18ダース・身勝手な愛情の裏返し
「なんという醜態だ。
母親が我を忘れ怒り狂い、あんな事を………」
突然の怒号と悲鳴に、
驚いた近隣住民が慌てて警察に通報した。
が、警察官には事情を繕い飲み込ませ、帰らせた。
あれから葵は、
守山家専属の医師により治療を施された結果
数針縫う大怪我を負い
楓は精神的なショックからずっと部屋に籠もっている。
ずっとすすり泣く声が止まない。
_____そして、綾は傑の書斎にいた。
家政婦達は己の仕事を淡々とこなす。
割れた花瓶を片付け華を避難させる家政婦が不意に
「この華、傑様が生けたと満面の笑みでしたのに」
「…………無惨ね」
と呟き
散らばった楓の髪のわだかまりを片付けていた、
もうひとりの家政婦はぽつり、と呟く。
(遠回しにあたしを否定され、その理由が、子供達だった)
密やかな屈辱は、綾の心からの消えない。
けれども
我を忘れて子供達にした仕打ちの暴挙の数々が、
綾にとってはまるで他人事の様に見えた。
何故にこんなに責められないといけないのかと、
被害者意識すら芽生える。
けれども自身がした事には変わりない。
ただまた、自身の犯した失態を
傑に見られていたと思うと、顔色は青褪て萎縮してしまう。
綾が最も恐れているのは、
“傑に軽蔑され、心から見捨てられること”。
その危うさから
震えを抑えながらも、ちらりと綾は傑の顔色を見る。
(あたしだけを見ていればいいものを
何故、守山家の内情を口にしたのよ)
綾は、膝に置いた手を固く握り締める。
自尊心と高きプライドを持つ綾は、それらが捨てられない。
涼宮響介の言葉を逆恨みしていた。
そして怒りで我を忘れ、あの暴挙に出たのだ。
「お父様」
「なんだ」
「あたしには、葵も楓も要らない。
あたしのキャリアの邪魔になるだけです」
その刹那、机を叩き付ける音が静寂な部屋に残響する。
傑は剣の様に鋭い眼差しを送りながら、睨み据えた。
「………何を言っている? また感情的な事を口走って」
「感情的な事ではありません。
今のあたしがキャリアを積み上げていくのなら
子供達が足枷になるんです。 現に今日もそうだわ。
専任顧問弁護士となる涼宮弁護士に、
子供達の事が明らかになってしまったのだから。
葵が浪人中で、
家庭内暴力を振るう事も、楓がいじめの主犯格である事、
今が裁判の途中で、守山が示談交渉を勧めている事も。
あの子達さえいなければ、
あたしのキャリアアップは確実だったのに!!」
「その口を噤ぐまんか!!」
綾は傑を初めて睨んだ。
元々、夫との離婚の際に親権等はいらなかった。
父親に対し盲愛を抱く綾にとって、我が子でさえも
邪魔者でしかない。
傑は、指差しで、娘を指す。
その指先は微かに震えている。傑も怖いのだ。
隠したい守山家の汚点が、明らかになってしまったのだから。
「昔から変わらない。変わろうともしない。
直感的に思うがまま、私情を挟み逆上しては
取り返しの付かない事を起こすのは何回目だ?
大人にもなって情けない。現実等、身もしないで。
あの子達を追い出せ?
じゃあ、後世で守山の名を護る人間は誰だ?
葵と楓を追い出したとして満足するの者は誰だ?
お前だけだろう」
「ならあたしが、充分に守山の名を護ります__絶対に」
まだ直感的な激情が残っている。
綾はまだ何処までも幼稚で子供っぽい。
何も世間も常識も知らず育った影響もあるだろうが___。
「綾よ。いずれわしらは老い行く。
人間は永久に生きれる訳ではない。
だから後世に残し継がれて行くのだ」
「元はと言えば、
お父様が親権を譲らなかったのが悪いんです。
あたしは………譲る方向で構わなかったのに。
お父様が守山の為にと親権を譲らなかった。
____あたしぱかり、どうしてこんなに不幸なの?
あの子達のせいで、あたしは足枷に囚われたままよ!!」
思えば、葵と楓の事に、綾は目をくれた事もない。
守山権力に縋り付き、形だけのキャリアを積んだものの
彼女は実力を備え、持ち合わせていない。
その事実に、綾は気付いていないのも問題だ。
あからさまな溜息を傑は着くと、
落胆した様な眼差しと面持ちを浮かべる。
その眼差しが向けられた刹那、綾は危機感と共に血の気が引いていく。
「____距離を置こう。
葵も楓もまだ心の整理が着いていない。
ホテルのVIPルームの予約を取るから、
しばらくは其処で過ごしなさい。
頭を冷やし、心の整理をつける様に」
綾は子鹿の様に今にも震え、泣きそうな双眸を向けた。
(_____あたしは、葵と楓に負けた)
威厳ある面持ちと声音で、そう告げたものの、
反対に、綾は泣きたい気持ちになる。
「………お父様は、葵と楓を選ぶの………?」
「なに?」
「お父様の為に貢献し続けたのは、このあたしよ?
准だってお父様を捨てた。尚哉もお父様から離れた。
そんな中で、あたしは、ずっと貴女の傍に居たのよ。
なのに何故、あたしを追い出すの?
葵と楓を追い出せばいいじゃない。
葵と楓が、お父様に何を貢献したと言うの?
………たかが、
跡継ぎというだけで大切にされているに過ぎないのに」
それは子犬の如く弱々しく、何処か願う様なもの。
傑の元に跪くと視線を上に上げた。
けれども母親としては残酷な言葉。
(見捨てられたくなかったのに、あたしは頑張ってきたのに。
お父様から、あたしは………)
「理性的になれ。綾。2人はまだ子供だ。
それに対してお前は大人だ。世間的な判断も出来る。
何も差別している訳ではない」
その瞬間的に、絶望の奈落に落とされた様な、闇色が溢れる。
「____もういいです」
(お父様が、大事なのは、葵と楓だけなのだわ)
そう投げる様に言い捨てると、綾は書斎を飛び出した。
(どうして、誰も分かってくれないの?
お父様を慕い、貢献してきたのは、このあたしなのに)
点字盤で点字を打ち続けていた、
麻緒の脳裏に不意に、過去の言葉が降りてきた。
同時に手先が止まる。
『貴女は理性的だから、感情的に呑まれる事はない。
その上で告げます。私には弁護士のプライドもある。
冤罪疑惑が晴れるまで、貴女を解放する気はない』
冤罪。
自身の冤罪疑惑が晴れたとしても、あの2人は還ってこない。
今更、自身の冤罪が晴れる事は、
なんの意味もない事だと麻緒は思ってしまう。
単に、自身の罪が晴れるだけだ。
自分自身の事は既に投げ出し捨てたも同然なのに。
(過去は変わらない、還らない)
ただ、冤罪が晴れて、証明されるまで、
自身は、涼宮麻緒として生き続ける。それまで、
(このまま、甘えたままでいいのだろうか)
不意に過ぎった感情。
自身の冤罪疑惑はどうでも良い。
それよりも麻緒が知りたいのは_____“真犯人”だ。
自身の大切な人を奪った憎き人。
自身に濡れ衣を着せ人生を奪った真犯人。
疑わしい人として浮かぶのはと、
思い至って、俯いて麻緒は、奥歯を軋ませた。
紛らわす為に携帯端末を手に取り、
ニュースサイトをスライドする。
「〇〇議員、辞職の方向か」
綾が略奪愛に夢中になっていた大物政治家の息子だ。
どちらもどちらという感想だが、権力によって生き残れるのは
政治家よりも守山財閥なのは明確なのだろう。
麻緒は、ある封筒を手に、封筒の中の写真を見詰めた。
議員と守山綾が親密に街を歩いている数枚。
守山綾に関わると
叩けばかなり埃の出る人物の存在に気付いた。
だからこそ今度は彼女の周りの人物にフォーカスを当てる事にした。
・守山傑(58)
綾の実父にあたる人物だ。
彼は会長及び、専務という重役を務めながらながらも、
彼に対して麻緒はひとつだけ、引っ掛かる事がある。
傑の行き先を捉えたのは、大病院内にある心療内科だ。
守山傑はここ数年、
このクリニックにお忍びで通院しているという。
心療だけではない。
何時も訪れる傑は、いつもどこかしらを負傷している。
物理的な怪我の事ならば、今に始まったことではない。
葵の家庭内暴力の矛先は彼なのかと
思ったが、葵の家庭内暴力説は弱まりつつある。
守山葵の主治医のコンタクトに成功した。
が、主治医は家庭内暴力はあり得ないと豪語する。
彼には喘息の持病があり、
過去には海外で心臓移植を受けていたという。
今では健康志向になりつつあるというが、
心臓移植からまだ数年、という事もあり
体力的にも握力にもあり得ない筈だ、と。
彼は、母親を庇っているのではないか。
子供は大人や親からどんなに冷遇を受けようとも堪えてしまう。
(この守山傑という人に、スポットライトを当ててみようか)
(どうして、あたしばかり責められるの?)
今も昔も変わらないのは、
傑に気にいられようと必死なこと。
“あの頃のように”振り向いてくれれば、
それ以上の幸福な事はない。
だから周りすら目もくれなかった。
それは、“あの過去の過ちを赦して欲しい”
またあの頃の様に振り向いて欲しいが為に
執着の様に縋り付いた。
傑がまた、視線を向けてくれる様になれば。
だから周りの事等、どうでも良かったのだ。
特に子供達の事は酷く無関心で、目にもくれず、
子供達の事は全て家政婦に丸投げしていた。
葵が心臓疾患がある事も、目を背けてきた。
金銭に、権力に物を言わせればいいだけだと
海外で心臓移植手術を受けたのは、葵が10歳の時だ。
その時、父親である尚哉が
傑に謝りを入れて付きっきりで看病をしていた。
冷たい母親と言われてもどうでもいい、自身に我が子は必要ない。
尚哉が出て行き葵が12歳の時に、
家政婦から虐待されていた、という事実も
葵から話されていたというのに綾は全く気にしなかった。
それよりも
媚びを売る事を覚え始めたのかと
綾は葵を酷く責めた記憶がある。
ちょうどその頃、
自身の室長へのキャリアアップの段階で
息子は邪魔をしたいのだと勝手に思っていた。
葵が家政婦を大怪我を負わせてしまったのは
彼が家政婦からの張り手を逸らそうとして家政婦が転倒し
それが調度品と重なったからだ。
視点によれば、葵は悪くない。
けれど綾は庇わない。
家政婦が居なくなり
葵が祖父に手上げる様になっても、一方的に葵を責め
楓はいじめの主犯格で相手を負傷させても
裁判となっても綾に取ってはどうでも良かった。
(あの子達は、守山家の、あたしの穀潰しよ)
裁判沙汰を繰り返した結果、
守山家は傑によって多額の示談金を支払う事が決まっている。
それでも二人を手放さないのは守山家の将来の為でしかない。
故に我が子達が憎い。
傑に対して
盲愛にも近い感情を抱く、
綾には見えていないものなのだから。
けれども自身の行動は必ず裏目に出た。
いつも悪いタイミングで醜態を晒す様な真似を繰り返しては
傑からよく思われていない事は知っている。
けれども、傑への感情を諦めきれない。
(周りが悪いのよ)
激情へと、この心を逆撫でする人間ばかり。
思えば涼宮響介があの会食の時に即答してくれていたら、
涼宮麻緒が、
夫の現状を知りながらも熱心に専任弁護士になる
様に導いてくれていたら、あんな言葉達は口走らなかったのに。
葵と楓の本性の目の当たりにしてから、綾は思い始めた。
____嘗て自身が生んだ娘を連れてくればいいと。
計算的に彼女はもう大人。
守山家の仕組みも飲み込み、理解し
自身の右腕的な存在になってくれるに違いない。
都心から離れた町は穏和そのもので、
ゆっくりと優雅に時間が流れている。“_____懐かしい”。
涼宮麻緒が、緒方香菜として育った家は
空き家のまま、疎まれて放置されているらしい。
“この閑静な町で何かが起こるとしたら、あからさまだから”。
「娘さん。
おとなしい性格だけど、愛想が良くてね。
必ず挨拶してくれる礼儀正しい子。
お母様とスーパーに訪れている所は何度も見ていたし……。
その光景が献身的で、微笑ましくて。健気な子でしたよ。
だから事件を起こした時は、町自体が騒然としました。
なんせ小さな町ですから、情報は伝わりやすいんです」
「そうですか」
「あの不躾な事をお聞きしますが、
本当に彼女が犯人だとお思いですか……」
「それは____」
『(お願い致します)』
「はい。小包み匿名配送ですね。
承りました。いつも有難う御座います。
お届け先に届きましたらメールでお知らせ致します」
麻緒は、ゆっくりと微笑んだ。
この郵便局には、匿名配送する際に度々訪れている。
依頼:7件 全て完了
本日7件目の点訳小説、匿名発送。
スケジュール帳にそう書き込む。
これから依頼はまた届くかも知れないので、未保存にしておく。
後日、男装し身分を偽った上で
ジャーナリストとして、守山家のある住宅街に出向く。
閑静な高級住宅街の真ん中に豪邸を構える
守山邸はその住所の看板の様に見えた。
近隣住民は恐らく話してくれないだろうと、
門前払いを覚悟していた麻緒だったが、実は正反対だった。
近隣住民に聞き込みをしていると、
守山家を疎む様な眼差しと声音が遠回しに聞こえてくる。
「そうそう一昨日だったかしら。
悲鳴が聞こえてね。あの大豪邸で
悲鳴が聞こえるくらいだから余程の事かと思ったの。
会長がご帰宅された後も、
ずっと怒号みたいな喧嘩の様な声が聴こえたし………」
『(怒号ですか?)』
「ええ。
あの………こう言っては難だけど、家族仲が悪いみたいで。
怒号や怒鳴り声はしょっちゅうあるの。
私達は感覚が麻痺して
それが日常茶飯事だと思ってしまっているんだけれどね」
守山家の印象的な特徴は、と尋ねると、
住民は皆、口を揃えて、“口論や破壊音”と言った。
恐らくは、傑の怒鳴り声。
家庭内暴力での破壊音。
悲鳴は………家政婦か、楓か、それとも綾か。
『(悲鳴とお聞きしましたが、
どなたの悲鳴かご存知でしょうか。
例えば家政婦さんとか、娘様とか………)』
筆談で会話内容を見せると、貴婦人は、頭を傾けながら、
「そうね………まず綾ちゃんはないわ。楓ちゃんかしら?」
その一言に、麻緒は目を丸くする。
意外と調子乗りなのか、お喋りが趣向なのか
彼女は淀みなく守山家の内情を隠しもせず謳うように話す。
「綾ちゃんはね、子供達にはとても無関心な人なの。
なんというか………無視よりも、
存在自体が無いものと見ている様に思うわ。
育児放棄してるという話はこの近所では有名な話。
寧ろ、離婚した旦那さんの方が子煩悩だったの。
旦那さんが出て行ってからは、
優しかった子供達も変わってしまって」
守山葵は、元々は妹思いの優しい少年で、
楓も兄だけを慕う人見知りの内気なタイプだった。
そんな兄妹を狂わせたのは、両親の離婚。
父親っ子だった兄妹達は
自らの父方の方へ行きたいと言ったものの、
祖父である傑が跡継ぎの為と親権を譲らなかったそうだ。
「まずね。子供達が問題を起こしても傑さんが動く。
跡継ぎだからと拘って、二人をとことん甘やかしているのよ。
だから兄妹揃って好き放題してる。
傑さんは教育熱心で、
跡継ぎ教育もさせたいみたいなんだけど、あれでは………」
『(そうですか)』
(まだまだ、秘密はありそうね)
ご気分を不快にされた読み手様、
大変、申し訳御座いません。




