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27ダース・焦燥の暴走、疑心暗鬼

【警告】

流血描写がございます。

閲覧する際は注意しながら、お読み下さると幸いです。




 (嫌よ)




 反射的に、神経がそう叫んだ。






(貴女を見る度に、あたしは惨めで屈辱的な想いになる。


でも跡継ぎ問題を解消して、 

赦して貰う為には貴女が必要なの)



 愛憎と、執着心が(たぎ)る。




 例え、嫌いな相手でも………。





「お父様を無視して、ムービーカメラを止めなさい。

そしてこのまま車を発進させて。行き先は何処でもいいわ」


「……………え、でも」




 運転手は躊躇いを見せながら、後頭部座席に振り向いた。




 その刹那、

般若の如く睨みを据えている綾に対し思わず

悪寒が(ほとばし)り、刃を向けられている事に怯える。

恐怖心から素直に従い、そのままアクセルを踏んだ。




 車は緩やかに、

傑を乗せたリムジンを通り過ぎていく。

けれども運転手は綾の存在感が焦燥感となっていたのだろう。




 車は小刻みに揺れて、不安定な運転を続けている。




「はい、これ」

『(…………?)』




 渡されたのは、スケッチブックと油性の黒のペン。




「私と会話がしたければ、これを使いなさい。


………………私って優しいでしょう?」





 綾は焦燥感の何処かで、

恍惚な微笑みと共に自己陶酔しているのだと気付いた。



 相変わらず肩を掴まれ、

首許にはナイフが光っている事に気付いた。

麻緒は何の反応もなく綾の様子を伺う。こういう時は相手を刺激しない方がいい。



 何処か麻緒は、疲れていた。

この悲劇のヒロインを演じたがる女に対してだ。

だがここで終わる訳にも行かない気がして、気を張り詰める。




(こんな無様なままじゃ、

 叔父さんと美琴さんに顔向けが出来ない……)










 「何処に、」






 恐怖に怯えながら尋ねる青年の運転手に、

綾は鬼の形相で告げる。






「何処までもよ! でも遠く走り続けて頂戴!!」






 肩が痛みの悲鳴を上げる程に剛力で、

昂ぶる綾の感情の留め金は、誰も持っていないのだと悟る。

絶望的な現状に浸されながらも、麻緒の精神や心根は冷めていた。

麻緒自身が過去の出来事から、

恐怖や痛みという感覚は麻痺している。




 麻緒が人質の様に見えて

それは運転手の青年も、同じだろう。

元に焦燥感からなのか、最初の余裕のある運転とは違い、今では蛇行気味の何処か不安定な運転に変わっていた。






 ただし、恐怖に包まれながら安全な彼とは違い

麻緒に関しては、ずっと刃が向けられている。






(選択を間違えれば、今の守山綾ならしかねないわ)






 目的はひとつだけ。










____傑へ縋り付き、守山家の孫娘でいたいと懇願すること。



 ただ、そうすればいい。





 だが、それを成してしまうと、

綾の手の上の駒の傀儡(かいらい)でしかない。









 それに、麻緒にそこまでの執着もなければ感情もないのだ。


 あの日、この女によって罠に貶され

大人の穢れと醜さの煮え湯を飲まされた末に絶望的な人間不信に陥った。

 あれから、素を見せる事も

本心さえも隠し閉ざしたまま生きている。




 ちらりと見た綾の横顔。

血走る双眸、魔に取り憑かれた心が表情に現れている。

冷静沈着としていく脳内で、ある疑問符が浮かんだ。








“ねえ、兄さんと、美琴さんは……どこにいるの?”










 走り書きしたのは、あの言葉。
















(私を此処まで、追い詰めたのは、貴女よ)






 緒方香菜に似た、涼宮麻緒。


 彼女は赤子の手をひねる様に、

綾の感情を激高させては無慈悲な混乱の海に投げ出す。

沖のない冷たい海に溺れたまま、迷子になった。



 緒方香菜を連想させる人物。

麻緒の存在で、どれほど傑に自身の醜態を晒す事になったか。




 麻緒が現れてから、どんどん、

傑に見捨てられないかという恐怖心にも似た焦燥感に

襲われては、醜い自身の不器用な執着が(あらわ)にされる。






 けれども、全てを伝え、受け入れたのは彼女だけ。




 人形として、駒として、扱うなら。


 


 娘の代わりになってくれるのなら。








 憎悪と利用価値と、天秤に掛けた時、

今更、涼宮麻緒を切り離す事は出来ないと気付いたのが現状だ。






____この憎悪は何処かで、

 “本物の娘”に向ける感情にも似ている。






 そんな事を思っていると

此方に注がれている疎ましく視線に気付いた。

今、涼宮麻緒は後頭部座席に座らせ、ドアを背に追い詰めている。


 彼女は口許を動かし何かを言っているようだった。




 ページをめくり、こう尋ねた。








“______兄を知っていますか”




 心の中で舌打ちをする。





『____貴方の父親を思う気持ちは、盲愛にも似ていますね』








 優雅な微笑みが特徴的だった、合理的思考の弟。






“涼宮麻緒を想う度に弟を思い出すのは、

どことなく似ているのは、性格的なシンパシーのせいか”








 それとも身近にいる人物の性格が単に似ているせいか。

弟を連想させる度に浮かび上がるのは、

憎悪にも似た嫌悪感。



(___人の感情を逆撫でる事は得意ね)




 確か、涼宮麻緒は三姉妹の次女だった筈だ。



 兄はいない。

なのに何故、何度も“兄”と尋ねるのだろうか。


 書き綴られる言葉に、恐怖と嫌悪を感じて

思わず肩に置いていた手で、口を塞ぐと

そのまま引き摺り下ろされる様に、麻緒は雪崩れる様に椅子に背を付く。



_____不安定な車内が憎しみに揺れた。






「本当に、息の根を止めるわよ…………。

静かにしていれば、命だけは見逃してあげる」



 生き延びたいのなら、言う事を聞け。

しかし凍り付いた麻緒の心は微動もせず、寧ろ

追い詰められた現実が、冷静さを運んでくる。




(………罠にかかった。単純な人ね)






 あとどれくらい、

この密室を、どれくらい引き伸ばせるだろう。




 銀色の刃が迫る、不安定な車内で、

加えて光る刃がある以上、下手な行動には出られない。



けれど、“綾を激高する事を、麻緒は待っていた”。




 この左後頭部座席から

横になった時に、斜めから運転席が見える。

大体、道路では

他の市町村に突入する時には左上に看板があるだろう。




 永遠にも感じるこの密室で

あれからどのくらい時間が経過したのだろう。



最初よりも車のスピードは落ちた気がする。






 よく見ると運転手の青年の手は

かなり震えていて、ガソリンのメーターも半分以下に。

恐らく“誤魔化しは、長らく持たない”。






「____したたかな娘」






 麻緒は憂いの眸を向ける。其処には焦燥の微笑。







「ここまで身の危険が迫っているというのに、動じない。

馬鹿なの? どんどん遠退いていくわよ?

それを打破するには私の言う事を…………」




 言葉は、止まった。

刹那に車内には絶叫が響き渡った。

綾が向けた刃を、麻緒がその手首でなぞったからだ。




 傷が深いのか、深紅色は彼女の腕を伝う。

腕から離れた赤の雫は、ぽとり、と白い頬を染めた。

生気をなくした人形が其処にいるかの様に思えてしまう。




(貴女の欲しがる武器なら、ここにいるの。

その道具が自ら、断ち切る事を覚えている事すら、

忘れてしまっているようね)



 ある意味、麻緒は、綾を破滅させる人間だ。



 立場も、その人格も、それは全てモノにはならず

麻緒が綾の首を自ら締めさせるというものだろうか。




 守山綾は知らない。分からない。

自身の焦燥感と感情の暴走する度に傑に見離され、品格を下げている事を。




 恐れ(おのの)いた運転手が、路肩に車を止めて、後ろを見た。






















 “____もっと、憎しみ合え。


そしてその滑稽て狡猾な、母娘の愛憎を見せておくれ”






 其処には、杞憂と憂いを帯びた瞳。








『(こんな暴挙に出ても、会長は、お祖父様は、お認めになりません)』




 声音は出なくとも、唇を動かした。




 口角だけを動かし続けながら、

恐れと恐怖に苛まれて、後退る綾に麻緒は手を伸ばす。


 脅しに使っていた刃で自らを傷付けた彼女は、

深紅に染まる手で、透明な物憂げさをたたえる面持ちで綾の頬を包む。






 その双眸には、憂いと悲哀。

狂気に狂った彼女は自暴自棄で危うさを伏せ持っている。

なのに、儚く今にも美しいと思わせるのは何故か。






『(この手は、貴女が自暴自棄になる為の手でもない。


 本物の娘様と再会した時に合わせる手です)』




『(………暴挙に出ても、娘様が悲しむだけです)』








(絶対に私は、貴女の手のひらで、踊らされない。

それが自分自身を痛め付ける結果となっても………)






 その姿は、緒方香菜と重なる。

涼宮麻緒なのか、緒方香菜なのか、分からない。

そう考えている内に、突然綾の頬から華奢な手が落ちた。




 彼女はそのまま、後部座席の足許に転がる。

驚いた拍子に綾の拘束が、身体から離れたのを麻緒は見逃さなかった。




『____緒方香菜も、点字が出来たそうです』






 頬を包んだ手。

いつの間にか血に濡れた手に、綾は絶句し悲鳴を上げる。




 気が動転しかけるものの、綾の執着は変わらない。



 麻緒を連れて帰り、絶対的に傑に(すが)らせる。

孫娘と認める事は将来的にメリットしかもたらさない。

そう盲信している綾はどうしても、麻緒を己の手の内にしたいのだ。





「絶対に、お父様に従うというまで、解放はしない………」






「ですが、傷が…………」






 震えて狼狽える運転手に、

無慈悲に綾はナイフを向けた。

端々に鮮血に濡れたナイフに相手は恐怖と悪寒で目を剥いている。

 倒れた娘の様に、人質に取られても始終、

冷静沈着で居られる度胸なんて青年は持ち合わせていない。


 




「貴方、もういいわ。降りて」


「でも………」

「降りるのよ!!」





 

 車内に響き渡る罵声。

投げ出す様に運転手を追い出すと綾は、

代わりに運転席に座り車を発車させる。



 法定速度は守っていても、綾の運転は荒っぽい。








「ねえ、意識はあるんでしょう?

抗って見せても駄目よ。誰も守山家には勝てないのだから!!


私の言う通りにしなさい。




じゃないと………涼宮響介も危ないわよ?」






 企みの微笑を浮かべ

綾の表情は険しく眉間に皺が寄り始める。

だが心の何処かには焦燥感がだけが残る。

後先を考えない性格が災いしてはいるが、信念という執着は消えない。




「絶対に、私に従うというまで、解放はしない………。


 貴女がお父様に縋り付いて認めて貰うの………!!」






(狂ってる。それで、守山傑に赦されるとでも?)








 そんな中、車が急停止した。思わず車体が揺れる。


どうして………と独り言と共に、麻緒は上体を起こす。


疑いながら盗み見たフロントガラスの先には、

前を(さえぎ)る様に止めた車から、涼宮響介が立ち尽くしている。



 運転手のドアの硝子を

慎ましやかにノックしてから

携帯端末を持って誰かと話している事に気付いた。






『守山会長。社長と妻を見付けました。

場所は隣県の遊園地、此方から入場ゲートが伺えます』




 冷静に告げる響介の電話の相手が、傑だと悟った刹那

綾の顔色は水を被せられた様に青褪めていく。






(もう逃げられない)






 絶望感と恐怖心が胸に浸水していく。

感情的な脳裏と心のままに動いても、傑に軽蔑すると思うと手が震え何も出来ない。




『____ドアロックを解除してもらえます?』


「……………」






「麻緒、大丈夫か」


「……………………」






 麻緒は手首を押さえ、起き上がりかける。



 置いた手から見えた赤色。

響介は麻緒を抱き抱えたまま、近付いてきた綾に視線を向けた。






「誤解しないで。気分転換にドライブでも、と思ってね」

「…………傷を負う、気分転換のドライブってなんです?」




 作り笑いに動じず冷静沈着に淡々と響介に尋ねる。

綾は押し黙って俯いては何も言えない。






「お父様からご連絡を頂き、

それにこの車の車内レコーダーも拝見させて頂きました。


今更、偽りを述べても見苦しいものですよ」


「………………」




 














_______守山邸、会長の書斎。










「貴様は何を考えているんだ…………。




 夫人に危害を加えて逃亡。

このままでは涼宮弁護士にも、夫人にも顔向け出来ない」




 落胆的な声音と、未練がましく頭を項垂れる傑に、

綾はバツの悪い顔色で傑を見詰めていた後に項垂れている。






(涼宮麻緒、どこまで私を屈辱的にさせるつもり?)






 怒りが込み上げる。

彼女から傑に執着して欲しい。

守山家の孫娘でいたいと(すが)って欲しかった。

そうすれば、自身にも父親への赦しが下るだろうから。




『………暴挙に出ても、娘様は悲しむだけです』



 言う事を聞かないから、手懐けようとしただけなのに。



(……………本当は娘なんて、どうでもいいの。


 私は、お父様に赦して欲しいだけよ………)




 娘なんて、傑に赦しを乞う道具でしかない。

傑に認めて貰う事を、赦しを乞う事を、

それしか綾には思いつかない。






 それを認めさせる為に近付いたのに。

けれども涼宮麻緒に命の危機を示しても、彼女は冷静と無情と化していた。

寧ろそれが、本望だと言わんばかりに。














(私も、あの現場にいたら、巻き込まれていたのか)






 10年前のあの、凄惨な場所で。




 横たわりながら、ずっと消えない傷を想う。




「駄目ですよ。傷に傷を重ねては。


____それに貴女のこの手は、誰かを導くのですから」




 響介は白い腕を伸ばさせる。

ナイトテーブルの上で麻緒の手首の傷の手当てしていた。


 腕には白い無数の線が幾つも折り重なっている。

絶望と諦観の証拠が刻まれている様に見えた。



 麻緒の自傷の傷痕を

彼は時間がかかっても自然治癒の方針を望み、

器用に手当てを終えると、優雅に包帯を巻き付けている。




 麻緒は、遠目に虚空を見詰めているだけだ。


脳裏にあの言葉が横切る。




「告げた筈です。

私の人生と、心情への干渉は止めて欲しいと。

例え、恩人であろうと誰であろうとそれだけは容赦しません」




 無気力な彼女が、

あの鋭い双眸を見せたのは、あの瞬間だけ。




 今の麻緒は、闇と影を落としている。

そして泥濘に沼に溺れたまま、這い上がろうとはしない。

どんどん身を浸し溺れていくのを、彼女は止めようとしないのだ。




「…………お人好しですね。

“あの人”は自身を傷付けてでも付き合う価値はある相手でしょうか。


貴女に危害しか与えない人なのに」




 包帯を巻き付けながら、(たしな)める様に告げる。








 10年前。


 自身に10年分という、時間を奪った事も。

けれども諦めきれないのだ。あの時に出会ったのは綾。

自身を落とし入れたのも、その後に事件が起きて身代わりにされた事も。




 だが。






 


(何故、この人は………私が点字技能士だと知っている?


 何故、点字に詳しいと、点訳出来ると………)




 不意に感じた違和感。

あの時は守山綾に近付く為ならと、気にしなかった。




 守山綾が関わるまで

現時点で麻緒が緒方香菜である事を知っているのも、

点訳士として個人委託を通して生業としている事を知っているのは

涼宮響介しかいない。




 一度、涼宮麻緒になって間もなく、興信所を利用した事がある。


自身がどう見られているのかを知りたかったからだ。



個人委託で始めた仕事は書かれて居らず、

響介が書き連ねた偽物の経歴が並んでいたのみ。




 点訳士である事は、誰も知らない。

強いて言えば麻緒を信頼して懇意に点訳の依頼を任せる顧客だけ。




疑いたくはないが、






(まさか、紛れて、点訳の要請を?)










_____なら、涼宮麻緒が、点字技能士だと何処から情報が漏洩した?








(……………だれ? 私の本当の情報を知っているのは……)






 守山綾はあの時に告げた。




未成年者後見人になると、だがその代償は、自身を喪失させた。






「その代わりに………貴女には、“私の身代わりになって貰う”」




 (実はずっと、守山綾に見張られていた?)






 未成年者後見人の肩書きを持っているなら、あり得る。




(本当は、何も知らないふりをして嘘を付いている?)






 もしかして

彼女は、高みの見物でもしているのだろうか。


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