40ダース・居場所という檻
___涼宮響介弁護士が訪れるから、話に同席しろ。
用事はそれだった。
リビングルームへ向かう足取りは重かった。
重りを枷を着けられた様な足取りで歩みを進めた後
リビングルームの応接間には父親と弁護士がいた。
一瞬 錯覚してしまう。
その弁護士の姿を 弟と重ねていた。
ただの他人の空似に決まっているのに、弁護士は
他人なのに、どうしても、その面影を弟に重ねてしまう。
仲睦まじい、父と息子の様に見えた。
けれど、綾を現実に引き戻したワード。
「麻緒は、元気にしているか」
「はい。____綾さん?」
傑に微笑んでそう告げてから、
響介は綾の存在に気付きそう呟きながら、視線を寄せた。
途端に傑の眼差しが険しくなり睨まれた刹那に、綾は萎縮した。
その軽蔑され、薄情者という眼差しは
今にも父親に見捨てられそうで、綾は眠れる程に神経を擦り減らしていた。
彼女には耐えられないものだ。
自身を冷遇と恐怖に連れ去った。
それでも傑への思いは一途に変わらない、だからこそ辛い。
そして涼宮麻緒の肩を持つ、傑が恨めしくもある。
(憎くて羨ましくて、仕方がない)
____エスケープクロックホールディングスグループ
守山綾社長が解任、今後は守山傑氏が、会長と社長を兼任を発表。
点字翻訳の作業中、携帯端末の着信音が鳴る。
ニュースサイトの記事が更新された事を示すものだ。
麻緒は手を止めて、
携帯端末のニュース記事を見て薄く 微笑を浮かべた。
幸い、傑は一命を取り止めたけれど、
最悪の事態が待っていた筈だ。
今の守山傑は誰にも容赦はしないだろう。
娘でさえも。
示談はしない。
傑は娘を刑事告発するように見える。
そう宣戦布告の様なものを記事からなんとなく読み取っていた。
今の涼宮響介は、守山傑の弁護士として現れている。
「此方は、傷害罪及び、殺人未遂として、受理致します」
響介は淡々と冷静沈着に、そう告げた。
綾は顔面蒼白ながらに脱け殻の様に、顔を俯かせる。
今は准の面影ではなく、岳の面影を響介に重ねていた。
論理的思考で隙がなかったもう一人の弟。
先入観からか何処となく似ている様な気がしてならない。
彼女が赦しを乞おうとする前に、響介を身を乗り出した。
「そしてですね。
今回、私が参りました事は、
契約解除及び契約違反よる破棄の件についてです」
「……………?」
傑が首を傾げる。
響介は封筒の中にある書類をテーブルに差し出した。
『K.探偵事務所』から始まる書類には、事項が事細かに書かれている。
守山綾様は、私の法律事務所と提携しております、
K.探偵事務所に、生き別れた娘様の行方を
捜索して欲しいとのご依頼を頂いておりました。
K.探偵事務所も最善を尽くしてきた中ですが
先日、所属、調査員に対しての、傷害、恐喝行為が御座いました。
“K.探偵事務所では
調査員に対する暴力行為が認められた場合契約は破棄とする”。
此方が原則ですので、今回の契約解除及び、破棄とさせて頂き、今後、調査の依頼はお控え願います」
「………………」
綾の息を呑む声が聞こえる。
戸惑う 瞳で父親の方へ向けた視線は、何処か救済を求めているようだった。
けれども傑は呆気に取られた様な面持ちで、響介に尋ねた。
「___娘が、探偵事務所 調査員に危害を?」
「………はい。防犯カメラの映像証拠も御座いますし、なんせ所長の眼の前で行われたもの、でしたので」
申し訳なさそうに響介は肩を落とし、凛としてそう告げる。
傑の顔色はみるみる落胆の色合いに染まっていく。
綾の立場はどんどん危うくなり、彼女は焦燥感から、響介を睨み付けた。
弁解の余地がない。
傑は肩を落とすと、響介に対し、
「…………涼宮さん、済まなかった。娘がそんなことを」
「お父様、部外者の言葉を鵜呑みに?」
大蛇の眸に睨まれた瞬間、綾は固まる。
崖から突き落とされる様なこの審判に、苛立ちと焦燥が拭えない。
ますます、
傑から見捨てられてしまう様な気がして、恐怖に囚われる。
「証拠がある上に、
所長自らの目で見たというものではないか。
悪足掻きはみっともない。口を慎みなさい」
「……………」
心が叫ぶ。
ただでさえ、今は途切れそうな綱渡りの様な父娘の関係を断ち切ろうとしている。
理性わ外してしまえば
衝動的に響介を手を出してしまいそうで、彼が滑稽な悪魔に見えた。
(____この、あたしを追い込んで、
まだ本調子ではないお父様の心情を揺さぶって楽しいの?)
(貴女は、私からお父様を取り上げる気?)
「此方が謝罪に参らねばならない立場なのに、申し訳ない」
「いえ、
私は契約解除と破棄のご報告に参っただけですから………。
御身体御自愛下さいませ。それでは、ご貴重なお時間を頂き、
有難う御座いました」
冷静沈着に響介は、そう告げると頭を下げて、去っていく。
綾は、衝動的に駆け出していた。
都心のドーム2個分の敷地内の庭。
玄関の扉へと歩みを進める弁護士に対して綾は腕を掴んだ。
夕焼け空と、乾いた風が、弁護士の髪を揺らす。
「……………なんでしょう?」
冷酷な弟と
瓜二つの面持ちが、険しそうに此方を見詰めている。
対して綾は、何処か今にも泣きそうな少女の面持ちだった。
「血も涙もないのね。 私だけに言えばいいじゃない。
どうしてお父様も巻き込むの」
「貴女だけに告げても、終わらないと思ったからです。
“他の人であれば” 見逃していたでしょう。
ですが、貴女も大概、私の妻にはご執着のようで。
第三者の仲介を以ってご報告、をと判断致しました。
要するに貴女は信用が出来ません。
貴女が生き別れた娘に対して、
酷い仕打ちをしている、と知ってしまったら
悲しむのは貴女のお父様ではないのです?」
綾の眸が険しくなる。
見捨てられそうな危機感を背負いながら、
押し寄せてくるのは裁ち鋏の様な辛辣さ。
「今言わなくてもいいんじゃないかしら?
お父様はまだ退院したばかりなのよ。本当に冷酷な弁護士ね。
こんなの業務じゃないわ。たかが妻可愛さでのこのこと現れたんでしょ?
他人の父娘関係をズタズタにして楽しいの?」
「では、“娘に手を出してしまった”と告げれば良かったですか」
その怜悧な響介の言葉に、
綾は固まる。彼が何を考えているのか、掴めない。
だからこそ相手の動向が読めなくて焦りばかりが募る。
「…………悪趣味ね。
貴方が大目に見て、目を瞑ってくれたのならば穏便に済むのよ?
なのにわざわざ……娘のあたしと御父を引き離したがるの?
どうしてあたしは阻害されてばかりなの!?」
(どうして皆、涼宮麻緒の味方をしたがるの?
そのせいで、あたしは独りぼっち………そんなの嫌よ)
涼宮麻緒は、自身の心を追い詰める毒牙。
毒牙に味方をする者も的の様に見えてしまう
父親に見捨てられてしまうという恐怖心に覆い尽くされ、追い詰められる。
爆発した感情が抑えられない。
ごちゃごちゃになった感情が身を滅ぼしていく。
それは嘗て弟に言われた台詞の如く、形となって、綾を危うくさせる。
(お父様と言いながら、貴女が一番、可愛いのは自身だ)
保身に走る、同情出来ない令嬢。
響介は気迫感迫る綾の形相にも微動だにせず、冷静沈着に告げる。
「それより守山綾さん。貴女、
御自分の立場に危機感を持たれた方がよいかと思いますが」
「どういう意味?」
「私は守山傑さんの弁護人です。裁判も訪れるでしょう。
傑様が悲しまれる結果を重ねては、このままでは、
親不孝になってしまいますよ」
(きっと、この言葉は、彼女に綺麗に歪む事だろう)
「それは、どういう事だ」
綾の心に悪寒が迸る。
其処に居たのは、紛れもなく傑で、何処か哀しげだった。
「綾………己が、娘に手を上げた、だと?」
“____心の傷口は見えない。
それがたとえ、深く抉られた傷口でも”。
たまに心の内を、点字で起こす。
麻緒は点字の文字を指先でなぞりながら、机に上半身を寝かせた。
物憂げな、闇色の眸。
(貴方はだれ?)
同じ顔、同じ声。
緒方香菜の前に現れた叔父、涼宮麻緒の前に現れた弁護士。
どちらも他人の空似と思い込もうとしても、何処かで混合してしまう。
(守山綾よりも、罪深いのは、叔父さんかもね)
断ち切れ、割り切れ。
響介が時折にして見せる表情も、優しさも何処か似ている。
面影に重ねられない優しさを持つのは、何処か罪らしい思う。
そう思わせる響介も、その基盤である准も。
「生き別れた娘をいじめる事が、己の生き甲斐か?」
傑は怒り心頭で、綾の言い分に耳を傾けてくれない。
父親からの冷遇が、何よりも悲しく、屈辱とすら感じる綾は、何処か精神衰弱状態だ。
事情聴取を終えた帰路で、公園で少し休憩を取りながら
綾の目付きは鋭いものになる。
緒方香菜の存在さえ、なければ。
涼宮麻緒が現れて心を掻き乱されなければ、傑に突き放されずに済んだ筈だ。
不意に目の前に現れた黒い影を見て顔を上げる。
風に靡く黒髪、物憂げな面持ちが、哀しみを現している様に見えた。
緒方理玖。
緒方香菜の、双子の弟。
謂わば生き証人とでも言える、脅かす存在。
「あんた…………」
「………………………」
儚さは変わらない。
綾は何処か憔悴した眼差しで尋ねた。
「____緒方香菜は、本当に獄中死したの?」
無欲な青年の眸が、何処となく意思を持つ。
「(姉が生きているなら、貴女を恨み憎しむ理由も、
そもそも貴女と話す理由すらないでしょう?)」
「_____あたしを苦しめたいの!?」
耳を劈く様な断末魔のような絶叫。
鬼に敗れたかの様な、ボロボロの魔女が其処に居る。
それを体現するかの様に守山綾は肩で荒く呼吸を繰り返している。
「その冷酷さも薄情さも、岳にそっくり………」
確証が得れた。
桧山紬は___緒方香菜と緒方理玖は、准ではなく岳の息子だ。
緒方性を名乗らせていたのはきっと、守山家を混乱に落とす為だ。
論理的で、冷酷的で薄情な岳ならしかねない。
「………あんたの姉のせいで、あたしの人生は丸潰れよ。
何処まであたしを追い詰めたら気が済むの………?」
大人しそうな顔をして健気に振る舞う香菜も変わらない。
現にこうやって亡き後も、自身の首を締め続けるのだ。
(緒方香菜が、あたしに遺したのは、生き地獄だった)
二人共、岳に似てるのね。
あんたもあんたの姉も岳の血を引いてるなら………。
緒方香菜が獄中死したのも、自業自得だわ!!」
(その身勝手な薄情さは、私も持っているのでしょう)
それはきっと認めざる負えない。
そう自身に呆れながらも、何かが事切れた気がした。
(貴女が横槍を入れなかったら、何も起こらなかった事よ)
准も美琴も、命を落とさずに。
涼宮響介に迷惑をかける事もなかっただろうに。
ただ、この感情をぶつけても何も戻らないだろう。
それに相手にするまでもない、と諦観を抱き
先に彼女に対して憐れみの感情を抱いている自分自身がいた。
弁護士の書類を集めたファイルが
リビングルームの硝子テーブルに置かれていた、
それだけが風景に取り残されている気がして、引き寄せられる様に触れる。
きっと必要なものだろう。届けに行こう。
そう思い麻緒がファイルを抱き上げた瞬間、足許にはらはらと
何かが落ちた。
しまったと思いながら、しゃがみ込む。
落ちた写真は、まるで花弁が散った様だった。
無意識的に写真を見詰めていると、ある事に気が付いた。
この写真達は、“あの時、傑が綾に対して投げ付けた写真”だ。
(……………何故)
綾と接している事も知っていても
その場にいない、響介は何も知らない筈だ。
それに時には紬の姿で綾と面している写真もある。
(何故、響介が傑と同じ写真を持っているのだろう?)
我に返った時、足音が近付き、止まった事に気付いた。
恐る恐る視線と視線が行く。その先にはスーツのジャケットを
腕にかけて、自身を切なげに此方を見ている青年がいた。
「…………気が、付いてしまいましたか」




