24ダース・迎え入れられない踊り子
闇夜のリビングルームでは、ウィスキーを嗜みながら、
傑は苦虫を噛み潰したような怪訝な面持ちをしている。
「お父様、飲み過ぎよ。
お酒は控える様にと、
お医者様も控える様に言われていたでしょう」
「煩い!!」
勢い任せに傑は、グラスを床に叩きつけた。
綾は戦き、口許を手で覆う。
父親に拒絶されたのもあるが
一番は傑の手元が血に濡れていたからだ。
それでも厳格な面持ちと迫力に威圧され、
逆鱗に触れてしまった以上、距離が生まれてしまう。
「私から跡取りを奪った貴様には言われたくない」
「…………お父様」
「散れ。顔も見たくない。声も聞きたくない」
親権は、飯島尚哉に渡った。
匿名の録音データや写真、そして母親の度重なる不倫。
子供達の心証等も踏まえて下された、守山家の敗因だった。
守山家が絶えてしまう危機感を
美酒で紛らわす。その代わりに綾への風当たりは強い。
(このままでは、私………見捨てられてしまう………)
ボロボロと涙が流れていく。
日に日に危機感と焦燥感が募るばかりで、
傑に拒絶された事を想像すると胸が張り裂けそうになる。
緒方香菜が生きていれぱよかった。
だとしたら、思う様に自由に操れたのに、と親指の爪を噛む。
依然として涼宮麻緒の得体が知れない。
人形師の元に、突然現れた亡霊。
そもそも涼宮響介が既婚者である事自体が
あまりにも、何処か現実味がないのだ。
ただ噂によれば___
『涼宮麻緒は
“不治の病により”海外に渡航、
現地で長期入院、手術を経て今は、寛解の状態である』
探偵に告げられたもの。
その病名は書かれていない。その辺りが空白だった。
あれから麻緒は
非常勤社員という扱いで、ワーカーの採用となった。
要望があれば出勤し点訳の記事を制作する。
エスケープクロックホールディングスグループ会社自体は
新体制からまだ落ち着いていない。
新体制が整って居らず、空白の席も目立つ。
けれども事を荒立てぬ様に、
今まで通りの生活を送っていればよい。
ただ、難点があるとすれば、
社長室の離れで点訳をしなければならない事だ。
これは麻緒の不信感と観察心から、そうなる様に定めた。
今日も綾の元で、麻緒は地道に点訳の作業をしていた。
社長室には、神妙かつ複雑な雰囲気が漂う。
そんな中、
秘書がお茶を差し出してくれた事に気付いた。
麻緒は微笑んで頭を下げると、秘書は嬉しそうだ。
そんな中で、綾はちらりと麻緒の姿を見た。
点訳の打ち込みスピードは早く、その指先から
紡がれ生まれる点字は丁寧でミステイクがない。
麻緒の点訳技術は、
エスケープクロックホールディングスグループでも早々、有名になりつつある。
ただ、ひとつ違和感がある。
麻緒は点訳する際に、黒い大きなヘッドフォンを付けていた。
とにかく目立つ。
八つ当たりも込めてふざけているのてはないか、と
あら探し目的で、綾は聞いてみる。
「ふざけないで、ヘッドフォンをつけて」
(貴女の、痴話喧嘩は買わない)
けれども。
指摘された事に麻緒は息が止まりそうになる。
(慣れって怖いものね)
改めて実感する思いに悲哀のじみた
何処か刹那的な眸、ヘッドフォンを外し、
タブレット端末のメモ機能に素早く文字を打っている。
綾が筆談の代わりと渡したもので、
基本的な会話はこちらで行っている。
静かに、綾の前で提示した。
『(申し訳御座いません。お気を悪くされましたよね。
確かに私の姿は異様だと思います)』
「なに? サボりたいの?」
綾の挑発的な声音と態度や、顔色にも屈せず、
『(いいえ、秘書の石川さんに
点訳内容声を吹き込んで頂いて
脳裏に覚えた後に
作業様BGMとして自然界の音を聴いて作業しております。
安らぎながら、点訳がとてもスムーズに進むのものですから
ご気分を害されましたよね。これからは辞めます)』
「自然の音? どんな?」
『(聴いてみますか?)』
作り物の微笑を浮かべて、麻緒はヘッドフォンを差し出す。
綾は不思議そうにヘッドフォンに触ってから、
耳許にセットする。
自然界の音。現実とは隔絶された世界。
木々のささらぎ、水面の音、小鳥の囀り
それは単純めいているのに、何処か心がリラックスする。
最近、
ストレスと神経を使っていた綾には、新鮮なものだった。
最初は作業を邪魔されなくて点訳に集中したくて、
外界と離れて点訳だけの為に始めたものが
…………それが唯一無二のモノになっていた。
一通り、聴いてみると綾はヘッドフォンを外すと
「まあ、いいわね。
仕事が(捗はかど)るならば、認めてあげる。
ただ一文字でも、ミステイクしたら、没収するわ」
『(社長の寛大のお心有難く存じます。頑張ります)』
お辞儀をして、忠実性を魅せる。
「そういえば、貴女、結婚前の家族構成は?」
『(私ですか? 両親と姉と妹が”いました“)』
ヘッドフォンを持ちながら、何処か悲哀じみた様に言う麻緒。
「あら、三姉妹の次女なのね」
三姉妹の次女、という話は何処からも聞いた事はない。
もっと話を深掘りしたかったものの、
その悲哀に満ちた眼差しが何かを遠ざける。
(緒方香菜とは、違う……やっぱり緒方香菜じゃない?)
(………本当の姉妹になりたかった)
美琴は、姉であり、母の様な存在だった。
来年には義妹が生まれるから、
三姉妹だ、と思った事があり、美琴もそうだと喜んでいた。
咄嗟に付いた嘘は、それに起因する。
(けれど日常は突然にして、
このヘッドフォンの音の様に、私の心の平穏は潰す)
麻緒は時を見遣う。___切り札を刺す前に。
あの、と切り出すと
麻緒は神妙な顔をして、鞄から、封筒を出した。
『(調査員として、
守山社長のお時間、頂いても宜しいですか?)』
その瞬間、綾の目付きが変わった。
獲物を狙う独特の目付きに
麻緒はけせらせらと内心、嘲笑う。
調査員という事は、娘の手がかりという事だ。
「聞いてあげてもいいわよ?」
『(有難う御座います)』
応接間に移動すると、
テーブルに何枚かの枚の紙を差し出す。
『ちょうど今から10年前に起こった、
連続女性拉致事件があった事を覚えていらっしゃいますか』
「ええ」
当時、もしも何かしらがあっては遅い、
取り返しが付かないという意味での、傑が楓に対して
ボディーガードとSPを同時に付けていた事を思い出した。
女性拉致事件____。
今から10年前に起こった未解決事件だ。
被害者は10代の少女から20代の女性が的が絞られている。
現在まで犯人逮捕には至らないものの、
今年になり、身元不明の女性の死体が見つかる度に
実は関連があるのではないか、と専門家達の意見が
枝分かれしている。
『(少し気になりまして
緒方香菜様と関連があるのか独自に調べてみたのです)』
「____何故?」
『この該当事項をご覧下さい。
10年前、緒方香菜が逮捕された時期と一致しております。
___そして分かった事があります。
緒方香菜は脱獄していて成功していた、と)」
麻緒の双眸が鋭い眼光に変わり
綾は驚愕して絶句する。今まで穏和で空虚な双眸が
意志を示した事もなかったからだ。
『(脱獄したまま、現在に至るまで行方不明だそうです。
そして此方の事件とリストのこの項目が気になりました。
此方が拡大した上での詳細情報です。目を通して頂けますか)』
被害者女性達のリスト。
身元が判明している者は年齢と名前、出身名や在住地。
身元不明者は在住地と年齢のみが記載している。
_____そんな中で
【推定年齢:13歳から20歳前後
当時の在住地:〇〇県 〇〇町】
『(憶測でしかありませんが、
この部分が緒方香菜さんの出身と一致しています。
推定年齢に関しても、当時、緒方香菜さんは16歳でした)』
「でも貴女、報告書には没、と書いていたわね?
嘘を書いたの?」
『(今はただの憶測でしかないからです。
ただこの事件の生存者は絶望的ですし、
緒方香菜様の生死も曖昧です。それに望みを抱いても
裏切られた時に、社長の傷心を鑑み、省きました。
また、
医療少女院側は現在、緒方香菜は死亡扱いだと)』
緒方香菜は、生死が曖昧____。
諦観しつつあった思惑と企みがゆっくりと水面に浮かんでくる。
(まだ、望みはある____)
けれども。
このままの現状では、傑に軽蔑されたまま、過ごす事になる。
父親に軽蔑され拒絶反応を示されるだけで、
日に日に綾の精神も擦り切れていく。
緒方香菜を気長に待つ事は出来ない。
誰でもいい。
娘の身代わりを演じてくれるのなら。
綾は精神衰弱から、物事の見境が付かなくなっていた。
視界が霞む。心からの溜息を付いた。
「涼宮さん」
麻緒は頭を傾ける。
「私の頼まれごとを聴いてくれないかしら」
『(…………なんでしょう?)』
「______私の、生き別れた娘のふりをして」
刹那、麻緒は固まる。
(どうして____)
「私が
少女の頃に産んだ娘を捜して欲しいと依頼でしょう。
けれどもそれは簡単な事じゃない。
それに子供達の親権は元夫側に渡って、
お父様………会長は今、とても憔悴して荒れているの。
あの子も、一応は守山の孫。
あたしはだから守山家に迎えたいのよ」
『(どうして私なのです?
他にも相応しい方は居られる筈です。私でなくとも)』
哀しい表情を作り、麻緒は切ない眼差しを与える。
私には出来ない、と唇を動かし、後に噛み締めた。
「____それを、どうにかして、お願いします!!」
激高するだろうという麻緒の思いとは裏腹に
綾は懇願する表情で、麻緒の前にひざまづくと、
そのまま土下座をした。麻緒は目を見開く。
(貴女は…………)
憎悪の天秤が揺らぐ。
けれども何処かで自身が救われたいのだろう、と怜悧に思う。
そして何処かで心の安心を求めている事も見え見えだった。
「お父様は貴女を知ってる。
知人の夫人が、生き別れた孫娘だと知ったとしたら、
感動的な再会にもなると思うの。
それに、娘が生きていたら貴女と同じくらいの年齢だわ。
貴女が、望むものがあるなら、叶える。
だからお願いよ_____」
(こんな人に対して、懇願的で必死な守山綾は初めてだ)
ただ、ただ、驚愕していた。
頭を下げ、懇願し、自身にすがっている。
生き別れた娘を産んだなんて、誰にも言えない。
全てを知っている涼宮麻緒ならば、全てを曝け出せる。
『(………そういう事らしいです)』
夫に相談させて欲しい___と言った上で丁度、
出社していた響介と合流し、車の中で麻緒は事の経緯を話した。
麻緒の表情は、始終浮かないままだった。
けれども軈て微かな笑い声が聞こえて
響介は口許を押さえて堪えきれない微笑みを生み出していた。
「面白いではないですか。まるで、舞台の演劇みたいだ」
麻緒は目を丸くする。
てっきり反対されると思っていたのに、
未だに響介は口許を押さえて堪えきれない微笑を崩さない。
「偽物の娘が、生き別れた娘を演じる___。
女優の様な貴女にはなんだかぴったりだ」
『(反対はしないのですか?)』
「しませんよ。私は涼宮さんの意志を尊重する。
私達は基本的に互いに自由だ。
それより、その観劇を私は特等席で観たいものです」
響介が笑ったところが珍しいものだった。
(_____見せて貰おうか。落雷を誘うの舞踏会を……)
「おや、涼宮夫人ではないですか」
麻緒は深くお辞儀したが、
どことなく神妙な面持ちをしている。
綾の後ろにいる事の意味も、麻緒だけが現れた意味も、
傑はまだ分からないようだ。
リビングルームの応接間のソファーにそれぞれ座る。
麻緒は、わざと浮かない顔をし何処か面持ちを俯かせていた。
「お父様。話があるの」
「なんだ」
何処か恐れを抱きながら、綾は顔を上げた。
「私が25年に私が産んだ娘の事………よ」
言いづらそうに言うと、途端に傑に眉間の皺が寄る。
「客人がいる前で、そんな話はするな」
傑は激高しかけたが、聞いてと綾は声を荒げた。
親子のなすり付け合いに麻緒は微かに驚く。
(____変………?)
煮えきらない違和感を抱く。
傑が拒絶反応を示している事を悟ってしまったから。
守山綾が誰かに対して怯える姿は、初めて見た。
顔色をうかがう様な素振り、とも思える。
「その娘が、見つかったの………」
「_____なに?」
綾はぽつりと呟いた。傑は驚愕を隠しきれていない。
これを見て、と綾が出した封筒を傑は開けると
中身はDNA鑑定書だった。
そこには
綾と、娘との母娘関係を肯定するものが示されている。
傑は顔を顰め、
そして傑はようやく事に気付いた。
_____この場に、涼宮麻緒がいる事の、意味を。
綾が、少女時代に産んだ娘は、彼女だったのだと。
視線が交わると、
改めて麻緒は深々とお辞儀をし直筆の紙を差し出した。
“___涼宮麻緒と申します。初めまして、お祖父様。
私もこの度、初めて知り驚愕致しました。ですが、
誇り高き守山家の人間である事を、嬉しく思います。”
達筆な文字。
こうすればいい、傑には受け入れられる。
肝心な時に響介は良くも悪くも
生きる知恵と共にシナリオをくれた。
(………守山綾。本当に
私が、捨てた娘だと気付くのは、いつかしらね)
内心、嘲笑ながら、軽蔑にも似た微笑みを向ける。
「まさか……涼宮弁護士の奥様が……」
そこには、落胆の声音が滲んでいる。
あまり嬉しくは無さそうだ。綾との感情の温度差に
首を傾げ麻緒は不思議に思いながら
不確かな思いが、正確性に変わった。
(私は___望まれていない)
厳しい面持ちを崩さず苦悩した表情で、告げた。
「済まないが、私は、
守山家に、君を孫娘と受け入れる事は出来ない」
「…………………」
(これは、守山綾の、一方的な感情?)
綾の一方的で横暴的な暴走なのではないか。
話が違う。
綾はまだ食い下がり、傑の元へ膝を落とす。
「お父様、立場は違えど、お父様の孫娘よ?
葵や楓にとっては、彼女は異父姉でもあるわ。
守山の血を引いているのは間違いないの。
跡取りになるのは、もうこの子しかいないのよ………」
「だが、私は」
「お父様!!」
(……………歓迎されていない)
麻緒は、諦観と共に、自身を嘲笑う。
そんな最中で、聞き捨てならない言葉を聞いた。
「_____“あの出生を知ったら、
余計に苦しくなるだけだ!!”」
売り言葉に買い言葉だろうか。
そう叫んだ傑は、憎しみと怒りに満ちている。
まるでその娘が憎悪の対象と言わないばかりに。
(__出生の秘密があるの)
それは、何か。
それが要因で傑は、受け入れられないのか。
(____それって、なに?)




