イッツ・ゲーム◯ーイ
朝の通勤時間帯、長時間電車に乗る人間は総じて手元に何かを持っている。
ある者は資格試験の勉強本を、ある者は図書館で借りた文庫を。スマホで暇潰しにニュースを見たりゲームをする者も多いし、最近ではめっきり見なくなったが、新聞を器用に畳みながら読む御仁もいたりする。
毎朝目にする、日常の風景。
それが今日は、幾分違う様相を呈していた。
発端は、途中で乗ってきた一人の若い男だった。ダークスーツに黒いシャツ、全身黒ずくめの出で立ちは自然と周囲の視線を集めるものだったが、それ自体は決しておかしなものではない。ちょっとファッショナブルなだけなのだろう、と乗客たちは一秒でその存在に見切りをつけ、さっさと自分達の手元に戻ってゆく。
運良く空席を見つけたその若い男は、そこに座ると鞄からおもむろに何かを取り出し、イヤホンを繋げた。そして――
ピコーン
最初に気付いたのは、隣に座った女子高生だった。耳慣れない音に横をちらと見ると、思わず二度見して手元のスマホを取り落としそうになる。
男の手の内にあったのは、彼女の世代からすれば既に伝説上の存在。実在さえ疑われていた代物だった。
「うん? あ、失礼」
黒ずくめが誰にともなく謝りながら、イヤホンジャックを挿し直す。音漏れに気付いた為だった。
しかしかえってそう言ったことで、更に周りの注目を集めてしまう。最初の女子高生は当然のこと、逆隣のサラリーマンも、吊り革に掴まっているOLも、その灰色の筐体に目が釘付けになる。
(あ、アレは……!)
(まさか……!)
男の周りの異様な気配に、次第に他の乗客も手元から目を離し始める。理由を認めるや、彼らの間にもどよめきに似た何かが広がっていった。
ある少年は、思わず自分の手元にある携帯型ゲーム機と、その薄さを比べ始めた。何せソレは厚みが段違いだ。色味もあり、デカい石のような存在感だった。
(昔はこんなに大きかったのか……)
技術の進歩に少年が静かなる感動を覚えている頃、黒ずくめは対面に座る女子大生の睨むような視線に気付き、ニコリと笑みを返していた。返された方は気まずさに僅かに目を逸らすも、暫くすると再び男の方に視線が向いてしまう。
何故彼女が男の方をそんなに見てしまったのか。ひとつには物珍しさだった。そしてもうひとつ、彼女のみならず男のプレイを見守る者たちが気になっていたのが――
(『一体、何をプレイしているんだ?』)
背面に挿されたカセットは、ラベルの部分が剥がれてしまっていた。なので一見してそのタイトルを知ることは出来ない。両サイドの者も横から覗き見出来ないかチラ見するも、光の加減で判然としない。
……であるならば、手元の動きで判別するほかない。
(上ボタンは使ってる)
つまり落ち物ゲーではない、と女子高生が盗み見る。
(寧ろそれなりに多用しているな。しかし同時にボタンも押している)
サラリーマンが少考する。落ち物ゲーでなく、かつ十字キーとボタンを同時併用するもの。爆発的人気を誇るあの名作モンスター育成ゲームでもなさそうだ。となると……
(……アクションもの?)
しかしアクションゲームとひと口に言っても、タイトルはそれこそ星の数ほどある。それをひとつに絞るのは、それこそ至難の業だ――そう思いながら吊り革に掴まっていたOLが男の手元を注視していると、
ガタンッ
電車が揺れて、一瞬液晶画面が露わになる。そこに映っていたのは――
(……画面のコントラストがなさ過ぎて分からない!)
現行のゲーム機と違い、これはまだバックライトが搭載されていない時代の代物だった。代わりに濃淡の調整ダイヤルがついていたが、黒ずくめがサングラスをしていたからか、それが極端に淡く調整されていた。
短い時間ではとてもじゃないが判断がつかない――とそう思いつつ、少し離れた位置に立っていた年配の元ゲーマーの脳裏には、一瞬電池切れで画面が消えていく瞬間がフラッシュバックしたのだった。
『次は新宿ー、新宿です』
くぐもった車内アナウンスに、男が降りる気配を見せる。
(結局分からなかったか……)
乗客が嘆息をついていると、それを認めたのか男がニヤリと笑う。そうしておもむろに懐の中から、大量のカセットを取り出した。男は周囲の人間に手当たり次第配り回ると、
「イッツ、マイ、フェイヴァリット」
そんな言葉を残して、颯爽と電車を降りてゆく。
残された乗客は困惑するよりほかない。
(え……何コレ?)
(……実機持ってないんだけど)
(処分しちゃったかなあ……)
(……あそこに仕舞ってあったか?)
タチの悪いことに、やはりラベルは剥がされてしまっている。ネット以前のモノだから変なコンピューターウイルスではないだろうが……中身を確かめるには、手はひとつしかない。
捨てようか捨てまいか、乗客たちは皆一様に手の平に収まる小さなカセットを、降りるべき駅から乗り過ごしたまま、ポカンと見つめているのだった。
翌日のこと。
一人の大学生が電車に飛び乗った。
肩で息をつき、後ろで発車ベルが鳴るのを聞くと、大学生は額に浮かぶ汗を拭いながら顔を上げ――そこでようやく車内の異様さに気付いた。
乗った車両の乗客、その八割ほどが、灰色の物体――旧式のゲーム機を手にしていた。
それだけでなく、何故かみんな、両側に垂れた耳のようなものがついた、ピンクの被り物をしている。
女子高生も、サラリーマンも、そしてOLや白髪混じりの老紳士も。
「コピーできないんすね」
「そうそう」
明らかに赤の他人と思しき女子高生とリーマンの間で会話が成立している。この状況はなんだ?
困惑していると、おもむろに肩を叩かれる。そこには黒ずくめの男が立っており――
「マイ、フェイヴァリット」
と、とてもいい顔でその灰色のゲーム機を渡してくる。
何だろう、新手のドッキリだろうか。それとも販促イベントか何かか? ピンクの被り物は、恐らくあの何でも吸い込んでしまう、某有名キャラだろうが……
関わらないのが一番と思いつつ、大学生は少なからず興味を抱いてしまっていた。何となれば、この時代のゲームはやった事がないのだ。
(……電源を入れると、他の乗客みたいにおかしくなっちまう……って事はないよな?)
そんな不安が頭をよぎるも、最終的には好奇心に勝てなかったのだろう。上部の電源つまみをカチリと動かしてしまう。
ピコーンという音に、被り物をした人間が一斉にニヤリと笑った。
その後間もなく、男の通う大学には『ピンクの悪魔研究会』なる謎の秘密結社が生まれたらしいが、真偽の程は定かではない。
ホワッツ、ユア、フェイヴァリット?