第伍話
夕日に目を細めながら、吼了欽は早馬の言上を聞いていた。
「去んぬる9月7日深更、圃戒仕様が公子に通じて因州王に謀反。穆薀様がこれを、圃韓様眼前にて斬首せり。」
國朶鎮城主府ではいつもの講堂ではなく、応接用の上房に人が集まっていた。
城内の絹織物業者連が陳情に来て、先程まで城主代の圃勒春がこの部屋で対応していたものである。この部屋は大きな硝子壁が嵌め込まれ、外光がよく入るものだから、夏は使えないけれども、9月も9日になって最早初秋、暑さも和らぎ応接には丁度良くなっていた。
外の風が強い。硝子と石壁の接合部がキシキシと音を立てている。
「そんな、あの人が」
蒼白となった圃勒春の呻きを、脇にいる吼了欽は聞き取った。この場合、「あの人」は穆薀を指す。「そんな、穆薀が夫の圃戒仕を馘るなんて」という意であろう。
圃勒春を挟んで反対側に立つ侍女の國世殷は、眉をひそめて己れの主人を見つめている。彼女もまた、吼了欽と同様に圃勒春の心情を正確に把握しているようである。一方、吼了欽の脇に控えている咽諄醸は、先日、啻万麓から國朶鎮に遣わされてそのまま残っているのだが、彼は圃戒仕の死について単純に驚き、口を開いたまま呆然としている。
國世殷のやや前に出た位置に並ぶ太凍と唱来昔には、圃勒春の言葉が聞こえなかったようである。いや、「公子に通じて因州王に謀反」というくだりに違和感を感じ、使者の言に集中しているのであろう。それは吼了欽も同じように気になっているところであった。
圃韓が遣わした使者もまた、圃勒春の反応に気づかない。外の烈風で乱れた髪に大量の黄塵をからませたまま、ひたすら伝令の任を全うせんとする。
「圃韓、因州王より公子の秦州侵略を阻止するべく、秘命を受く。國朶鎮は圃勒春が指揮し、公子軍との交戦、籠城に向けて兵備せよ。圃韓と穆薀も急行するが、それまでに完了せよ。」
多くの驚愕が上房に満ち、皆言葉を失う。
長い沈黙に耐えられず、國世殷が思わず口走った。
「圃戒仕様が亡くなるなんて、あり得ないことですわ。でも本当に公子へ密告なさったのであれば、圃家の為には確かによろしく無かったのでしょう。」
いや、咄嗟の言ではなく、この侍女は深く考えたすえに、発言したのである。ひたすら圃勒春の横顔を注視しており、当の圃勒春も小さく頷いている。夫を失った悲しさはそこには無く、侍女が穆薀という家宰の行動を正当化してくれた、そんなどちらかといえば満足の表情を浮かべている。國世殷は主の心情を絶妙に忖度したといえよう。
ただ、圃勒春の顔は青ざめたままであるが。
そして今この瞬間、吼了欽もまた良く考えて発言せねばならない。
「こ、これは」
吼了欽はとりあえず言葉を挟んで國世殷のあとを受けると、必死に頭を回転させる。
そして、太凍や唱来昔が口を開く前に、宣言してみせた。
「わ、我が主圃戒仕による圃韓様への叛逆、配下として断腸の思いにござる。拙者は、圃家に、ましてや美宜粽州王に対して、これっぱかりの叛心も御座いません。絶無に御座います。私、吼了欽は今より、逆臣たる圃戒仕の臣籍から脱し、圃韓様や圃勒春様の管轄下に入りとうございますっ!」
そして圃勒春の正面に立ち直して、胸の前に拱手すると同時に、彼女に向けて深くこうべを垂れた。勢いよくくの字に腰を折って見せ、座に居並ぶ者ども皆、一瞬吼了欽に呑まれた。
「うむ。安心したわ、吼了欽。」
やはり圃勒春の顔色は蒼白に抜け切ったまままだが、城主代たる彼女の歩みはさすがに力強く、ずっ、と前に踏み出すと、辞儀する吼了欽の肩に浅黒い手を置いた。
「あなたが私たちの麾下に入れば百人力よ。」
しかし、想い人に我が夫を殺されたこの女城主が吐く言葉は今、ひどく空虚である。
「恐れながら。」
唱来昔が訝しげに眉をしかめながら、圃勒春に異を唱えた。
「まだ美獣様が美宜粽州王に背いたという報は御座いません。そんな美獣様に対して、圃戒仕様が如何なる文を送ろうと逆臣扱いされる筋には無いかと。」
「唱来昔」
圃勒春は、この痩せた文官を睨んだが、
「分かっております。」
唱来昔は筋張った指を一杯に開いて、女主人を制した。
「我らは州王家にとって陪臣、従うべきは圃韓様のみです。」
唱来昔は文官、すでに答えは出ていても、物の道理をはっきりさせずにはおれなかったのだろう。主君へ提議することに意味があったのである。
しかし、武官である太凍はそうはいかぬ。
「美獣公子が秦州を侵略なさるのか。まず、それが俄かに信じられぬ。そしてそれが真実だったとして、國朶鎮は兵力不足。我らは秦州の流賊にすら怯えていたのだ。それが美獣様率いる師団を迎撃できようか。吼了欽が圃戒仕様から預かった兵を全て当軍に編入したとして、たった五千だぞ。吼了欽、美獣様の軍勢は如何程か。」
武官の頭は即、戦の具体を想定し始めている。吼了欽が、首を傾げながら回答する。
「はい。囮丘戦では一万でした。その後、将兵たちは囿治果に留め置かれましたが、今思えばこの秦州攻めの為だったのでしょう。さすれば囿治果の一万を核に、更に増員しておりましょう。」
吼了欽の顔を、圃勒春が覗き込んだ。
「では、二、三万?」
「はあ、もっと多いやもしれませぬ。」
太凍は下唇を強く噛みながら、天を仰いだ。
「何とも厳しい戦いですな。しかし、まことに美獣様は秦州を攻めるのか。我が州は、穂泉煎と同盟しておるのだぞ。」
「お前、義父上が誤報を伝えたとでもいうの?」
圃勒春の視線が今度は、太凍に向く。太凍は大きな身体をそらせ、鷹揚に否定した。
「いえ。決してそういう訳ではありませぬ。美宜粽州王が我が子の迎撃命令を冗談で言う訳ありませぬし、勿論真実でございましょう。となれば美獣様による秦州侵攻もまことにござりましょう。しかし、しかしですよ」
太凍は武人らしい厳しい顔で圃勒春を睨み返した。
「だからと言って、本当に我らは美獣公子に弓を引いて良いのですか。」
「知らぬ。」
圃勒春は紅い口を大きく開いて、怒気を発した。
「兎に角、我らは圃家の被官。義父上、圃韓様の命に従うまでよ。お前、美獣公子に付いて、我らに刃向かうか?」
我が夫のように ―
さしもの太凍も気圧された。
圃勒春の大きな二重眼はそれ程に、鬼気迫り、殺気を帯びていたからである。
吼了欽はまた、立っているのがやっとだった。
主君、圃戒仕が死んだ。
その父、圃韓に仕えることとなった。
そしてその圃韓とともに、あの英傑である因州公子、美獣と衝突する ―
様々な思考が、脳中に去来し、渦巻き、混沌としてまとまらず、己れの道に一条の光明も見出せずにいる。
硝子の向こう、日は落ちた。
上房には、強風の雄叫びだけがいつまでも響いている。




