第31話 〝溢れ出し〟
結局、僕らが〝大暴走〟の対策に参加する報酬は、【迷宮核】ということで落ち着いた。
安い報酬ではないが、六等級特進などという前例のない無茶をやらかすよりはずっとマシではある。
報酬を取り付けたところで、僕たちは空き家の一つを借り受けて準備を始めた。
出発までの三日間の間に、僕らは大急ぎでそれを整えなくてはならない。
その規模、魔物の種類、そして終わらせる条件……本格的な〝大暴走〟というものを僕たちは誰も見たことがないので、完全に手探りのままのプランニングとなる。
ただ、それを分析をしている最中に気付いたことがあった。
「もしかしたらだけど、〝大暴走〟じゃなくて〝溢れ出し〟かもしれない」
僕のつぶやきに反応して、魔法薬を分別していた姉が振り返った。
「その可能性はあるわね。だって走蜥蜴しかいなかったワケだし」
「あの、無学で恥ずかしいのですけど……〝溢れ出し〟とは何でございましょう?」
僕の横でもじりとしたチサが、おずおずと尋ねてくる。
その仕草を妙に可愛らしくて今すぐに抱きしめたい衝動に駆られるが、姉の手前、僕はそれをおくびにも出さずに説明を始める。
長らく〝出涸らし〟などと呼ばれていたら、ポーカーフェイスくらいは身についてしまうものなのだ。
「ええと、〝溢れ出し〟っていうのは、迷宮の拡張現象の一つとされている現象だよ」
「拡張現象、ですか?」
「うん。昔はこれも〝大暴走〟に含まれていたらしいんだけど、厳密には迷宮からの先兵というのが正しい」
迷宮というものは、絶えず拡張を続ける魔法の建造物だ。
いまだその正体については諸説あるが、中には迷宮を一種の魔法生物だと定義する賢人もいる。
迷宮にはそれぞれ拡張の仕方に個性があり、ただただ深度を増していくもの、劣化コピーじみた小迷宮を周辺に形成するもの、周辺部に全く別の小迷宮を発生させるものなど、様々だ。
今回の〝大暴走〟の原因と目される大走竜が根城としているのは、バーグナー領北東部に広がる『ベルベティン大森林』。
そして、『ベルベティン大森林』はその中央に存在する迷宮、『ベルベティン大神殿』の小迷宮である。
『ベルベティン大森林』は範囲を拡大していくタイプの小迷宮であるが、四十年後の研究では内部に数体の迷宮主が縄張りのようなものを持っていて、それを排することで迷宮としての特性を失う(つまり、普通の森になる)という研究結果がでていた。
逆説的に、小迷宮を広げるために、迷宮主を外部に放つ〝溢れ出し〟現象が起こってもおかしくないのだ。
もしかすると、東スレクト村周辺はすでに環境マナが迷宮化の影響を受けている可能性もある。
これを調べるには専門の研究チームが必要だが、その礎を作ったのも父だ。
この時代では、基礎理論も存在しない。
「では、あの大走竜を放っておけば、小迷宮となるのですか?」
「どうかな。でも、実際に東スレクト一帯は十数年前に迷宮化して、一度滅んでいるんだ」
「その話は聞いたことがあります。解決されたのはおじ様だと」
「うん。父さんとお婆様が攻略したって記録があった」
こうしてみると、父の偉大さがわかる。
『一ツ星』にして〝英雄〟。変革の先駆者。〝魔導師〟。
僕が、〝出涸らし〟などと言われるわけだ。
自嘲しつつも、僕は手元の作業を進める。
〝英雄〟ならぬ〝出涸らし〟の自分であれば、より準備は入念にせねばなるまい。
僕は僕にできることを、できるだけやるしかないのだ。
「どっちにしろ、止めるしかないのは一緒よね」
「うん。でも、対策は少し変わってくる」
「そうなのですか?」
再び首をかしげるチサに僕は頷く。
「〝大暴走〟と〝溢れ出し〟では、目的が違うんだ」
「同じく人を襲うようですが……?」
「結果は同じでも、やっぱりちょっと違うんだよ」
〝大暴走〟というのは、その名の通り迷宮の暴走だ。
内包する魔物をことごとく排出して周辺を蹂躙する災害を指す。
被害に遭うのは主に人間の都市や集落でその習性は謎に包まれてはいるが、明確な害意を持った敵対的行動である。
対して、〝溢れ出し〟の目的はあくまで小迷宮作成──つまるところ、迷宮の拡張だ。
それを担うのが魔物である以上、延長として人間や他の動物を襲うこともあるが、これは単純な本能によるもので害意はない。
そして、この二つの最も大きな違いは、魔物の種類だ。
〝大暴走〟というのは、迷宮の魔物を全て一塊として排出する。
種族も種類も生息域も違う魔物が肩と足並みを揃えて人を襲う。
粘性生物とボルグルが連携して襲ってくるなんて、迷宮の中でだってあり得ない。
今回、僕が〝溢れ出し〟だと考えるのは、これがないからだ。
あの大走竜は複数種類の走蜥蜴を呼び寄せはしたが、あくまで走蜥蜴のみだ。
実際に見るのも初めてなので誤りもあるかもしれないが、咆哮で周囲の走蜥蜴を集めるというのは、迷宮主である、あの大走竜の能力にすぎないかもしれない。
大群を形成する能力は厄介で危険だが、あれが〝大暴走〟だと断ずるには違和感が少しあった。
「うん、ノエルの言う事は筋が通ってるわね。どうする? 報告する?」
「いや、やめておこう。まず〝溢れ出し〟なんて概念を説明したって理解してもらえないだろうし、現状そうだと言い切ることはできないからね」
「それもそうね」
納得する姉に頷いて、僕は魔法道具の作成を続ける。
『塔』の地下工房であれば、もっと精度の高い作業ができるのだが、四の五の言ってはいられない。
一応、魔法の鞄に最低限の道具と素材を詰めておいたので、今のところはこれで何とかなるはずだ。
「しかし、ノエル様はすごいですね。話しながら魔法道具を作ってしまうなんて」
「慣れの問題だよ。それに、僕はこれしかできないし」
そう苦笑する僕の隣で、チサがなぜかぽかんとした顔をする。
何かおかしなことを言っただろうか?
「エファ様。チサは、どう反応したらいいですか」
「その反応で正しいわよ。ノエルったら、もうずっとこの調子なのよね」
「ヘンですよ」
「ヘンなのよ」
女子二人が何やら笑い合うのをよそに、僕は黙々と魔法道具を作っていく。
とにかく、精度が足りないなら数で押すしかない。
父のごとき魔法使いならぬ魔技師の僕は、戦う前が主戦場なのだから。
いま、この時にできることをできるだけしなくてはならないのだ。
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