表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/70

第伍話

 夕日に目を細めながら、吼了欽(こうりょうきん)は早馬の言上を聞いていた。

()んぬる9月7日深更、圃戒仕(ほかいし)様が公子に通じて因州王に謀反。穆薀(ぼくうん)様がこれを、圃韓(ほかん)様眼前にて斬首せり。」


 國朶鎮(こくだちん)城主府ではいつもの講堂ではなく、応接用の上房(じょうぼう)に人が集まっていた。

 城内の絹織物業者連が陳情に来て、先程まで城主代の圃勒春(ほろくしゅん)がこの部屋で対応していたものである。この部屋は大きな硝子壁が()め込まれ、外光がよく入るものだから、夏は使えないけれども、9月も9日になって最早初秋、暑さも和らぎ応接には丁度良くなっていた。

 外の風が強い。硝子と石壁の接合部がキシキシと音を立てている。


「そんな、あの人が」

 蒼白となった圃勒春の(うめ)きを、脇にいる吼了欽は聞き取った。この場合、「あの人」は穆薀を指す。「そんな、穆薀が夫の圃戒仕を(くびき)るなんて」という意であろう。

 圃勒春を挟んで反対側に立つ侍女の國世殷(こくせいいん)は、眉をひそめて己れの主人を見つめている。彼女もまた、吼了欽と同様に圃勒春の心情を正確に把握しているようである。一方、吼了欽の脇に控えている咽諄醸(いんじゅんじょう)は、先日、啻万麓(ていばんろく)から國朶鎮に遣わされてそのまま残っているのだが、彼は圃戒仕の死について単純に驚き、口を開いたまま呆然としている。


 國世殷のやや前に出た位置に並ぶ太凍(たいとう)唱来昔(しょうらいせき)には、圃勒春の言葉が聞こえなかったようである。いや、「公子に通じて因州王に謀反」というくだりに違和感を感じ、使者の言に集中しているのであろう。それは吼了欽も同じように気になっているところであった。


 圃韓が遣わした使者もまた、圃勒春の反応に気づかない。外の烈風で乱れた髪に大量の黄塵をからませたまま、ひたすら伝令の任を全うせんとする。

「圃韓、因州王より公子の(しん)州侵略を阻止するべく、秘命を受く。國朶鎮は圃勒春が指揮し、公子軍との交戦、籠城に向けて兵備せよ。圃韓と穆薀も急行するが、それまでに完了せよ。」


 多くの驚愕が上房に満ち、皆言葉を失う。

 長い沈黙に耐えられず、國世殷が思わず口走った。

「圃戒仕様が亡くなるなんて、あり得ないことですわ。でも本当に公子へ密告なさったのであれば、圃家の為には確かによろしく無かったのでしょう。」

 いや、咄嗟の言ではなく、この侍女は深く考えたすえに、発言したのである。ひたすら圃勒春の横顔を注視しており、当の圃勒春も小さく頷いている。夫を失った悲しさはそこには無く、侍女が穆薀という家宰の行動を正当化してくれた、そんなどちらかといえば満足の表情を浮かべている。國世殷は主の心情を絶妙に忖度したといえよう。

 ただ、圃勒春の顔は青ざめたままであるが。


 そして今この瞬間、吼了欽もまた良く考えて発言せねばならない。

「こ、これは」

 吼了欽はとりあえず言葉を挟んで國世殷のあとを受けると、必死に頭を回転させる。

 そして、太凍や唱来昔が口を開く前に、宣言してみせた。

 

「わ、我が主圃戒仕による圃韓様への叛逆、配下として断腸の思いにござる。拙者は、圃家に、ましてや美宜粽(びぎそう)州王に対して、これっぱかりの叛心も御座いません。絶無に御座います。私、吼了欽は今より、逆臣たる圃戒仕の臣籍から脱し、圃韓様や圃勒春様の管轄下に入りとうございますっ!」

 そして圃勒春の正面に立ち直して、胸の前に拱手すると同時に、彼女に向けて深くこうべを垂れた。勢いよくくの字に腰を折って見せ、座に居並ぶ者ども皆、一瞬吼了欽に呑まれた。


「うむ。安心したわ、吼了欽。」

 やはり圃勒春の顔色は蒼白に抜け切ったまままだが、城主代たる彼女の歩みはさすがに力強く、ずっ、と前に踏み出すと、辞儀する吼了欽の肩に浅黒い手を置いた。


「あなたが私たちの麾下に入れば百人力よ。」

 しかし、想い人に我が夫を殺されたこの女城主が吐く言葉は今、ひどく空虚である。


「恐れながら。」

 唱来昔が訝しげに眉をしかめながら、圃勒春に異を唱えた。

「まだ美獣様が美宜粽州王に背いたという報は御座いません。そんな美獣様に対して、圃戒仕様が如何なる文を送ろうと逆臣扱いされる筋には無いかと。」

「唱来昔」

 圃勒春は、この痩せた文官を睨んだが、

「分かっております。」

 唱来昔は筋張った指を一杯に開いて、女主人を制した。

「我らは州王家にとって陪臣(ばいしん)、従うべきは圃韓様のみです。」

 唱来昔は文官、すでに答えは出ていても、物の道理をはっきりさせずにはおれなかったのだろう。主君へ提議することに意味があったのである。


 しかし、武官である太凍はそうはいかぬ。

「美獣公子が秦州を侵略なさるのか。まず、それが俄かに信じられぬ。そしてそれが真実だったとして、國朶鎮は兵力不足。我らは秦州の流賊にすら怯えていたのだ。それが美獣様率いる師団を迎撃できようか。吼了欽が圃戒仕様から預かった兵を全て当軍に編入したとして、たった五千だぞ。吼了欽、美獣様の軍勢は如何程か。」

 武官の頭は即、戦の具体を想定し始めている。吼了欽が、首を傾げながら回答する。

「はい。囮丘(かきゅう)戦では一万でした。その後、将兵たちは囿治果(ゆうちか)に留め置かれましたが、今思えばこの秦州攻めの為だったのでしょう。さすれば囿治果の一万を核に、更に増員しておりましょう。」

 吼了欽の顔を、圃勒春が覗き込んだ。

「では、二、三万?」

「はあ、もっと多いやもしれませぬ。」

 太凍は下唇を強く噛みながら、天を仰いだ。

「何とも厳しい戦いですな。しかし、まことに美獣様は秦州を攻めるのか。我が州は、穂泉煎と同盟しておるのだぞ。」

「お前、義父上(ちちうえ)が誤報を伝えたとでもいうの?」

 圃勒春の視線が今度は、太凍に向く。太凍は大きな身体をそらせ、鷹揚に否定した。

「いえ。決してそういう訳ではありませぬ。美宜粽州王が我が子の迎撃命令を冗談で言う訳ありませぬし、勿論真実でございましょう。となれば美獣様による秦州侵攻もまことにござりましょう。しかし、しかしですよ」

 太凍は武人らしい厳しい顔で圃勒春を睨み返した。

「だからと言って、本当に我らは美獣公子に弓を引いて良いのですか。」

「知らぬ。」

 圃勒春は紅い口を大きく開いて、怒気を発した。

「兎に角、我らは圃家の被官。義父上、圃韓様の命に従うまでよ。お前、美獣公子に付いて、我らに刃向かうか?」


 我が夫のように ―


 さしもの太凍も気圧された。

 圃勒春の大きな二重眼はそれ程に、鬼気迫り、殺気を帯びていたからである。


 吼了欽はまた、立っているのがやっとだった。


 主君、圃戒仕が死んだ。

 その父、圃韓に仕えることとなった。

 そしてその圃韓とともに、あの英傑である因州公子、美獣と衝突する ―


 様々な思考が、脳中に去来し、渦巻き、混沌としてまとまらず、己れの道に一条の光明も見出せずにいる。


 硝子の向こう、日は落ちた。

 上房には、強風の雄叫びだけがいつまでも響いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ