第37話 真理のきざはし
起動に伴って、一冊の魔導書が宙に浮かび上がる。
父──〝魔導師〟から譲り受けたものだ。
伝説の英雄と数々の冒険を共にしてきた古びた魔導書。
魔法使いならぬ僕に託された、無用の長物。
……ずっと、これを重く感じていた。
これを持つのは〝英雄の再来〟たる姉こそが相応しいと、譲ろうとさえした。
だが、父は首を横に振った。
──「私はね、大人のお前に会ったことがある」
そんなでまかせを信じたわけではない。
だが、父がそんなことを言うからには、なにか理由があるはずだろうと幼心に思ったから。
周りが何と言おうと父は、いや、家族は僕のことを信じてくれていたし、僕も信じていた。
それが重荷に感じることもあったけど……僕は、今こそ変わろうと思う。
きっと、この瞬間の為にアレを託されたのだから。
「──環境魔力変換、完了。周辺組成解析、完了。心域反転、完了。地脈接続、完了……」
【偽計魔導経典】の稼働に必要な条件設定をクリアしていく。
そのたびに体からごっそりと魔力が抜けて、かわりに環境魔力と地脈が身体に流れ込んでくる。
できるはずだ、できなきゃだめだ……!
ずっと『魔法とは何か』を考えていた。
それは自身の魔力を心象世界に魔法式として描き、現実世界に投影して現象を起こす技術だ。
では、魔法道具とは?
現存する物質に魔法式を刻み込んで、魔導回路に魔力を流すことによって現象を成す技術だ。
共通点は多い。だが、僕には使えない。
心象世界に投影するには、特別な才能がいる。
……それは、僕にはない。
しかし、僕は魔技師だ。
魔法道具を創る者だ。
心象世界ならず、現実世界に魔法現象を刻み込む者だ。
で、あれば。
現実そのものに、魔法式を直接刻み込めばいいのではないか?
その答えが、この【偽計魔導経典】だった。
「くっ……ッぅ」
『一ツ星』の特性である存在係数の低さを頼りに、この世界そのものに自分を接続、周辺環境に自身の理力……つまり、存在そのものを侵食させて広げていく。
僕そのものを触媒に、現実世界を魔法道具へ変換する──それが、この【偽計魔導経典】だ。
かなり危険なことだが、僕が〝英雄〟と〝英雄の再来〟に並ぼうと思えば、多少の無茶は必要だろう。
そして、これは僕が〝出涸らし〟を卒業するための儀式でもある。
「ノエル!」
チサが悲痛な声を上げて駆け寄ろうとするが、それを制して僕は笑う。
「大丈夫。もう、同期したから」
「グッルルルルルァァァッ!!!!」
返事が欲しいのはお前じゃないんだけどな、大走竜。
でも、誇ってほしい。
お前は、僕の真理の一端に触れる……最初の『敵』だ。
「──〈大地の鎖〉」
草原の土の中から飛び出した無数の鎖が、動き出そうとした大走竜を絡めとる。
「ノエルが魔法を使った……!?」
「これが、ノエル様の力……!」
姉は唖然とし、チサが笑みをこぼす。
「そう長いこと保たないから、早く!」
「おっけー、後で話しを聞かせてもらうわよ!」
姉が矢弾のように飛び出し、その後をチサが同じくらい速くに追う。
暴れる大走竜だったが、その目に深々と矢が刺さった。
「なんだからわからないが、やるじゃないかノエル」
「さっさとアレを倒してしまいましょう。僕たちの手で……!」
〈麻痺〉、〈鈍足〉、〈拘束〉と父が得意としているであろう足止めの魔法を連射する。
「詠唱なしで魔法を使うなんて、パパみたいね!」
「違うよ。これは【偽計魔導経典】の……魔法道具の力なんだ」
そう、あくまで魔法道具の効果なのだ、これは。
〝魔導師〟の魔導書などという世界に唯一無二な貴重なものを、妬みと悔しさと興味で以て台無しにしたイカれた魔技師が作り出した魔法道具。
僕が真理へと到達するための歪んだきざはし。
これこそが【偽計魔導経典】。
自身と現実世界そのものを一時的に魔法道具に変換し、〝魔導師〟を限定的に再現するモノ。
つまり、いまここにあるのは……すなわち〝英雄〟だ。
もう誰にも僕を〝出涸らし〟だなんて呼ばせない!
父の為にも、母たちの為にも、姉の為にも──好きなひとの為にも!
「【偽計魔導経典】、力を貸してくれ! 僕は、僕を超えるッ! 今、ここで! 昨日までの過去をッ!」
宙に停止する【偽計魔導経典】が、返事とばかりに蒼く輝き、ページをめくれさせる。
そして、あるページでぴたりと止まった。
「──いくよ」
ぞっとするようなイメージが流れ込んでくる。
これはきっと、父ですら躊躇した魔法だ。
『何もない』を再現する魔法。存在そのものを捻じれさせ、虚空の狭間に変換させる力。
「〈深淵の虚空〉……!」
拳大の魔法現象を作るのに、自分の魔力と環境魔力がごっそりと削られたのを感じて、思わず膝をつく。
だが指先に生じたそれを手放すことはしなかった。
「姉さん、チサ! 離れて!」
「オーケー!」
「はい!」
足止めがわりの手痛い斬撃をそれぞれ大走竜の両足に放って離脱する二人。
それを見計らって、僕は指先の虚無を大走竜へ向けて放った。
キィン──……
まるで世界そのものが軋むかのような奇妙な音を立てて飛翔したそれは、狙いたがわず大走竜の腹へと吸い込まれて、次の瞬間……そこに『何もない』を発生させた。
一瞬見えた漆黒の円球は、黒いのではなく光すら吸い込んだという証左。
色彩も、空気も、魔力も、そして存在そのものをも『なかったこと』にしたそれは、大走竜の胴部分を大きく飲み込んで、「パキリッ」と独特の音を立てて消えた。
ほんの一瞬の出来事。
それで、凶暴なる大走竜はこの世から消えた。
頭部と、四肢、それと尾が付いたままの胴部の一部を残して。
ひどく静かで、恐ろしい光景だった。
「……【偽計魔導経典】、停止」
その光景を少し見守ってから、僕は魔法道具の稼働を止める。
直後にひどい脱力感と、吐気、頭痛、加えて滅茶苦茶な動悸が襲い掛かって、僕はその場に倒れ伏してしまった。
「う……ぐぅ……」
「ノエル! 大丈夫ですか!?」
「うん。……どうかな?」
なにせ、今日が初めての実稼働である。
自分丸ごと魔法道具にした揺り戻しがどんな風に来るかだって、本日が初検証なのだ。
「ちょっと休ませて。すぐ起きる、から……」
その言葉を発するのが限界だったらしい。
そのまま、するりと幕が下りるように僕の意識は光を失うのだった。
いかがでしたでしょうか('ω')?
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