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僕と彼女の最後の夏

「やっときた。帰ろ」



 焼けたアスファルトの匂いと、全てを塗りつぶそうとするようなセミの声。濡れた頭もそこそこにプール道具を引っ提げて出てきた僕にそう言うと、返事を聞くこともなく、同じように濡れた髪を束ねながら、彼女は歩き出した。


 最後のシャワーで冷えていた体も、だんだんと温まり、汗がじわじわと溢れてくる。暑いのは彼女も同じなようで、いつも通りの分かりにくい表情だけど、なんだかうんざりしていそうな感じが見て取れた。



「暑いね。早く冬になればいいのにね」



 僕がそう言うと、彼女は振り回していたプール道具をちらっと見て、歩みを緩めぬまま軽くため息をついた。



「プール楽しくなかったの?」


「ううん、楽しかったけど。君も居たし」


「そう」



 自然に顔をそらしたけど、今のは分かる。ちょっと照れてる。そう思って僕がにこにこしていたのに気づいたのか、ちょっと怒った感じで彼女は次の話を切り出した。



「次の月曜日だって」



 何のことかは言われなくても分かった。話は以前から聞いていたし、最近はずっとそのことばかり考えていた。だから、何が、なんて聞かない。彼女は「今日の夕ご飯はカレーだって」とか「明日は雨だって」みたいな感じでそう言ったけど、周りはみんな羨ましがったりしていたけど、僕はなんだか変だと思うのだ。だから、気軽に聞き返すことはできなかった。






――突発性革本ちゃん化症――



 厳密には病気ではないらしいけど、病気みたいな名前が付いたそれは、前の前くらいの元号が始まったころに急に出てきたものらしい。僕らはまだ生まれていなかったけど、最初は混乱もあったと、図書館で調べた本に書いてあった。


 人が、革本ちゃんになる。原因は不明。対処法はなし。数週間前から兆候が出始め、最後は急に変化する、らしい。革本ちゃんになると食事も何もいらなくて、なんだか楽しそうにふよふよ浮いている不思議な生き物になる。革本ちゃん自体は僕が生まれた頃には普通な存在になりすぎていて、僕も何も気にならないし、かわいいなと思う。元が人だと聞いても、特になんとも思っていなかった。彼女がそれになると言われるまでは。



「次の月曜日かぁ。寂しいな」


 僕の率直な感想だった。革本ちゃんになっても何も困らないとか、むしろすごくいいことだとか、周りはみんな喜んでいたり、祝福していたけど。僕は寂しい。そういうものだと言われても、彼女が彼女でなくなるのは嫌だなと思う。みんな喜ぶなら別の誰かがそうなればよかったのにと、まだ思う。



「なんで? 革本ちゃんになっても遊べるよ」



 でも、誰もわかってくれないのだ。僕のこの気持ちを。図書館でたくさん調べて、古い本に初期には混乱があったという記述を見つけて。でもそこまでしか分からなかった。今では誰に聞いても疑問を感じたりはしないみたいで。

 

 僕がおかしいのか、世界がおかしいのか。そんなことも考えたけど、100人に聞けば100人が「そう考えるお前がおかしい」と答えそうな感じがあった。ネットで調べても、革本ちゃんになることに疑問を持つ人なんて、ただのひとりも見つけられなかった。



「そうだけど……」


「あんた、革本ちゃんの友達はいないでしょ。わざわざ近づいてきたらきっと私だから、早く見分けてよ」


「うん」



 答えながら悲しくなったけど、この悲しさは彼女とも共有できはしない。そう考えてさらに悲しくなったけど、頑張って隠す。革本ちゃんになることはもうどうしようもないことだし、最後に喋った記憶の中に悲しそうな僕を残したくない。だから頑張った。



「よしついた。明日も遊べそうだし、迎えに来てね。人じゃないとできない遊びをいっぱいしよ」


 彼女はそう言って、玄関に手をかける。バイバイと手は振っているけど、体は家の方を向いていた。何でもない風景。見慣れたしぐさ。でも、僕がそれを見れるのも、あと何回なんだろう。もう時間はない。どうにかする方法も、ない。



「ま、また明日。来るから」


 僕がそういうと、半分家の中に入った彼女は、振り向いて手を振って、「バイバイ」と言った。そしてそのまま体を滑りこませると、ドアは閉まった。



 僕と彼女を隔てるものは、まだドア一枚だけど。もうちょっとで全然違うナニカになってしまう。革本ちゃん。革本ちゃん。そりゃあ可愛いし、幸せそうで、僕も好きだけど。革本ちゃんへの好きと、彼女への好きはたぶん違うものだと思うし、一緒にはならないと思うのだ。



 僕も僕の家に帰りながら、革本ちゃんとすれ違う。見分けは付かないけど、きっと誰かだった革本ちゃんと。かわいいけど、かわいい革本ちゃんと。


 僕が彼女を失って。革本ちゃんの友達を得て。――いったい、何が悪いのだろう。



 漠然とした不安や悲しみを感じながら、僕も家のドアをくぐる。



「おかあさん、来週の月曜日に――」


 革本ちゃんになれる彼女のことを自慢しながら、夏の一日が終わっていく。彼女と過ごせる、大切な一日が終わっていく。でも、心配ない。革本ちゃんになった彼女も友達だ。きっとすぐに見分けるし、また遊べる。むしろもっと楽しいことがいっぱいあるかもしれない。



 ふと窓から外を見ると、革本ちゃんがふよふよと、入道雲を背に浮いていた。かわいいな。

Twitter@kawahonchan にて活動中です。

さまざまな革本ちゃん創作物を公開しています。

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