トデリの春の女神のお祭り~1
長く留守にしていると・・・。
「兄さん、今日は春の女神のお祭りなのだから、髭くらい剃ったら?」
窓辺で空ばかり眺めているオイに、妹がきっぱりと声を掛けて来た。
彼女は既に祭り仕様の衣装を身に着け、良く喋る口には薄く紅も差していた。
口に引いた淡い紅は、兄であるオイが王妃領で買って来たお土産である。
お土産を悩んでいたオイに、同郷で同僚のジンが推薦して来たのだ・・・口紅が良いんじゃぁないか?と。幼いころからの知り合いで、船でも助けあう事の多いジンだが、この頃<妹>に関する質問が多いと思っていたが・・・妹に気があるなんて知らなかった。彼はちゃっかりとオイに口紅を買わせると、その口紅を味わうのはこの俺様だ!などとのたまわった。・・・許しません!
『妹も成人の歳が過ぎたし、婚約や結婚の話が出ても良い頃だ。
・・・お婆さんが、オイの航海中に儚くなってしまい、家には女手が足りずに大変なんだから・・・と、妹は縁談に乗り気では無かった様だが・・・チャンスを逃すとヤバい事は解っている。結婚適齢期が10代後半のトデリでは行き遅れたら行き先が無い。』
「トデリに戻って、近場の航海のクルーでもするか・・・。」
ジンは長男だから家を継ぐ必要がある、妹を嫁に遣ればこの家には気軽には戻れないだろう。親父と俺が居れば、飯などはどうとでもなるし・・・下の妹も、もう7歳になるから手伝いも出来る年齢だ。
・・・シ~ノンがドラゴンに乗っている姿を見てから、俺の中で外の世界への興味が小さくなってしまったような気がする。
『もう、シ~ノンは違う世界の人になってしまった・・・。』
トデリの外の世界に触れたオイは、もう幼い可愛らしい執着を保てないでいた。
書類上の貴族?何だそれは・・・貴族には違いないんだろう?王都や王妃領で見て来た貴族は、横柄で感じが悪く・・自分達とは違う種類の人間に見えた。魔力も無い自分では、太刀打ちが出来ない遠い存在だ。
「兄さん・・・兄さんてばっ!話を聞いている?]
1人黄昏ていたら、下の妹の衣装を着付けながら、上の妹が睨んでいる・・こいつ、こんなに気が強かったか?熱を出して泣いていた姿しか印象に無かったが。
父と兄が留守な家を、孤軍奮闘しながら守っていた妹は、いつの間にかトデリ女(気が強く、腕っぷしはもっと強い。)に変化していた。
「ルンを知っているでしょう?私といつも一緒にいた子。昔水汲みを手伝ってくれたり、お菓子を分けてくれたりした。」
「子爵様の船の、長の娘だろう?」
トデリでも比較的裕福な家の娘で、家が貧乏だった頃には助けられた気がする。正直良く覚えていない・・普通、妹の友人なんて覚えちゃいないだろう?
「彼女、今年で成人になるの。今回のお祭りでは、真ん中で皆に囲まれて踊らなきゃならないの。・・わかる?この意味・・・兄さんに貰ったお土産の口紅、もう1つはルンにあげたから。兄さんからだって言って。」
・・・はぁ?
「彼女1人っ子でしょ?トデリでは珍しく・・・わかる?この意味。」
・・・なに?なにこの妹・・・怖いんですけど。
「後継ぎが必要なのよ、家を継いでくれる婿が。・・・ルンはお土産を凄んごく喜んでいからね。解るね!」
・・・いや、まて。
「お前も嫁に行ったら、この家はどうするんだ?まだチビに手が掛かるだろう?俺まで外に出たら・・」
「外には出ないから大丈夫、兄さんは気兼ねなく逆玉に乗って?」
・・・はいぃ?
「でも、ジンは跡取りだろう?」
「あいつの名前聞かせないでくれる、言っておくけど大っ嫌いだから、あれ。」
・・・え、ええ~~~~とぅ?あれ呼ばわり、酷くね?
何でも小さい頃から、からかわれていて、嫌な思いをして来たらしい・・・兄ちゃん知らなかったよ、教えてくれればぶん殴ってやったのに。
はいっ?もう自分でぶん殴った、昨日やって来てイチャモン付けて来たから、軽く一発?お見舞いした!?
「でもお前、このままでは行き遅れに・・・。」
その時、外から呼ばわる声が聞こえた、妹は今まで見た事も無い様な、輝いた笑顔を残して玄関に飛んで行く。何だこの、超展開は・・・。
玄関で華やいだ声が聞こえる、むむむ・・・妹をエスコートしながら見知った男が入って来た。
「お前、デイか・・・。」
確か妹と同い年の、まだ年若い男が入って来た、下の妹を肩に乗せて揺らしてやっている。キャッキャウフフと笑い合っている、随分と仲が良さそうだ、かなり家に出入りしているのだろう。
「お前らいつの間に・・。」
兄さんはいつもいないんだから、知らせようが無いでしょ・・・下の妹が冷たい。
デイは子だくさんの家の3男だったから、婿だろうが家を移ろうが拘りは無いそうだ。男としての結婚時期には少し早いが、諸事情により両家の了解は取れているらしい。2人で働けば如何にかやって行けそうだと言う、むろんオイの家に住み、家賃を払わないで生活すれば可能だと言う事だ。
乗っ取りだ!海賊船の乗っ取り行為だ・・・俺の居場所が無くなっている。
グヌヌゥ~~と、唸っているオイに気を使ったのか、外で待っている、そう告げるとデイは下の妹を連れて部屋から出て行った。
「兄さん、婿の話は兎も角、ルンのエスコートはしてあげて。あの子昔から兄さんを見ていたから、兄さんはシ~ノンちゃんしか目に入らなかっただろうけど。
もういい大人なんだから、いい加減に現実を見たら。黒目黒髪のオマケ様は、ドラゴンに乗っている騎乗者で貴族の一員なんだと。」
「お前、それをどこで聞いた。」
噛みつく勢いのオイに、一瞬怯んだ妹だったが・・・トデリもいつまでも田舎じゃ無いんだと呟いた。商売の為に船が行きかい、色々な情報も入って来る。トデリの人々はオマケ様の残していった水石等が貴族に奪われないように、堅く口を閉ざしてシ~ノンの存在した跡を消していた。
オマケの騎乗者の話を聞くたびに、誇らしい様な・・・心配な様な複雑な気分を味わって来たのだ。
「ごめんなさい、兄さん・・・言い過ぎた。」
「いいんだ・・・俺もシ~ノンには、ヤバい時に助けになる様な、強い男が傍にいてくれるのを望んでいるんだ。」
それが俺では無い事を、十分に味わった・・・俺では駄目なんだ。
「ただなぁ、シ~ノンは貴族になったが・・全然変わっていなかったぞ、トデリに居た頃と寸分変り無く・・肩書は変わったが中身はそのままだ。変な色眼鏡で見ないでやってくれ、いや、荒事にはかなり慣れているような感じだったが・・・。」
「兄さん、シ~ノンちゃんに会えたの!!話を交わせたの!!荒事ってなに?」
海賊の1件は家族には話してはいなかった、無用な心配をかける必要は無い。
「ほら、玄関でデイが待っているぞ、早く行ってやれ。」
それだけ言うと、妹の背を押してオイは自分の部屋(物置)に入った行った。
オイの部屋に木箱がある、王都で押し売りされたものだ。
王都で新規に<貸し衣装屋>を始めたパガイ会長は、商会に顔を出したオイに話しかけ来た。
「オイ、おまえそろそろいい歳だろう、大人の付き合いも出て来る年頃だ。ここらで1着フォーマルな服も持っておけ、この先必要になるだろう。お~い、ビューティー、こいつに一揃え見繕ってセットしてやってくれ、例の物も頼む。」
貸衣装と言えども、流行り廃りが有るようで、型落ちした衣装は田舎に持って行き、王都の流行と謳って売り込むのだそうだ・・・中古品を。オイは従業員なので、3割引きで購入できたが・・・欲しくも無いが仕方が無い。
オイは木箱を開けると、中身を取り出した。
コンサバにしました・・・と、会長の美人秘書に言われたが、コンサバってなんだ?中身はよくある濃紺の上着とズボン、白いラインが船乗りらしい味を出している。シャツはフリルが付いていて・・・頭が痛くなったが、オイはいつも使っている甲板員のマークの赤いスカーフを取り出して、襟の下の通し何とかフリフリを隠した。会長の秘書さんは美人でダイナミックボディだけど、何を考えているんだか・・・よう解らん!オイの潮焼けした顔が、白いシャツに反射して黒さが2割増しに見える、いやシャツの白さが2割増しに見えると言うべきなのか?
上着を取り出して羽織ろうとした時に、木箱の隅にシ~ノンが作っていたような布で作った花の飾りが入っている事に気が付いた。
・・・・どう言う事だ?
パガイ会長はこうなることを見越して、俺に服を押し売りしたのか?解せぬ。
ルンの家は山の手にある、子爵様の館の広場に近い一等地だ。
どうせ広場に行くついでだ・・・別に大した事じゃぁ無い。
何か皆に良い様に動かされているような、釈然としない思いのまま、オイはルンの家に着いた。ドアノブをノックする・・・ルンか・・・どんな子だったか。
ドアから顔を見せたのは女の子では無く、スキンヘッドの熊のような親父だった。
「やあ、よく来たオイ君。君の事はパガイ会長から良く聞いている、どんな時でも沈着冷静で、デキル船乗りに成長したそうではないか、はっはっはっ。」
熊親父は、笑いながらオイの背中をバンバンと叩く・・・痛いんですけど、それに今現在、沈着冷静とは言えない気分なんですが・・・。
「子爵様が、今度隣国を相手に、家具の売り込みをする計画を立てているのを知っているかい?いま船大工達はドッグで外洋でも航行可能な、大きな素晴らしい船を造っているんだ。その船のクルーを探している、外洋の航海に慣れている、経験者を募集中なのだ。パガイ会長に話をしたら、真っ先にオイ君、君を推薦して来たぞ。どうだい考えてみてはくれないか?」
「隣国・・・外洋ですか。海峡はじめ外海は、海賊行為が横行していて危険なのですが。子爵様はご存知なのですか?」
「海賊の話は聞いているが、パガイ会長の話によると万事ケリが付いたそうじゃないか。安心して船を造るとが良い、計画を進めろと言われているが?」
『・・・ケリがついた?』
深く考え込む前に視線を感じたオイは、熊親父の背中越しに、部屋の奥で此方を覗いている少女がいるのを確認した。
・・ルンか?・・・幸いなことに、彼女は母親似だった様だった。
「待たせてすまない、長様仕事の話はまた改めて、親父とも相談してから返事をしても良いですか。」
「あぁ、勿論だ。ルン、お待ちかねの王子様が来たぞ。」
「お父さん!!」
ルンはからかわれて、真っ赤な頬で涙ぐんでいる。
「良かったらこれ、王都の流行りなんだ。・・・何処に飾るのが良いかな・・・服だと見事な刺繍が見えなくなってしまうし、髪が良いかな?」
オイは飾りを髪に寄せて見て、首を傾げて見せる・・・ルンはもう、驚きと恥ずかしさで息も絶え絶えだ。
王都や王妃領、各地の港を渡り歩いて来たオイは、年相応に汚れていた・・・オイがチャラ男になっている・・・詩乃がいたら、そう言って驚いただろう。
『田舎娘は純朴で良い、都会の娘は擦れていたしな・・・。』
お前も十分擦れている・・・。
*****
子爵の館の前の広場では、すでに祭りの準備が整い、子爵様の始まりの宣言を待つばかりだった。豪勢にモモウ一頭が串刺しにされて、遠火の直火でチリチリと焼かれている・・・良い匂いだ。祭り用に簡易の石窯も設置されていて、リーのパン屋が一家総出でピザを焼いている・・・スパイシーな香り、オイの好きなピザが焼かれている様だ。
『あれから随分と時が過ぎたのだな・・広場に来ると、嫌でもシ~ノンとの別れを思い出すから、来ないようにしていたんだっけ。』
心此処にあらずなオイの様子に、悲しくなってきたのかルンの顔が下を向いていく。
泣きそうな雰囲気を感じて、オイが自分の腕に掛かるルンの手をポンポンと叩いた。泣き虫な妹(過去形)がいたせいで、泣き出す前の不穏な空気を感じるのが得意なオイ君だ。
「ここは久しぶりで、色々と思い出してね・・・ごめんな。あの頃はルンは小さな女の子だったね。」
覚えてもいない癖にこの言い草、子羊ちゃん狼にご用心だ。
連れ立って歩く2人に、街の者の視線が集まる、リーが振り向いてちょっとだけ驚いた目をした。子爵様が祭りの始まりを宣言して、ワァッと歓声が上がり音楽が奏でられる。小さな踊りの輪が作られ、真ん中に成人を迎えた小さな大人を囲い込んだ。
「踊れ踊れ、若い花ほころぶ祝福された時はアッという間に過ぎてしまう。今を楽しめ!今を愛せ!春の女神のお祭りだ~~~。」
ルンとオイを囲んで、皆が輪になり踊り出す。
オイもルンの手を取り、軽々とステップを踏みリード巧みに踊り出した。
恥ずかし気にオイを見上げる目に、さわやかに(顔が潮焼けしているから、歯が白く輝いて見える。キラッて言う奴だ。)微笑んでやれば、真っ赤に染まる頬が可愛らしい。
『シ~ノン、来るのはやはり無理だったか・・・。』
詩乃のアドバイスを守り、腹芸を心掛けて来たオイは、内心の落胆を感じさせる事無く、恋する勘違い娘のエスコートを務めていた。
オイ君、チャラ男に・・・。いやいや背伸びしているだけなのです。