34ダース・隠されていた天秤の玉座
綾が、最初に危機感を覚えたのは、
“ヒヤマ”という人物が、
自身達の学生時代の写真の持っているという事だった。
それには
非常に後ろめたい過去や現実が、詰め込まれている。
真壁葉月へのいじめ、そして何よりも伏せないといけないものが含まれている。
守山家専任の興信所に依頼し、
総出で調べて貰っているが、のどかの証言が曖昧過ぎた。
『ヒヤマ、そのフルネームは?
貴女、フルネームを聞いたんでしょ!! 思い出せないの!?』
『待って、待ってぇ……。私も今、混乱してるの』
強気に見えてのどかは、追い詰められると弱気になる。
煮え切らない態度に綾は爪を噛みながら、もどかしさを紛らわす。
(守山財閥の圧力で、
早く“ヒヤマ”という人間を、口封じしなくちゃ………)
ヒヤマ、という人物に危機感を感じていているのは、
彼が持っているという綾達の学生時代の写真。
本気を出せば、
自身の過去が暴かれてしまう、というものだ。
そうなれば、自身の人物像や守山財閥のブランドに傷付けてしまうのは明確だ。
綾が最も恐れているのは、傑からの軽蔑と憐れみ。
彼から軽蔑の眼差しでも精神的に耐えられないでいるのに、
ヒヤマ、という敵が彗星の如く現れた。
(涼宮麻緒の存在に脅かされているのに
まだ追い詰められないといけないの………?)
(漸く手に入れたものが、安泰だとは限らない)
河端のどかが、守山家に絶対的に近寄らない理由。
“____エスケープクロックホールディング守山綾社長は、
バリアフリー設計士『Tetsuya Miyamoto.』氏と業務提携”
新聞紙の一面を飾ったのは、それだ。
エスケープクロックホールディングは、
バリアフリー設計士として名を馳せる・Tetsuya Miyamoto.と業務提携をし
さ
共にバリアフリーに特化したマイホーム作りに乗り上げた。
Tetsuya Miyamoto____本名、宮本徹也。
そう河端のどかが陶酔していた、宮本遠矢の父親である。
金の切れ目が縁の切れ目と言わんばかりに、
遠矢はのどかとの関係を断ち切った。
彼の父親である宮本徹也は
バリアフリー設計士、という事が表立って有名だが、
実際はそんな一面は片鱗も感じさせないと感じた。
というものも、麻緒は先回りして
彼が設計士として参加した一戸建てに、
オープンハウスの見学者として内見に向かっていたからだ。
バリアフリーの材料は杜撰そのもの。
バリアフリーとは名ばかり。
足許に思わぬある小さな段差が多く、躓いてしまう。
加えて多めな階段の段数の上に階段の段数は吹き抜け、で危うく角張った規格で角にぶつかりやすい。
朧気な照明のスイッチ。
転倒しやすい、と感じた程、あり得ないものばかり。
守山家が、資産家の大財閥という事もあり
宮本徹也もマスメディアに注目の的となりつつある。
露呈したのは、
宮本徹也という社長が、かなりの曲者。
私生活では毎日、夜の繁華街で、違う異性を連れて歩いている。
宮本徹也の愛人と名乗る者いれば、
彼がバパ活の筆頭者として女子高生に援助している者もいる。
彼自身は既に未亡人だが、
相手の女性は皆、既婚者ばかりだ。
スキャンダルにも慣れてしまっている様で、
スポットライト症候群とも取れる特徴的な性格はとてつもなく強い。
ただ、焦燥感というのは、人を盲目にさせるらしい。
そんなくせ者の設計士と綾が業務提携した理由は
今のエスケープクロックホールディングが、
福祉に従事にする、というものを掲げているからだろう。
父親に良い顔を見せたい、見放されたくない、と
綾が持つ傑への焦燥感が暴走させた結果なのだろう。
守山綾は、父親から軽蔑の眼差しに
晒されるのは拒絶し、たった1人だけ__父親の傑だけへの自己顕示欲が強い。
宮本徹也は
マスメディアのスポットライトを浴びるのを求めた。
謂わば、両者の利害の一致とも言えよう。
(焦って飛び付いたもの程、無惨なものはない)
エスケープクロックホールディングのカスタマーサービスの電話は無人だ。
私情が昂ぶっている綾にとって、
のどかの告げた『ヒヤマ』という存在感が頭から離れない。
手先の仕事も手につかない程に、
興信所からの連絡を待つばかりだった。
興信所から連絡が来たが、
“該当者がなし”という事がだった。
焦燥感と悔しさの余りに机の書類を全て投げ出す綾。
書類が、空中を舞い踊る。
「どうして………見つからないの?」
焦燥感から当時の同級生に連絡を取ったが、
それでも分からないという。
_____真壁家、葉月の部屋にて。
葉月は、麻緒が点訳した小説の点字をなぞっている。
葉月は元々、文学少女で、
それを象徴するかの様に部屋には様々な小説が並んでいた。
「_____今は、もう読めないけれども………」
そう切なげに呟く葉月に、紬は点訳した小説を運んだ。
技能点訳士は麻緒の生業であり、
今は生活の一部となっているものである。
ちょうどその頃は、葉月の誕生日が迫っており
葉月の本棚にあった小説タイトルを密かにメモをして、生業の空間に、同名小説を点訳したものをプレゼントした。
「小説に没頭していた、あの頃みたい!!」
葉月は天真爛漫な微笑みが宿る。
紬に何度もお礼を述べながら、それは父親である篤仁にまで伝わり
「…………娘が、楽しそうな、あの頃に戻ったように見える」
と涙を流していた。
真壁家では、桧山紬の信頼度はうなぎ登り、
最近では葉月の友人であり、介助者という立場を得た。
けれども、水面に波紋するように、
麻緒の心の中では、
真壁家の人々にに笑顔を向けられると罪悪感が広がっていく。
(……………私は、そんな人間じゃない)
脳裏の片隅に現れる、“守山綾の実娘”というレッテル。
それは呪縛の様に付きまとい、時折にして麻緒を後退りさせるものだった。
これを償いと思い込んでいいのか
甘えていいのか。 許されないことは知っている。
葉月の微笑みが良心に突き刺さるけれども、彼女が微笑んでくれるのならば。
時折に微笑みを浮かべたり、神妙な面持ちをする葉月に
「(意外とホラーミステリー小説がお好きなのですね)」
「ええ。とても好きだわ。
この小説は、絶版になったと聞いて落ち込んでいたの。
けれど桧山さんがこうして伝えてくれたでしょう?
とてもありがたい事よ」
「(そんな、私は………)」
手を振って俯く紬。
葉月との時間はいつしか美琴との時間を思い出し、
思いを馳せる様になっていた。
葉月の性格は何処と無く、美琴と通ずるものがある。
(____今、あの頃のままなら、どうだったか)
名付けて貰った、
緒方香菜という人物のまま、生きていく事が出来ていたのだろうか。
平穏無事な生活は想像は出来ないけれども、
何処かで、なんだか恋しくなる。
あの裁判沙汰になった時、
守山家は真壁家の被害者になったと聞いた。
ならば、真壁葉月に会いに行っても良いではないか。
此方は被害者なのだから__と
そんなとんでもない思考が巡り始めていた。
あれから、真壁葉月は見かけないらしい。
ただ時折にして
自然豊かな静観な住宅街を、散歩しているとの情報を得た。
彼女も、もしかしたら『ヒヤマ』という人物を悟っていたりするのだろうか。
翌日。
生きた心地もしない中で、真壁家に、綾は愛車を止めた。
車から姿を伺っていたが、真壁家に変化はなく、
思わず唇を噛み締めながら、ハンドルを叩く。
その時、丁度、裏口から出てくる人影が現れる。
眉間に皺を寄せながら、早足で詰めかけて___綾は留まった。
深い黒髪のショートヘア。
淡く何処か儚さを感じさせるアンニュイな顔立ちと双眸。
黒いスーツ姿は華奢な身体にぴったりと似合っている。
その美貌に見惚れていると
白杖を持ちながら、真壁葉月と思われる女性が現れる。
聡明さと透明感のある面持ちは色褪せる事なく、年を重ねて磨かれていた。
(葉月だわ。…………隣にいるのは、まさか)
ヒヤマ、という青年だろうか。
青年は葉月の腕を支え、まるで王子が王女をエスコートする形で、二人で歩き出した。
彼は柔く微笑んでいる。
咄嗟に、携帯端末のシャッターを押した。
撮影した写真を拡大すると、誰かに似ている様な錯覚に陥る。
けれどもそれが誰なのか、思い出せない。
彼は葉月と近くを散歩をした後に
裏口玄関で待っていた男性と、葉月と一言二言、
話を交わしてから青年は、頭を下げて此方に来た。
車を通り過ぎたのを尻目に、綾は車から降りて追いかける。
「ねえ、ちょっと、あなた!!」
綾は叫んだ。
すると青年はぴたり、と足を止めてターンを
思わせる美麗な素振りで憂いを帯びた面持ちを此方に向けた。
夕暮れの景色がまるで脇役の感じさせる、優美な青年。
水面に浮かぶ不安と焦燥感が、綾の背中を押す。
「あなた、この家の人?」
青年は首を横に振る。
では誰なのか?と言おうとした刹那、綾は絶句した。
青年がいつの間にか訝げな面持ちになっている。
その青年の浮かべる面持ちに、
綾は機嫌を損ねそうになった。
が、青年はメモ帳ににペンを走らせると、綾に見せた。
『(もしかして、10年前。あの葬儀場にいた方ですか。
姉と話していた…………)』
「え…………?」
話が飲み込めずきょとんとしていると、
青年は続けて文字を綴りメモを見せた。
『_____緒方香菜、を知っていますか)』
思わず、目を見開く。
悪寒を感じながら、青年の瞳を見詰めた。
虚空ながら何処か、その雰囲気には威圧感がある。
そうだ。
確かに10年前、葬儀場で憔悴に満ちた緒方香菜に会った。
けれども何故、彼は緒方香菜を知っているのだろうか。
「ええ、そうよ」
その瞬間_____。
青年は、片手を顔を当ててそのまま上へ上げた。
悲哀に満ちた嘲笑は、
刹那的で、何処か薄幸さを帯びている。
綾が怪訝な面持ちをしたままでいると、切なく首を傾げる。
「…………何か、知ってるの?」
『(知っているも何も。僕の双子の姉ですよ)』
「………………え?」
茫然自失として、
口をぽかんと開いた綾に、紬は真顔になった。
それはまるで魂を抜かれた人形の様な美貌を
備えていながら、相変わらず瞳は虚空を移している。
何処か威圧感に怯え、思わず後退りしてしまった。
「嘘でしょう?」
『(…………嘘だと言うなら、これはどうです?)」
一枚の写真。
それは、緒方家の集合写真。
緒方香菜の隣には、あどけない彼女に似た少年がいる。
高校の入学式にも
姉弟で、入学式の看板の隣で写っている。
ぎこちない表情ながらも、朗らかな表情の少年少女。
『葬儀の時、共同の喪主でした。
姉はとても憔悴していたから、
手続きに関する事を僕が全てしていたんです。
すると、貴女と話す姉が見えたのを今でも覚えています。
僕は手続き中でしたけど、
貴女と話した後で姉は警察に連れて行かれた。真犯人として』
青年は器用にメモに、そう綴りこなしていく。
綾を見詰めるその虚空の双眸はどことなく、怪訝さを増している。
___そして、次の言葉に絶句する。
『姉は、両親を殺めた真犯人と決めつけられた。
僕の声は警察は聞いて貰えなかったんです。
追い詰められた姉は両親を喪った憔悴から、獄中死してしまった』
(____嘘でしょう?)
『(貴女に出会っていなければ、
姉は疑われる事もなかったでしょう。
そして自ら死を選ぶ事もなかった筈です)』
『____姉さんが産んだ子を捜し出して、引き取るよ。
そして僕が見守っていく』
あの時。生まれたのは娘。
双子じゃない。
緒方家にいた、一人娘。
緒方准の娘。弟の傍に居たから、てっきり思い込みで
それが、自身の生んだ娘だと思っていた。
そうで間違いがないのだと。
なのに____緒方香菜には双子の弟がいた。
桧山紬は、緒方香菜の双子の弟。
『(どうして、姉を連れて行ったのです?)』




