飯坂温泉9!
「ああ、お姉さんたち、うちに泊まってたんだ」
さっき土産屋さんでハイボールをこぼしたおじさんが、こんどは長方形の重たそうなケースを持ってきて私たちが食事をする炬燵の脇、畳の上にどすっと置いた。私たちは食事の手を止めて、飄々《ひょうひょう》としたおじさんの挙動をまじまじ見る。
うちに泊まってたのってことは、このお宿の旦那さんかな。
「飯坂温泉にようこそ。いまから三味線を披露しますので、良かったらいっしょに歌ってください。歌わなくてもいいけど、ほかのお客さんだいたいいっしょに歌ってくれます」
どうやらケースの中には三味線が入っているようで、おじさんはそれをごそごそ取り出している。
「いえーい!」
「いえーい?」
「い、いえーい」
まどかちゃんとつぐみちゃんも戸惑ってるけど、とりあえずいえーい!
おじさんは私たち三人にA4の一枚紙を配った。見てみると、何やら詩が書いてある。上下段に2曲分けて書かれていて、上段は『福島小唄』、下段は『飯坂小唄』。
「このね、『福島小唄』は福島の音楽家の古関裕而さんが作曲したんですけど、この詩に書かれている、福島がサクランボの産地だったことはなかなか知られてなくて。皆さんはサクランボっていえばどこを想像します?」
「チェリーボ……」
「ぶふっ、おっとっと」
あわわ、私の思わぬ発言におじさんは動揺して三味線を落としそうになった。
「おい沙希やめろ」
まどかちゃんに叱られちゃった。てへっ。
「山形です」
ふざけている私を他所につぐみちゃんが答えた。さすがつぐみちゃん正統派!
「そう、山形はアピールが上手なんです。福島はそのへんアピール下手だから、これを機に福島でもサクランボとか梨とか、いろんな果物が獲れるってことを知っておいてもらえたらと思います。それじゃ、演奏始めますね」
三味線を構えて準備が整うと、おじさんはさっそく演奏を始めた。
部屋に高らかに響く三味線とおじさんの声。私たちも音程を真似して努めて腹から声を出す。
ゆるりとした民謡を、四人声を合わせて歌う。観光客の私たちは、この唄を茅ヶ崎に持ち帰る。こうしてご当地民謡が各地に広まってゆく。
学校での厄介な人間関係も、受験や将来の不安も、今はすべて忘れて、吹き飛ばしてお祭り気分で歌う。
民謡を響かせ更けてゆく飯坂の夜。温泉地って感じがする!
2曲歌い終えると、おじさんは三味線をケースにしまった。
「あの、お兄さんはこのお宿の旦那さんですか?」
「そうですよ。きょうはお風呂に浸かってゆっくりしてってください」
言って、おじさんは部屋から引き上げていった。
「なんだかすごかったね」
つぐみちゃんが微笑みながら言った。
「ははっ、まさか旅館で歌うとはね」
「なんだか、この人との距離の近さは茅ヶ崎と似てるね」
まどかちゃんも温かい表情を滲ませて微笑んでいる。
「私も思った! なんか似てるよね!」
「ふふっ。からだも心もぽかぽかな飯坂温泉だね」
「つぐピヨナイス! 茅ヶ崎から舞い降りたぽかエンジェル!」
おいしいごはんを食べて、あったかいおふろに入って、なんも気にしないでゆっくり過ごす!
ああ、なんでもない人間らしい日って、久しぶりだなあ……。




