんです?」
にやり、と綾は企みを孕んだ微笑を浮かべる。
「回りくどいの好きじゃないから、担当直入に言うわね。
_____この子、養女だそうじゃない。何処の馬の骨なの?」
「それ名誉毀損ですよ。失礼な。物騒かつ非情な事を言うのですね」
心に、炎を抱えながら、表向きは穏やかなふりをした。
飄々とした余裕な面持ちも声音は、崩れる事がない。
「娘がいると聞いて、年齢を見た時に
凄く矛盾していると思ったわ。
貴方はまだ34なのに、娘の年齢は16歳。
けれど養女だと聞いて納得した。
………ねえどういう事なの?
養子縁組するくらい、この子は魅力的な娘なの?」
「さあ? それは貴女に関係ありますか」
あからさまな、焦燥感。
彼女は何に必死なのだろうか。
綾が感情が昂ぶる程に、准は冷めて客観的にしか見れなくなる。
「この子だけ、
どれだけ調べて貰っても、素性が分からないじゃないの!!」
綾は罵声を浴びせる様に思わず立ち上がり、告げた。
けれども准は至極、冷静沈着のまま、態度を変えない。
「………それが、何か、都合の悪い事でも?
失礼な言葉を浴びせて侮辱してまで、
彼女を知って貴女に得はありますか?
…………存在しないでしょう。
確かに養子縁組した末に我が家の娘になった子だ。
けれども俺と妻にとっては、実の娘同然の、かわいい娘だ。
守山が拘る血縁関係なんて無意味、と言わせる程に」
おとぼけるふりをしながら
自分自身でも、理屈っぽくて、理責めしていると思う。
端から見れば滑稽だろう。けれども
___娘を侮辱されて、
黙って要られる程のお人好しなんかじゃない。
准が守山の家を飛び出しても、
此処まで飄々とした毅然な態度に、強気で胃られるのは
姉のひた隠しにする秘密裏の切り札を准は悟っているからである。
……………思えば、あの頃の綾の心情を知っている身としては複雑だが。
「………ねえ、姉さん。
俺に連絡してきたのは、俺を捜しにきたのではなく
“俺に娘がいるから”と知ったからでしょう?
___そうでもなければ、貴女は、俺には用はない筈です」
准の発言に、綾は固まった。
彼の元にいる子供が、娘だから。
虚像を作り威勢を張っているけれども、嘘が苦手な彼女は分かりやすい。
「…………」
「もしかしたらと思ったのでしょうけど
俺は貴女の望む言葉を返す事は出来ないし、貴女の望むものを持ち合わせていない。
それに貴女が秘密は守山財閥をも、揺るがす重大なもの。
あの時、冷酷な貴女が自ら下した判断なのに。
____それをわざわざ、今更、引き摺り出すと?」
姉が秘密裏に水面下で動いているものが、守山財閥として
公になってしまえば守山財閥を揺るがす切り札になる。
(姉は今更、何をしたいのだろう?)
「俺は何事もなく、妻と娘と生活しています。
僕は守山家に戻るつもりは御座いませんので、あしからず___では」
お札を2枚置くと、准は立ち上がると、そのまま歩き出す。
しかし、一歩踏み出したところで告げた。
「追記で。____妻と娘に接触する事は望みません」
(絶対に、守山財閥には、近づかせない)
美琴と、____香菜の為にも。
一部、会話の表現に過激なものが御座いましたこと
ご不快に感じられた、読み手様にお詫びを申し上げます。
誠に申し訳御座いません。