29ダース・踊り子の秘密
(何故、叔父と養母は、殺められたのか)
もしも、彼らの事に
綾が何かしら関わっているのならば、
弟夫婦を殺める意図と動機があったのだろうか、と
麻緒は項垂れた。
『(強盗説、怨恨説、どちらなのか)』
事件当時、最初だけ囁かれた謎。
香菜には心当たりがなく、また二人共に、
恨みを買う人ではないと思っている。
身代わりとしたされた瞬間に、
香菜が養父母を殺めたのだと警察は皆、決め付けた。
密かに心に怨恨を抱いていた。
それは来年には夫妻に子供が誕生するという事実ともに
そうに決まっている、と誰もが高らかに
事情聴取の刑事はそう決め付けた。
(あの人達に、恨みなんてどうやって、抱けばいいの)
恩しか抱けないこの心を、怨恨に染める事は出来ない。
憎しみ恨むのならば、どういう形と成せば良いのか。
寧ろ、その方法を教えて欲しい。
(まるで、天秤のように)
まるで麻酔の海に溺れる天秤の皿だけが傾いている。
他の可能性がある皿には、誰も近付かない。誰もいない。
もしも違う意見がある者ですら、
孤独感と疎外感を感じると知ると人はそれを嫌い、
自らの思考さえも捨ててしまう。
集団の意見は錘りとなって、
それに押し潰されるのが嫌だからだ。
此処は、
ガラス張りの、街の外観が一望出きるレストラン。
一応、形だけの結婚記念日として、ディナーコースに訪れた。
『守山家は侮れませんから
監視されている可能性もお忘れなく。
偽りの夫婦でも、
そう振る舞わせて、守山家を安堵感を錯覚しないと』
響介はいつだって、用意周到だ。
色々な視野を広げて、色々な罠にかかる様にと
策略家同然の事を素でそつなくこなすのだ。
守山家と関わる様になってから、
仮面を被る事も、演じる事も増えているのに
面倒がらず、愉しげに“罠”を選んでいるのだ。
大人しい妻を演じるだけ。
けれども今日は少しだけ、違う。
(この人に聞けば良かった事を、
私は何故、今までおざなりにしてきたのだろうか)
白ワインを嗜みながら、麻緒は身を乗り出した。
『緒方香菜と最初に聞いた時、犯人だと思いましたか』
『…………今更、なんです?』
メッセージアプリでしか交わす事のない会話を
無興味そうに見詰めていたが、
不意に響介の脳裏にはあの光景が反映された。
『養父母を無慈悲に殺して、
自身は被害者ぶってる薄情な犯人ですよ』
『動機は何か、聞いておられますか?』
国選弁護人として選ばれ、
初めて緒方香菜と面会する廊下で看守は、
香菜の事をそう言っていた。
『それもはぐらかしているんですって、
何処までも被害者ぶりたいのか、今の子って怖い』
才色兼備、容姿端麗のどこにでもいそうな少女。
けれども冤罪事件を視野に入れた時に、
そうではないのだと思い知る。
人は見かけに寄らないという。
けれども少女が夫妻を殺めるには、矛盾点が多い。
大体、怨恨ならば、気分も清々するだろうし、表情から違うだろう。
決定打なのは、人の少ない町で
夜明けの前の犯行だから、逃亡だって出来た筈だ。
____それに町の人々は
嘆願書を作成して、緒方香菜の無罪を信じている。
町の人達の願いに横槍を入れたのは、一体、誰なのか。
『では逆にお聞きしますが、養父母を殺めた後に
何故、貴女は逃亡する、という選択を選ばなかったんです?』
『……………』
麻緒は、茫洋としている。
飾り付けられたドールの様にただ、座り込んでいるだけ。
返す言葉が見当たらないというのは、図星のようだ。
『何故、この娘が、無罪と言い切れますか?』
そう尋ねた時に
娘が緒方香菜とクラスメイトだったという女性。
彼女が放った衝撃的な言葉。
『あの娘は肩が上がらないんですよ。
いや、肩と腕をあげちゃいけないのかな』
『どういう事ですか?』
微かに驚愕の表情を浮かべる響介。
女性はわざとらしく首を捻って考え込んでいる。
『なんだったかしら。
昔、緒方さんに引き取られる前の
養父母と暮らしていた時に虐待を受けていたらしくて。
硝子の花瓶で背中を殴られて
硝子の破片が肩や背中周辺に入り込んでいたらしんです』
響介は水をかぶった思いだった。
麻緒はその言及は一言もした事はない。
『それをずっと放置されていて、
施設に戻ってから手術を受けたらしいけれど、
硝子の破片が粉々で___だから取り切れないまま
現状維持にして、肩や腕を上げる事はNGでした。
現に体育もずっと見学していましたし、
もし破片が原因で
内蔵や血管を切ってしまったら危ないって。
街では緒方さんがビラを配るくらい、慎重にしていたから』
背中や肩には重要な血管がある。
それに加えて首となれば致命的になるだろう。
もし彼女が犯人説が透明になっていく。
まず腕を振り上げる事は出来ないであろう。
最終的に硝子の破片が、彼女すらも傷付けて危ないだろうに。
(言われてみれば、そうだ)
現に麻緒の可動範囲は手首だけになっている。
最初は不思議に思っていたが、
うつ伏せの体勢で眠る。
車に乗り込み、頬杖を付いて記憶を遡る。
『背中が痛くて』
病院に行きますか、と
響介が告げたら病院は嫌いという
背中辺りが痛いという理由がそれである事を響介は知った。
(最早、こじつけられた、
冤罪事件だとしか思えなくなってきた)
あの町に行くと、緒方香菜を庇い
叩けば埃が出る様にほろほろと新証言が現れていく。
『最初から犯人と、決め付けられていましたよ』
『そうですか』
麻緒の顔色は暗雲めいたまま。俯く。
『でも、僕は冤罪説を、肯定したいです』
『………………なぜ?』
不思議そうに、怪訝そうに、響介に視線を遣る。
彼は訝げな、優美な微笑みを浮かべていた。
『貴女、肩が上げたら駄目でしょう?
ドクターストップもかかっていた筈です』
『………………』
麻緒が絶句する。
響介に一度だけ視線を向けた後に、どうして、と。
『冤罪を立証するには、証拠や証言が必要となりますからね』
緒方香菜を引き取った孤児院。
そして手術を担当した医師に物事を確認した。
『6歳の春てすね。
できる限りの事は手を尽くしましたが
破片が粉々で、血管を傷付けてしまう可能性がありました。
____ですので、オペを中断致しました』
レントゲンが表す
背中や肩辺りには、痛々しい程の粒が散乱している。
傷の雪___そう思ってしまう程に。
それに医療少年院にいた頃、
過度の体重減少から浮かんだ傷痕の意味を知らなかった、
看守が彼女を横暴に扱った事で、血管が切れて、
緊急手術を受けている事も。
暴力沙汰が明るみにならぬように消されたという。
彼女は、大事な事を言わない。
『その時にも破片が、取れたらしいです。
まだまだありますけど………』
『………何故、黙っていたのです?』
すっ、と刹那に心が氷水が浸透していく。
瞳には陰りが写るものの、
麻緒は夜景に視線を移し紛らわせる。
土足で踏み込まれている様な感覚を感じる時、
解離現象が現れるのだと。
嫌いだ。
(それを言ったところで、貴方に、何の血肉となるの?)
閉ざした心。
硝子に写っている女は、誰も知らない氷の女。
それは、緒方香菜ではないと感じてしまって、
無意識的に内心で嘲笑う。
『言った所で解決しないでしょう?
医療少年院では、
危篤状態に陥るまで手術は続いたそうで。
その時、いっその事、放置して貰えればよかったです。
ですが、大半は取り終えたと太鼓判を押されて
今は時折、痛みを感じる程です。
今、この症状だけで治まっているのは
手術だけではなくそれは涼宮さんが、
過保護にして下さっているおかげかも知れない』
『いい意味の、嫌味ですね』
彼女は、何も自身の事を告げない分、秘密を持っている。
それほ殆どが衝撃的なものばかりで、
孤独に何もかも自身で背負っている様に見えた。
弁護士は心情を隠し、静かに微笑んで、嗤った。
_____守山家、綾の自室。
眉間に皺を寄せ、写真を手の中で何回もクロスさせる。
金銭で密かに雇った探偵に、
涼宮麻緒を監視しろと命じて以降、彼は綾に忠実だ。
『涼宮麻緒は、涼宮弁護士と結婚記念日を祝っていました。
微笑ましい雰囲気でしたよ』
それは、まるで風景よりも絵になり
モデルの撮影だと錯覚してしまうと共に、
麻緒を香菜に、弁護士を弟にそれぞれ面影を重ねてしまう。
軈て、
ダン、と机に写真を叩き付けて、歯を食いしばる。
悔しい。恨めしい。
どうして相手はこんなにも幸せそうなのだろう。
どうして、
自身はこんなにも惨めな想いをしなければならないのか。
傑に用事がある、と内線電話で呼ばれ、書斎に呼ばれた際に
「とんでもない事をしてよってからに」
「きゃ…………!!」
父親に張り倒されて、綾は転倒する。
傑は誰もが認める血の気の多い人物でもあるのだ。
傑は綾を睨み付けている。
思わず綾は、何の事か分からなかった。
腫れた頬を押さえながら、綾は何故と問いかける。
「先程、涼宮弁護士から連絡があった。
涼宮麻緒の肩や背中に衝撃を与えていないかと」
「……………え」
心当たりはある。
彼女の回答が欲しくて、もどかしい気持ちで
華奢な肩を揺さぶった事は幾度もある事を思い返す。
___けれどもそれが、何に繋がる?
「涼宮夫人は、幼少期の不慮の事故で、
肩や背中に硝子の破片が体に残っているそうだ。
下手をすれば血管を傷付けてしまう事もあると。
だからこそ、
それらを留意して生活を送っている、と連絡があった」
綾は、驚愕に包まれた。
____涼宮麻緒は、身体に硝子の破片を抱えている?
本人は何も言わないし、
興信所や探偵の調査でも報告はなかった筈だ。
女は傷痕に敏感だから幼少期の不慮の事故は
胸の奥底にしまっておきたいのかも知れない。
けれどもそう思った刹那に、綾は悪寒が背筋に迸る
探偵事務所でも、車での拉致騒動でも、
涼宮麻緒は仰向けを強制される時ばかりだった筈だ。
それに自身も彼女の肩を揺さぶった事も重なる。
(それを、知りながら、彼女は………応じていたの?)
あの時に、
もしも、破片が涼宮麻緒の身体を傷付けていたら。
ぞっとした。
ただ焦燥感と切迫感に包まれて、
追い詰める事しか出来なかった。
そんな命の危機と隣合わせの彼女に問い詰めていたなんて。
首の皮一枚で生きていただなんて。
(でも、緒方香菜でも、そんな事はなかった筈よ)
涼宮麻緒と彼女と瓜二つの少女と重ね合わせてしまう。
緒方香菜に関しても、そんな情報は耳にしていない。
という事は彼女達は、やはり別人そのものか。
「………………」
(涼宮麻緒………貴女はどこまで、私を追い詰めるつもり?)
涼宮麻緒の抱えた秘密が、綾を窮地に追い込む。
悔しさ、憎悪、侮辱、様々な気持ちが混濁しながらも、
綾は顔を伏せる。
「幸い、無傷のようだが、傷物にしていたら
守山家の名にまた傷が付いてしまう。なんて事を。
涼宮弁護士もこれ以上、妻に接近されては、と、
接近命令を下す事も視野に入れているのだと断言された。
こめかみに手を当てて
それは守山家に汚点を塗ったも同然だと、傑は嘆く。
「人間は、感情の動物というが、
何故、貴様は自制できないのだ。親として恥ずかしい」
「………………それでも、孫娘でしょう?」
頭を肩肘を付いて押さえながら、
隙間に彼は鋭い眼光を傑は娘に浴びせた。
綾は上目遣いに懇願する様な眼差しを向ける。
「お父様は、何も思わないの?
孫娘が身体に危険を抱えながら、紙一重で生きているのよ?」
「前にも言っただろう。孫娘とは、認めないと。
認めければ、何の感情も湧かない。それになんだ、
今更母親面か」
「………でも、守山家には、必要な人材かも知れない。
もう後継ぎはいない。
お父様の血だって、涼宮麻緒は受け継いでいるのよ。
彼女が居なければ、守山家の血は絶えたも同然でしょう?
要かも知れない。………心配はないの?」
「あの子供は、生まれながらにして罪を持ち
生まれ落ちた、そんな娘を、神聖な守山家の跡は継がせない」
冷酷に告げる傑。
だが興味の欠片もないと言いながら、何処か苦い顔をする。
涼宮麻緒は、守山家から離れて暮らしていた影響で
守山家のブランドやそれらを重んじる自覚もない。
だからこそ、
他人を守山家に入れる、様な気がしてしまう気がして
気が気でないのだ。
けれども、
彼女と相対してからは何処か認識が変わりつつある。
守山家の血を引いていながら、守山家とは何処か希薄で
守山家を軽視されているように感じる。
それだけは、叱りたい。
守山家がどんな名家なのかを、彼女に熱弁を奮たい。
洗脳してでも今は涼宮麻緒を手許に欲しい。
それは傑自身が
守山家の気高きプライドを背負ってきた故に、
それを不服と感じてしまう自身がいる事も否めない。
それに是が非でも
“綾が最初に生んだ娘には、後を継がせる訳にはいかない”
守山家を、
おざなりにするのは、罪だと教えられてきたが故に、
違和感と不服、プライドが、孫娘でありながら
涼宮麻緒は“守山の反逆者”だと心が叫んだ。
守山家の関連書籍を読み漁りながら、おおよそ25年前を辿る。
守山家の権力によって闇に葬られてしまった、
ジャーナリスト達の肉声とも呼べる、文章の言の葉だけは
虚像の守山家が、どれほどに醜いものか生々しく、
綴られている。
麻緒が気になっているのは、傑のあの一言だ。
『___子には罪はないと分かっている。だがな、
25年前、
涼宮さんは、守山家を波乱の渦に陥れた張本人だ』
波乱とは、どういう方角の事を指しているのだろうか。
『___寒い季節だったわ。
混乱しながら
ずっと時計を見ていたから日付は覚えているの。
娘が生まれたのは、19××年の2月27日よ』
今の綾の年齢と、自身の本当の生年月日を
引いて逆算すると綾が高校生の頃となる筈だ。
未成年の頃に生まれた計算となる。
准の遺言を思い出す。
『姉が、16の時だったと思います。
姉が失踪したのです。姉の身元は
守山家の探偵に見付かり守山家に連れ戻されました。
そして、
探偵の言葉から守山家は大修羅場と化しました。
姉は妊娠していて、突然、失踪した時には
ひっそりと子供を産んでいたのだと。
父親は憤怒し、母は寝込みました。
けれども姉は平然としていた。
娘は孤児院の前に置き去りにしたから、無かった事になると。
守山財閥は護られるのだと』
准の遺言から世間体を気にしただけと思い込んでいたが、
傑の言っていた“波乱”はどうも一致しない。
ジャーナリスト達の綴られた25年前。
守山綾を注意深く目を凝らしながら、麻緒は糸を探る。
____そしてある部分に目を留めた。
___守山家の令嬢は、
高校1年の夏から、2年の冬まで不登校だった。
(これだわ)
准が言っていた17歳の頃。
自身と綾の年齢を逆算して辻褄が合う。
そして手許の携帯端末で、守山綾の高校を調べる。
(強行突破をするしかない)
守山家に、先に切り札を出される前に。




