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雲蒸竜変、焔の如く  作者: ばれーしょ
紅の章
2/2

刃という男

 何も見えない。




 何も聞こえない、何も嗅げなければ、味もしない。

 月明かりのないような暗がりの中、俺は朧げながらも意識を保っていた。




 抵抗のなくなった水の中を進んでいるかのような、妙に温くて違和感のあるこの空間...そう、最近よく見るようになった、《《あの夢》》の続きというわけか。


 数日おきくらいに、不規則にみるこの夢。金縛りだとかそういうわけでもなく、ただ単に真っ暗な空間に暫く佇んで–––特に何もなく、開放されれば朝目が覚めるだけ。そんな、取り留めのない夢だった。



 しかし今晩の夢はどこか一味違うような。


 周囲が何も見えない、聞こえないというのは変わらないでも、妙に「温い」感覚だけがいつもより僅かにより暖かく感じるようだった。


(気の所為.....か?)



 ただの思い違いだとそう自身を半ば無理やりに納得させ、朝が来るのをのんびり待っていよう–––と決めた時、それは聞こえた。

 いや聞こえた、というよりむしろそれは脳内に直接聞こえたような感覚で–––






ジン......ジンか。そうか......お前の名はジンというのだな』


『覚えたぞ。我は待つ。此処にて.....お前が来るのを待っている......』




 脳が震えるように恐ろしく深く、どこか畏れを抱かせるような声音の唸りのようなものが聞こえてくる。しかしその次の瞬間には、意識の中にまであたりに広がる闇が覆ってきたようで、夢の終わりを認識させる。


(待つって.....どこにだよ....!!っていうか、お前は一体誰––––––)



 謎の声の主を特定することもできずに、刃は夢から目覚めていく。





 :::



「ん.....」


 体を起こしながら覆い被さっていた布団を剥ぐ。

 窓の外を見てみれば、すっかり明るくなった空を舞う、雀たちの鳴き声も聞こえる。庭の桜はもうすっかり葉桜となって、これから訪れる暑い季節の予感すら感じられた。


「なんだっけな....さっきの....」


 頭をわしゃわしゃと掻きながら先ほど見た夢の内容を思い出そうとするも、うまくいかない。

 なんだって夢というのは見ている最中は嫌というほど脳に反響するように記憶を揺さぶるのに、いざ起きてみればその一端しか思い出せなくなるのか。


 変な責務感だけが心に留まり、ほんの少しモヤがかかった面持ちで立ち上がる。

 軽く伸びをすれば、もやもやした気持ちも幾ばくか晴れるものだ。うーん、と体を伸ばして、自室の扉を開ける。


 年季の入った木造建築の自室から出ると、廊下にはすでに人の影が。


「あら坊ちゃん。おはようございます」


「おはよう椿(ツバキ)。にしてもなんつーか今日は、いい日和だねぇ」


「本当に。最近雨続きでしたけれど、今日は本当にいい日でらっしゃいますわね」


「うんヤァ、まったくだ」




 取り止めのない会話を続けていたところ、廊下の奥からまた別の人の足音が。




「おい、じーーーーーーーーん!!!今日という今日はお前に遊び惚けさせるわけにゃあいかねぇぞ!!!」


「ヤベェ椿、シュウ兄だ....んじゃま、この辺でぇッと」


「もう、刃坊ちゃんも若や頭のおっしゃることにもう少し.....」


「悪りぃけど今日は街の女の子と遊ぶ約束なんでねい、そんなわけだあ兄様、帰りは明後日くらいかな!」


「ったく毎日毎日遊びまわって!お前も働いてもらわねぇとうちの家計も火の車だってんのに」


「あーあー聞こえねぇなぁ、んじゃあばよ!」


 わざとらしく両耳を塞ぐ仕草をしてみせ、廊下脇の窓をガラッと開ける。寝巻きのままに、そのまま窓から這い出て庭へと出る。


 柊兄に一度捕まればそこでおしまい、長々としたくもない経費の計算だの硬っ苦しい稽古だのに時間を潰されるだけだ。



 のどかな春半ばの太陽が差し込む中、刃はそそくさと屋敷から離れるとそのまま家の近くの林の中へと溶け込んでしまう。


 いつものらりくらり、のどかな日々を送る––––––それが鬼童丸きどうまるじんの日常生活であった。



 :::


「刃さぁ〜〜〜ん❤︎」

「刃さん!お久しぶりです」


「ようよう、つるに小春、元気にしてたか?」


「いやもうお陰様よ〜。刃さんのところの人たちのおかげでこの辺は変な人もうろつかないしね」

「ええそうなんです、私の茶屋もお陰様で繁盛してまして....よ、よければこの後ぜひ!!」


「安全ならそいつぁよかった。お、そういえば新しい団子出してんだってな。勿論食い行くぜ」


「そうなんです、お客さんにも評判で、ぜひ刃さんにも食べて欲しいなって...!」


「わぁったわぁった、んじゃ早速行こうぜ。俺も朝飯食ってねぇから腹減っちゃってよォ」



 刃の住む屋敷のある山から暫く降り歩いたところにある宿馬町。


 以前から親交のあった町娘と合流した刃は、小春の働く茶屋へ移動すると世間話に華を咲かせていた。


 やれ久しぶりだ、この団子は確かにうめぇだ、うちの兄さんが仕事させようと迫ってきて困るだ––––––などなど。


 さてそんな話の流れで、話題は最近何かあったか?という議題へと変わる。


「最近....ねぇ、鬼ヶ組のおかげでこの辺は安全だものねぇ」

「えぇ.......あ、でも一つだけ、なんか聞いたことありますよ。ただの噂みたいな感じですけど」


「噂?」


 町娘の間で広がる噂か、と。山の上にいる時間が長い刃の把握していない流行り話があるようだった。


「ええ、なんでも––––––」



 小春が次の言葉を告げようとしたその瞬間、宿場町の通りに悲鳴が響き渡る。


「きゃあああああ、ひ、ひったくりよおおおおお〜〜!!!捕まえてぇ〜!!!」



 悲鳴の聞こえる方向を見てみれば、確かに荷物を抱えて走っている男が.....その手には包丁のような刃物を構え、自分の周囲に手当たり次第に振り回している。


 あれでは捕まえに駆けつけようと思っても危なっかしくて手も出せないというものだ。


「ったく朝っぱらからひったくりとか、こんな天気の良い日にすることかね」


 そう言うと平げた団子の串を座っていた座布団の脇の皿に乗せ、刃はすっくと立ち上がる。


「じ、刃さん.....」



「なぁに安心しろって小春。この町は鬼ヶおれたちのシマなんだからな」





 そう言うと刃は懐に入れていたドスを取り出し、猛進するひったくり犯の方へと目を向ける。


 羽織っていた寝巻きの羽織は山風に靡き、背に記された鬼の一文字が風に揺れる。





 この男こそが鬼童丸刃––––––どこか飄々としており定職も持たず、頻繁に山を降りては女遊びだのに耽るまさしく遊び人、


 ––––––任侠一派、鬼ヶ組大頭の次男坊である。











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