シェイクスピア風に言うならば、関節が外れた後の世界
この物語に興味を持って頂き、ありがとう御座います♪
僕が生まれた旧暦の2000年頃、世界はとっくに “復活の日” を迎えていて、既に文明社会は崩れていた。
だから詳しくは知らないし、大人たちも当時の混乱に飲み込まれて、“世界の関節が外れた” いきさつを明確には理解できてない。
分かっているのは後に現化量子と名付けられた物質を含む “無限の霧” から37体の神獣が生まれ、破壊の限りを尽くして人々を絶望の底に落とした事。小山のような巨躯を持つ怪物もいたのに七日経てば、人知れず雲散霧消した事くらい。
そして浸食された世界の各地に奈落の穴が開き、今や世界に満ちる霧と一緒に湧き出した幻獣との争いで、人類は衰退して数を大きく減らしたようだ。
(と言っても、昔の事なんて全然知らないけど)
初等課程の訓練校で受けた座学を思い出しながら、中層区画の校舎から自宅までの然ほど遠くはない距離を走る。満8歳を迎えた今年から、地域一帯を治める財閥が制定した “弱者撲滅法” に従って初歩的な戦闘訓練を受けているため、自主鍛錬の一環として行き帰りの通学も全力疾走あるのみ。
都市運営を担う行政部門の方針や “貢献者優先主義” の影響で戦闘職には恩恵が多いし、副次的に身体能力を飛躍させる大気中の現化量子への適性や、異能の発現とかも期待してみたり……
「財閥の傭兵か探索者になれたら、母さんを楽にできるからね」
近郊の幻獣がスタンピードを起さないよう個体数を減らし、荒野へ資源を確保しにいく者達は財閥系企業から手厚く支援されている。
勿論、危地に立つ以上は落命のリスクもあるが、雑多な外縁区画に暮らす貧困層が中心部へ移住するためには一番手っ取り早い。
「日々、これ精進っと……」
少なくとも、あと数年で何かしらの労働に就く必要があるため、やるべきことは人並みに消化しておこう、などと取り留めなく考えている内に自宅まで辿り着いた。
殺風景な打ちっぱなしの傷んだコンクリート壁の家が目立つ光景、その並びの一つに入る。因みに母さんは夜に出勤して、朝方に帰ってくるのでこの時間帯だと家で寝ているのがいつもの事だ。
「ただいま……」
「うぅん、おかえり~、もうそんな時間なの?」
鍵を開ける音、若しくは立て付けが悪いドアの軋みで目覚めていたのか、だらしない下着姿のままむくりと母さんが寝床から上半身を起こす。
綺麗な黒髪がぼさぼさになっていて、少しもったいないなと感じつつ、温いペットボトルを貯蔵から取り出した。
「はい、お水」
「ありがとう、ユウは気が利くね」
柔らかい微笑みを向けられると、少しだけ照れてしまう。
近所のおばさんたちから聞いた娼婦という仕事、余り良いもので無いと理解はできたけど、女手ひとつで僕を育ててくれている事に感謝は尽きない。
「今日、格闘実習があってさ、先生に踏み込みが良いって褒められたんだ」
「お、去年から毎日走り込んでいる甲斐があったじゃん、母は嬉しいぞ」
「ん、いずれ壁外で稼げるようになって専業主婦? させたげるね」
「ふふっ、大きくでたな~」
ぐりぐりと、頭を乱雑に撫でられると口元が自然とにやけてしまう。
寝床から這い出たお母さんは短波ラジオの番組 “Sunny Days” を聞き流しながら、暫く緩りと過ごして夕刻には晩御飯の支度に取り掛かった。
都市の外縁区画にも電気は来ているものの、基本料金が高すぎるので契約してない世帯は多く、当然に母子家庭であるうちも例外ではない。
故に冷蔵庫なんて高級品も無いため、木箱に敷き詰めた土へ寝かせてあるジャガイモや玉葱、古米などが主食である。
自然状態で長期間の保存が利く作物って凄いなと感心しつつ、プロパンガスの小型ボンベが設えられた調理場から届くハミングを聞いている間に夕飯が完成した。
「今日もご飯が食べられる事に感謝ね!」
「うん、頂きます」
いつもの如く両手を合わせ、母さんと食事を摂る。申し訳くらいに干し肉の入った野菜スープと米粉パン、代わり映えしない定番であっても贅沢は敵なのだ。
「さてと、もう良い時間だから出掛けるわ。戸締りはしっかりね」
「ん、分かった」
矢鱈と露出度の高い仕事着の上から、薄手のジャケットを羽織った母さんに頷き、見送った後に言われた通り鍵を閉める。
幻獣に襲われたら一溜りもないが、泥棒の類を防ぐだけなら効果的だ。
(…… 非正規でも構わないから、本気で戦闘職を目指そう。ここは危ない)
貧困層が暮らす外縁部は実質的に防壁の役目があり、廃墟や荒野などから流れてきた幻獣の足止めに使われている。そこで犠牲者が出ている間に、中央区画から討伐部隊が派遣される仕組みらしい。
僕が知る限りでも年数回の襲撃があって不運な人達が喰われたり、崩れた家屋に圧し潰されたりして死んでいた。悲惨な光景が脳裏に浮かんでしまい、振り払うように日課の腕立てを始める。
やがて半刻ほど過ぎた頃、適度な疲れと共に寝床に就いて、ゆっくりと眠りに落ちた。朝になれば明け方に帰ってきた母さんが傍に寝ていて、起こさないように作り置きしてくれた朝食を頂いてから訓練校へ通う。
いつもと変わらない毎日が繰り返されると思っていたら…… 何故か、摩耗したカーテン越しの陽光で目覚めた時、狭い室内には僕一人だけしかいなかった。
シェイクスピア、好きなんすよ(*'▽')
つい引用してしまいます。