41ダース・救いという猛毒
もし、磁石のN極とN極を、S極とS極を近付けたらどうなるか。
拒絶反応を起こして決して、それらは近付く事はない。
“あの人”が拒絶した少女と、拒絶された少女。
二人が物語っている。
磁石の本当の方位も知らずに、
巡り合っていたらどんな拒絶反応を示すのか。
けれど、人と人は。
「(どういう事です………?)」
麻緒は唖然としている。
どうして、同じものを持っているのか。
「貴女が見たもの___それらが現実という事です」
響介は床に落ちた写真を綺麗に拾い上げている。
「(どうして………否定しないのです?)」
彼は写真を拾い上げると
不思議そうに首を傾けながらも真剣な面持ちで告げた。
「貴女はとても聡明で人の感情には過敏だ。
たとえ偽ってもいつか真実を知る事でしょう。無意味な行為です」
「……………」
それは図星だ。
幼い頃から研ぎ図された神経は、
大人の顔色を常に伺い、人の感情の変化の機微を見逃さず、
大人の顔色を見ればその感情を一瞬で分かってしまう。
___だが、響介は
「僕は、逃げも隠れもしないです。
ただ、今は簡単に種明かししてしまうのは面白くないでしょう。
もう少し高みの見物をしてみては、いかがですか?」
少し微笑を浮かべながら告げると響介に、
麻緒は怪訝な面持ちで、携帯端末に文字を打つ。
「(…………それは、試しています?)」
「まだ見ていない景色もあるではないですか。
それは他人の言葉から告げるよりも、自身で身を以て知っていた方がいい。
…………その経験を経て、重みを知る
今の貴女なら、それを誰よりも存じている筈です」
卑怯だと思うと同時に、説得力はかなりのものだ。
他者の言葉で語られるよりも、自身の心が身を以て知った時の衝撃の方が大きいに決まっている。
叔父からの手紙も、
白み始める空の下、凄惨なあの光景を見た時も。
麻緒は目を伏せた。
まだ理解し得ないものばかりだ。自信が見たものは何もない。
響介は意味深な微笑みを浮かべて、鋭い視線を送った。
「これも疑心、パズルのピースです。
疑心を抱えたまま突き進んでみてはどうでしょうか」
誰も信用出来ない。信じられない。
自身が見たものしか信じられないというという思いもある。
なら、自身で捜すしかないのだ。
______守山家。
綾はリビングルームに呼ばれた。
厳粛な雰囲気が漂う中で、綾は俯かせた面持ちを少しだけ上げた。
あの日から一度も視線は合わない。解っているのに落胆してしまう。
緊張感が漂う。傑は席に着くと、こう告げた。
「刑事告発は取り下げる」
「……………え?」
綾が呆気に取られている中で威厳ある傑の表情は変わらない。
「履き違えるな。私は許した訳では無い。
これは孫娘からの温情だ」
「…………孫娘からの?」
「置き去りにされても、あの子は己に温情をかけた。
それを無下にする程、私も非道ではないからな」
それだけだ、と言い切ると、傑は去って言った。
綾は無意識的に、スカートの裾を握る。
わなわなと震えている拳は、悔しさの承知だった。
(私が縋っても、お父様は赦してくれなかった。
けれどお父様は、涼宮麻緒の言葉は受け入れるのね)
(私を変えたのは、貴女よ)
私ね、
もう貴女の手の内に踊らされる少女じゃなくなったの。
守山綾の肩身が狭くなる方法。
なるべく記憶が戻らない内に、傑の元で孫娘を演じていよう。
「____お母様の事、示談にして欲しいの」
厚かましいかしら、というのは前置きに置いて置いて
麻緒はそう言った。
味方をしている訳では無い。
守山綾の肩身が狭くなる方法を探していた末の事だ。
傑の執念深い性格ならば、事実を消しても今後も根に持ち出すであろう。
過ちを掘り返される事の、苦痛は何よりも心痛だ。
それが振り向いて構ってほしい人であればある程に。
綾は何故、過剰に傑に、振り向いて欲しいのだろう?
娘を捨てる程に
父親に振り向いて貰う事にまるで人生をかけている女。
何故、そんなに父親に固執するのだろう。
___エスケープクロックホールディングス、
Tetsuya Miyamotoとの業務提携も、多額の負債か。
ネットニュースは、それで持ち切り。
宮本徹也のバリアフリー設備とは名ばかりの設計が波紋を呼び、
批判されそしてそれは、業務提携を勧めた元社長・守山綾にも
飛び火する形で、批難の声が上がっている。
守山傑は身体に鞭を打ち、抱えた負債を補おうとしているが
娘が起こした負債は膨大で手の施しようがないのだとか。
倒産するのではないか、噂される様になった。
(意地とプライドで、この世は生きている訳がないのだから)
本当の事を、彼女に告げてしまったら、
どうなるのだろう。ただでさえ冷酷の道を生き抜いてきた。
壊れてしまうのか、それともそれをバネにして生きてゆくのか。
あの時はぐらかしてしまったのは
秘密を打ち明ける勇気がなかったからだ。
ただ、ひとつだけ言えるのは、
16歳だった緒方香菜を見た時、“彼”を具体化した様な性格だった。
復讐心の天秤に、
心が揺れても彼女の基盤は変わらない。
_____真壁家。
葉月との交流は、順調に続いていた。
なお、麻緒が点訳が出来る事もあり、
葉月のクラシックのCDや小説に点訳した名前のシールを付け、
点訳した小説を届けている。
葉月はとても喜んでいた。
「有難う、紬さん」
「(いえ、僕にはこれくらいの事しか出来ませんので………)」
クラシックCDに点訳したシールを貼りながら俯いた。
もう頼る宛がない。
紬は暫し考え込んだ後に、口を開いた。
「……………あの」
「なに?」
葉月は、きょとんとしている。
紬は視線を泳がせながらも、息を飲んだ後 葉月に尋ねた。
「(守山綾………は一人娘ですか。きょうだい、等はおられましたか)」
「………………」
守山綾の話を持ち出すと、申し訳なくなる。
けれど葉月は何処となく険しい表情を見せつつも首を捻った。
何かを考え込んでいる様なそして答えが出ない様な表情だ。
「……………確か、ひとりっ子ではないわ。兄弟がいたわ。
ただ私の通っていた学校は女学校だったから………。
姉や妹なら耳にするのだろうけれど、話を耳にしなかったから
きっと男兄弟かな」
「(………なんだか、ごめんなさい)」
首を傾げて、何処となく考え込む葉月。
「そう言えば、
ミコトさんのご主人の名前は“ガク”さんよね?」
「(え?)」
葉月は拍子抜けした面持ちで、首を傾げて考え込む様に言った。
返答が来ない事、何処となく不穏な空気を受け取った葉月は、
「あれ? もしかして間違いだったかしら?
てっきりガクさんと思っていたのだけれど」
葉月は拍子抜けした様に、不思議そうに首を傾げる。
「(違います、准です)」
「ジュン?」
途端に葉月の眸が険しくなった。
理由が分からなない紬は目を丸くしている。
葉月は俯き、考え込んで黙り込んだ後に重い口を開いた、
「あのね。確かに守山綾には、兄弟がいた。
2人だと思う。当時、私はボランティア団体に所属していて、
その時にね『モリヤマガク』っていう人が居たの。
周りの人はよそよそしい。だからその頃の私は、
多分、守山家の人なんだろうなって思ってた。
ガクさんはとても優しくて献身的だったわ。
裁判の後、此方は加害者にさせられてしまった時、守山家の人々は見向きもしなかった。
けれど岳さんだけは、
門前払いされても、何度も我が家にきて、お詫びを言ってた。
居留守を使っていて顔は合わさないままだったけれど、
流石のお父様も『冷たい守山家の人には似つかわしい』と。
お母様によれば雨の日でも、我が家に前にいたらしいから、
それだけはちゃんと受け取るべきだったと、
私は思っているの、申し訳ないと。
けれどね、そんなガクさんと違って
ジュンさんは素行不良で破天荒、という人。
分かりやすく言えば守山綾を、男の人にした形かしら。
それにこれは、奥様方の噂で…………。
時々ね、ガクさんがジュンさんの身代わりしてるんじゃないかって…………」
葉月から聞いた話、それは、初耳だ。
心の何処かで拒絶反応が起きる。
香菜が知っている、准は献身的で物腰が柔らかい好青年だった。
准の事は美琴の次に、
自身が知っているものだと自負していた程に。
ボランティア活動も
積極的に連れられていたから、証言出来る。
准は違う。そんな人間じゃない____そう思い詰める。
けれども守山家の毒に呑み込まれた、心優しい葉月が嘘を付いてるとは思えない。
けれども、准のシリアスさを悟っている今。
(私は、表面上の事しか知らない)
身代わり。
一卵性双生児なら見分けは付かない。
それに綾以外に、初めて彼女の兄弟、特に守山岳の事を知る事が出来た。
静寂な沈黙に気付いたのか、葉月は棚を指さした。
「あの棚、アルバムなのよ。
ボランティアって書いてあるアルバムに
ボランティア活動をしていた頃の写真があると思うの。
見てみて?」
「(…………宜しいんですか?)」
「ええ、貴女だけよ? でも、秘密にしてね?」
“あの過去”を知っているのは、両親と双子の弟達だけだ。
性格的に岳のことは苦手だったけれど、
綾が本当に恐れていたのは、准の方だと断言出来る。
准は自由奔放で、目先の欲にしか走らない短絡的な人間だった。
世渡り上手で愛嬌と愛想だけは良かったから嫌われなかったのか。
だからこそ、控えめにで辛辣的な岳が悪目立ちしてしまったのか。
准が散らかした後始末を片付けるのは、いつも岳の役目だった。
『貴方も大変よね、弟の後始末に追われて』
『そうでもない。ああいう人間なんだって 割り切ればいいだけの話だよ』
一度だけ、そんな会話を交わした。綾の皮肉に、諦観した岳の声音。
そんな岳は傷と痣だらけ、ボロボロだった。
喧嘩が強い訳でもないのに、
喧嘩を売って自身は戦いたくないから
岳を身代わりに連れて行ったのだろう。
岳は額をガーゼを当てている。
けれども鮮やかな深紅は、純白に直ぐに染め切ってしまっていた。
「ねえ、ひとつ尋ねてもいいかしら。………貴女は岳さんは知ってるの?」
「_____(いいえ。私も岳さんを知りませんでした。
お会いした事もなかったですから)」
落胆した面持ちを見せて、葉月は顔を俯かせる。
少しだけ伏せた眸は、聖女の様に儚く見えた。
「そっか。もし面識があれば、伝言をお願いしたかった。
一つだけ申し訳ないと思っていることがあるの。
さっきも告げたけれど、雨の日も風の日も、
岳さんは我が家の前に居続けた事よ。
あの時、お母様やお父様が反対しても、
私だけは話を聞いてあげればよかった………。今更だけど。
守山家の人々を見詰めてきて、
あんなに誠意がある人は『モリヤマガク』さんだけだったから。
だからこそ、記憶に残っているのかしら」
後悔の滲む声音で、葉月は告げる。
いつの間にか外には通り雨の豪雨が降り注いでいる。
窓に激しく打ち付ける雨音は、紬の、麻緒の、心情を現しているかのようだった。
何故ならば、今の紬には、
アルバムを落としそうな程に心に衝撃波が走っている。
写真を見て違和感を抱き____そして確信したのだ。
(…………私が見てきたのは、緒方准じゃない)
心を閉ざし、全てに絶望していた自身に、
名前を与えてくれ、世界を、慈悲をを教えてくれた人。
あの濃密な8年間は、何を意味していたのだろう。
_____それが嘘だったなんて。
得られた希望は、絶望より残酷だった。
紬は肩を落とす。
葉月は自然と紬が落胆していると感じ、目を伏せた。
そんな中である事が過り、蘇った。
「………ひとつ思い出した事があるの。あのね____」
余命宣告の如く、葉月が告げた秘密に
紬は戦慄的な思いを抱いて目眩がしそうになった。
漸く傾いた砂時計は落ちて、逆さまに動き始めた。
その砂の一粒が猛毒を持つ、毒牙だとしても。
その毒に蝕まれるか、自ら解毒するのか。
(貴女は、どちらを選ぶのか)
一度は破壊された砂時計も、
歪み始めた天秤も、時を越えて揺らぎ始めた。
それは___愛憎という感情と、復讐という野心を。
それは、身を滅ぼすのか、再生させるのか。
きっと、誰も知らない。
最初は緩い舞踏会だと思っていたのが
かなりベビーな舞踏会になる事は確実ですね………。
(私の小説は、毒味が酷い)




