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私たちは青春に飢えている ~茅ヶ崎ハッピーデイズ!~  作者: おじぃ
高校3年3月 最後の潮風登校
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春雨サナトリウム

 文豪、国木田独歩など、何名かの著名人を含む多くの結核患者が最期を迎えた南湖院なんこいん。洒落ていながらどことなく重く、もの悲しさが漂う敷地に、私は足を踏み入れてみた。


 まず門から入って左側の小屋で台帳に入場時刻を記入。現在12時07分。退出時はまたここでその時刻を記入する。


 芝生と松や実の成ったオレンジなど、多様な植物が生い茂る庭園。第一病舎の白い洋館と、それと同じくらい高い松の組み合わせは意外にも風流。


 屋内プールの建物を右に、第一病舎が佇む奥へ進む。


 南湖院は1899年から1945年までの約46年間、当時は不治の病とされていた結核の療養施設として営まれた。


 現在の庭園内には第一病舎と旧院長室棟が残っているが、かつては十数の病舎やその他の建物が感染拡大を防ぐため間隔を開けて建っていたという。


 茅ヶ崎の地が選ばれたのは、空気清涼な寒村であったからだそう。


 罹患者は波音と潮風の洋館で、何を思いながら過ごしたのだろう。


 健康の有り難み、治癒への望み、自らの生い立ち、功罪、大切な人、もの、病の末に迎える最期、死の救済。


 結核は予防や治療ができる時代になったが、病に倒れる人は現在も後を絶たない。


 第一病舎の右手前に、まだ花の咲いていない藤棚と小さな池があった。池いっぱいにヒキガエルのオタマジャクシ。これは苦手な人もいるかも。よく見るとメダカもいる。


 向き直り第一病舎の前へ。大楠の垂れる玄関口は施錠されていて、中には入れない。


 なんとなく、入りたい気も起きない。


 臆病な言い方をすると、入れなければいい、入らないほうがいいと思った。


 第一病舎の前を通り過ぎるとひょうたん池がある。先ほどの池と比べて水生植物が多く、自然な感じがする。ここにもオタマジャクシがいるが、自由電子くんによるとこのような池には大概クロスジギンヤンマの幼虫がいて、オタマジャクシは餌食になるらしい。


 けどオタマジャクシはカエルになるとトンボを食べるから、お互い様か。


 ひょうたん池の数歩奥、庭園の隅、鬱蒼とし

たところに設立者、クリスチャンである高田耕安の碑があるので、両手を組んで目を閉じ、数十秒黙祷した。


 今日の豊かな茅ヶ崎は、この南湖院あってこそだろう。後に上原健、加山雄三、桑田佳祐といった諸先輩が続く。


 財政的には苦しい茅ヶ崎だが、それでも時代を越えて多くの人に愛され続けているのは、この街が持つ不思議な力と、そこで育った地元を愛する人々が己の使命や‘好き’に愚直に向き合ってきたからこそ。


 私も何か、とは思う。フルーツイカレポンチが主体になってバンドや演劇をやってるけど、私も何かを生み出してみたい。


 黙祷をしつつ、しかしいろいろと想いを馳せていた。


 祈りと雨音と、何か不思議な空気が、いくらかの淀みを洗い流してくれた気がした。

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