30ダース・罪の潜在的意識が生まれる時
私は、平和に生きていきたい。
けれど、私の10年間、
そして大切な人を奪ったかも知れない“貴女”に私は赦すつもりはない。
守山綾の出身校は、
県内で有名なカトリック系のお嬢様学校。
桧山紬の姿で現れ、ヴィンテージ風の校舎を見上げ眺める。
アポイントメントが取る事が出来たのは、夕刻の頃だった。
「ええと………ひやま、つむぎさんですね。
御用のお話とは何でしょうか」
目の前には、
まるで陶器の様な刹那的な美貌を称えた青年。
校長室に通され、
何処かしどろもどろの口調で彼の目は泳いでいる。
表情は表に現れるタイプなのだろうか。
学校の連絡用メールサイトに
“桧山紬というジャーナリスト”と明かした上で
『エスケープクロックホーディングス社長の
守山綾の事でお聞きしたい事がある』と送っていた。
この挙動不審さを見る限り、守山財閥の権力に怯えている。
(その恐怖感からどうか、先手を打ってくれないだろうか)
予め渡されていたホワイトボードに、
紬は迷いなくすらすらと尋ねたい事を書き連ねていく。
『××年度から××年度まで在籍していた
守山綾さんに関してお尋ねしたいところが御座いまして参りました』
「………………それは?」
『守山綾さん、高校一年の夏から高校2年の冬まで
休学していたとの事ですが、それはご留学等でしょうか。
また正式的な期間をお尋ねしたいです』
最初は的違いな事で、話を乗り出した。
この学校にジャーナリストと名乗る人物が、
どれ程、訪ねてきただろうか。
何処か
うんざりとした様な飽き飽きとした様な気持ちだ。
だが目の前のジャーナリストと名乗る青年は
まだ青二才くらいで新人めいた雰囲気を纏わせている。
単に気取っているだけかも知れないし、
新人めいた青年が守山家の内情を上手くまとめられるなんて、出来やしないだろう。
ただの遊びかも知れない。
「確か、6月下旬頃でしたかね。
復学は翌年の新学期の高校3年の春ですよ。
保健教諭によれぱ、ずっと体調が悪かったそうで」
『体調不良という事ですか』
「ええ、まあ。そういう事ですかね。ですが、
“学校側としても良かったと思っていたんですよ”」
『それは………何故でしょうか』
「これは話しづらいのですが
彼女は当時、副担任と援助交際している噂もありましたし、
なんせ学校側は守山家には逆らえませんし、
彼女自身はカーストの頂点に居て
気に入らないクラスメイトが居たら、
相手が自害を想う程に相手を追い詰めていましたからね」
要はいじめっ子。
自害を考える程に相手は心を病み、
保護者が乗り込んできた経緯すらもある、と話す。
気に入らない者は徹底的に追い込んで、その人の人生を、心を壊していく。
(はい、としか言い様がない。あの人のやりそうな事よ)
「で、ですね。これはここだけの話ですけれど、
虐められていた女子生徒が薬の過剰摂取より自殺未遂を起こしたのです。
命は助かったのですが………後遺症として失明しました。
そして保護者が、精神的な苦痛を盾に裁判を起こした」
校長教諭の発言に、微かに驚く。
それはどの守山家に関する文献には書かれていなかった事をだからだ。
「被害者側の生徒も、名家の娘さんで、
ご両親はかなりご立腹されていて、裁判は長期に渡った筈です。
しかし何があったのか、被害者側と加害者側が入れ代わり、
守山家が被害者となった。勝訴した、と聞いております」
紬は、何処か違和感を感じた。
今まで無関心にしていた校長教諭が、その女子生徒の事や 裁判の事になると、神妙な面持ちになり
その声音に熱を籠らせていたからだ。
『その裁判ですが、6月下旬から始まったのですか』
「そうです。守山さんが復学した高校3年の春には、
もう終わりました。最高裁まで戦っていたのですがね」
6月下旬に、綾が行方不明なったとして、
本当の自身の生年月日を照らし合わせた時、
彼女は既に妊娠していた計算と合致する。
周りは裁判が起こっている間は
休学していた、と思い込んでいるみたいだが、
実は身重である事を知られたくなくて、綾は失踪したのか。
(守山家にとって都合の悪い連鎖が重なった)
名家同士でも、
守山家の無慈悲な権力に叩き潰されてしまったのだろう。
そして被害者となった守山家に同情の眼差しが向けられたのか。
生徒同士の揉め事に、
基本的に学校側は無関心だと聞く。
しかし何故、
その女子生徒の自害の理由やその後の生活、
最高裁まで話がもつれただとか、詳しい情報を知っているのか。
まさか、と思いながら、
紬はホワイトボードに尋ねたい事をしたためた。
(世の中は広いようで、狭いと言うわ)
『私の検討違いでしたら申し訳御座いません。
私の予測ではありますが、
もしかして校長先生、貴方は_____』
暗闇の中、
室内用の白杖で辿りながら、女性はベッドに腰を降ろす。
そんな時、だった。
「葉月」
「…………お父様」
「ちょっといいかい? 葉月に会いたいという人がいるんだ」
「………………私に?」
募る恐怖心。
暫く沈黙してから、いいわ、と告げた。
聞き慣れた父親の足音とは別に
今にも消えてしまいそうな儚さを想わせる足音が聞こえる。
整えられた色素の薄い背に流れる髪。
ワンピースタイプのルームシェアに、右手には白杖。
目線は合わないが、紬は静かに頭を下げた。
紬に変装しているが、麻緒の心の中は複雑さが帯びる。
水面にじわりじわりと罪悪感と贖罪の色合いが広がっていく。
自身は__彼女を傷付けた、女の娘なのだ。
(_____ごめんなさい)
「此方にいるのは、桧山 紬さん。ジャーナリストだ。
…………その、守山家の事を暴こうしていらっしゃる」
父親である彼は、
最後の言葉を言いづらそうに告げた。
葉月は守山家、と聞いた刹那、何処か険しい眼差しになる。
そして、何処か怯えている様なものだ。
「彼は、声を喪っている。
代わりに、点字技能士として頑張っておられる方だ」
「声を………? 点字技能士というのは、
点字を作っておられる方ということ………?」
紬は頷く。
そして、点字が綴られた紙を渡された。
『(初めまして。桧山 紬と申します。
いきなり、この様な形でのご対面となり、申し訳御座いません。
私は貴女と話したい事があります)』
完璧な点訳だった。
_____数時間前。
『貴方は、もしかして____当時、
関わられていた方、当事者の方ではないですか?』
茜色に染まった部屋で、
真顔のまま、彼はそう綴っていた。
暴かれた秘密。
その掲げた言葉に、
校長もとい、真壁篤仁は驚愕した。
まるでエスパーの様に事実と心情を見透かしたジャーナリスト。
それには、もうお手上げ状態になるしかなかった。
篤人は顔を手で抑えて泣き崩れる様に、項垂れる。
そして震える声音で、こう呟いた。
「そうだ………被害者は、私の娘だった………」
真壁葉月は、被害者であり
大量の薬の過剰摂取にて自害を選んだ末に、そして後遺症として失明した。
点訳を読み終えてから
「桧山紬さん、丁重で優しい人柄の人ね」
「………いいえ」
そんな謙遜する人柄も、
丁重な点訳も、誠実さを感じて葉月は優しく微笑んだ。
「お父様、席を外して頂けます?
私はこの人とお話ししてみたいわ。
それにジャーナリストさんならば。
私は伝えなければいけない事があるから………」
躊躇う篤仁だったが、実は桧山紬の自白も聞いていた。
ジャーナリストとして偽名を使い、男の装いをしている事を。
葉月の言葉に目を丸くして、
真壁を伺う様に視線を向ける。
篤仁は娘の意思を尊重したのか、
分かったとだけ言い残して部屋から去っていった。
意外にも、紬が何処か困惑めいた面持ちを浮かべてしまう。
「…………こちらに来て貰えます?」
静かに紬は歩き、
葉月の前に来て立ち止まり、膝を付いて目線を合わせる。
視線は交わらない。紬の手許には首から下げたボードに
点字用紙、携帯点字盤を備えている。
「自己紹介して頂いても宜しいですか?
あと、具体的なあなたの姿を教えて下さい」
紬は、頷く代わりに手を握った。
そして彼女の手のひらに指先で、
“暫しばらくお時間を頂きます”と指文字を書く。
コツコツ、と静寂な部屋に響く。
何処か不安げな葉月の視線を感じながら、紬は正確に点訳していく。
『私は、桧山紬と申します。26歳です。
守山家の内情を追いかけるジャーナリストです。
普段は防衛の意味で男性のふりをしておりますが、女性です。
今は、男性のふりしております。
ですので姿はスーツ姿、水色のシャツに、ネクタイ、 黒いジャケットと、スラックスです。
声は、事故によって喪いました』
『____香菜ちゃんなら、出来るわよ』
不意に脳裏に零れ落ちた声音。美琴の声。
誰かの為に、面と向かって点訳するのは、何年ぶりなのだろう。
美琴の声音にじわりじわりと涙腺が脆くなるのを抑えて、点訳を続けていく。
「有難う。そういう方なのですね」
『(恐れ入ります)』
「桧山紬さん、というのは、いい名前ですね。
それとも、これも装備なのですか」
『(…………実を申しますと、そうです)』
「そうなのですね」
点訳を読み終わった葉月は静かに、そう告げた。
罪悪感から、紬は葉月の顔を直視出来ない。
ふふ、と優しく微笑んで、
葉月は、核心に切り込みを入れた。
「何故、ジャーナリストさんに?
それも………あの守山家に。理由をお聞きしてもいいかしら?」
『(はい)』
長く時間を貰って、
紬は伝えるべき項目を、全て点訳し終えていた。
重大な項目を映し出した点訳の紙を、葉月にて渡した。
点字をなぞっでいた葉月だったが、軈やがて、目を凝らした。
「(____信じてもらえない事は、承知です。
ただ私は、守山綾という人に10年間という時を奪われました)」
「守山綾に、10年間を………?」
葉月の手のひらに、はい、と書いた。
「貴女も、あの子の被害者なの?」
続けて、はい、と綴る。
「…………10年。16歳の時ですね? なんて事を………。
やっぱり何も変わっていないわ。
無慈悲なあの子の事だから、酷い仕打ちを受けたのではないですか」
脳裏に零れ落ちた光景。離れない傷痕。憎しみの鎖。
『(…………私はいいのです。
確かに私は、多くのものを失いました。
大切な人達、時間。心。
そんな中で気付いたのです。
彼女が貶めた人は私だけではないのだと。
そして、あの守山綾という人物を知り、
彼女によって傷を受けた方のお話に耳を傾ける事だと。
けれども貴女が受けた痛みも多かった事をだと思います。
それでも力強く生きて居られる貴女に、私は敬意を示したいです)』
なんと謙虚なのだろう。
沢山の傷痕を抱えながらも、自身は二の次という姿勢。
誠実さと裏返しが、今にも壊れてしまいそうな硝子細工の様に感じた。




