鎌倉へ
黄金造りのその太刀は、土蔵の奥で、まるで義貞が来るのを待っていたかのように鈍く輝いていた。
「先々代のお館様が八幡様のご神託を受けて鍛えさせた太刀にございます」
家に古くから仕える従者が重々しい口調で説明した。
「中天の太陽の輝きが閉じ込められた太刀であると聞き及んでおります。その力で、持つ者の願いを一度だけ叶えるとも」
「言い伝えはともかく、良き形をしている」
義貞はそう言って、太刀を手に取る。
「此度の戦に佩いていこう」
不意にそんなことを思い出したのは、何故だろうか。
片腕と恃む大館宗氏が極楽寺坂で壮絶な戦死を遂げたという報を受けたからか。
それとも、そもそも頼朝公が築いたこの天然の要塞とでもいうべき鎌倉に攻め入ることへの畏れからか。
新田義貞は腰に佩いた黄金造りの太刀に目を落とした。
「どうなされた」
弟の脇屋義助が声をかけてきた。
「兄上。明日のご指示を」
「うむ」
義貞は顔を上げた。
篝火に照らされたその表情はすぐれなかった。
また、夜が来た。鎌倉を攻め始めてもう三日になる。
圧倒的な兵力差で押し切れるはずだった。
だが、極楽寺坂方面も、化粧坂方面も、巨福路坂方面も、戦況は全てはかばかしくない。
寄せ手の大将が討たれた極楽寺坂は言うまでもなく、化粧坂でも巨福路坂でも、新田勢は多大な犠牲を払ってじりじりと侵攻していたものの、その進みは亀のように遅かった。
時が惜しい。
義貞は、痛切にそれを感じていた。
新田勢、などといっても、本来の義貞の勢力は上野国の生品神社に集った百騎余りに過ぎない。
ほかは、勝ち馬に乗るがごとく集まってきた向背の定かならぬ連中ばかりだ。それは、たとえ同じ新田の一族であっても同じことだった。
ましてや、分倍河原の勝利の後で馳せ参じた連中の動向など言うまでもない。
だからこそ、鎌倉を目前にしていたずらに苦戦を重ねている今の状況は好ましくなかった。
このまま一進一退が続けば、機を見るに敏な連中がいつ反旗を翻してもおかしくはない。
執権北条家百余年の歴史には、歯向かう者を畏れさせるだけの力がまだあるのだ。
「お主に主力を預ける」
義貞は言った。
「儂の代わりに化粧坂を攻めよ」
「兄上は」
「稲村ケ崎をもう一度見てみる」
「しかし、あそこは」
義助は一瞬顔をしかめたが、すぐに思い直したように頭を下げた。
「承った」
深夜、義貞は馬を走らせた。
後ろから、数百騎が付き従う。
稲村ケ崎には、鎌倉へと続く海沿いの細い道があった。大軍が通るには向かないが、山の中の狭い切り通しを抜けるよりは余程通りやすい。
あそこを抜けることができれば。
だが、到着した崖から見下ろすと、稲村ケ崎の細い浜には、やはり無数の逆茂木が設えられていた。
間近の海の上では、幕府方の軍船が、無理に新田勢が押し通ろうものなら横から矢の雨を降らせんと控えていた。
やはり、無理か。
義貞は唇を噛んだ。
あと少しだけでも、潮が引いてくれれば。
しかし、地元の漁師を捕まえて聞いた話では、人馬が通れる僅かな浜は全て逆茂木で塞がれ、それよりも潮が引くことはないということだった。
夜が明けようとしていた。
こりゃあ難儀だぞ、という声が背後の武者たちの間から漏れた。
確かに、今引き連れている兵力の五倍をもってしても、この浜を突破することは叶わないだろう。
やはり、切り通しの狭い坂を、屍を乗り越えて一歩一歩進んでいく以外に道はないのか。
だが、そうして時を費やしているうちに、幕府に呼応した勢力に背後でも衝かれれば、こちらがひとたまりもない。
時が惜しい。
義貞は再び思った。
どこかに、ないのか。一挙に鎌倉を陥れることのできる道が。
その時、不意に腰の太刀が光を放った気がした。
それを見て、義貞はまたあの従者の言葉を思い出した。
中天の太陽の輝きを閉じ込めた太刀が、一度だけ持つ者の願いを叶える。
義貞は神佑天助の類にあまり心を動かされない質だった。
だが、その時はなぜか賭けてみる気になった。
すがった、と言うべきか。
義貞は兜を脱ぎ、太刀を恭しく捧げ持つと、ゆっくりと崖のきわに立った。
「蒼海の龍神よ」
義貞は海に向かって呼びかけた。
「願わくば我らに道を開き給え」
配下の武者たちの見守る中、義貞は太刀を海へと放った。
まるで嘘のように、潮が引いていく。
それとともに敵方の軍船が遥か沖へと流されていった。矢は、もう届かない。
「進め、者ども」
叫んで、義貞は馬を走らせた。
夜明け前の砂浜を、騎馬の軍団が駆け抜けていく。
遮るものは何もない。
鎌倉へ。
不意に、義貞は思った。
中天の太陽の輝き。
その力を使い、望みを叶えたということは。
もう後は、日は沈みゆくばかりではないのか。
だが、不吉な予感を、義貞はすぐに振り払った。
そんなことは、今はどうでもいい。
駆けろ。
ただ、駆けろ。
昇り始めた日の光に照らされて、義貞の目は遥かかなた、朝靄に沈む鎌倉の家並みを捉えた。