プロローグ
何事も世界で初めてというのは意味がある。
科学が占める現代の日本で、何の因果か180度も違う方向を向いた『魔法学校』を設立しようなどと、とても正気の沙汰とは思えない。
「魔法学校とは言ってもですね……」
そんな正気とは思えない事を平気でする人物が一人、私の見ているテレビ番組の中で語っている。
「私が教える事には全て、種も仕掛けもあります。ただ、それが魔法に見えるという事で、魔法学校なんて名付けたんですよ」
「では、魔法ではないと?」
「ははは……。ある意味では『手品』であることは否定しませんがね?その方が夢があるでしょう?」
真っ白いローブのような衣服を着て、来年から使われる『教室』が映された画面の中には、星型の陣やら『意味を成さない文字列』が羅列されている。
それが、西洋から東洋に至るまで、どこかのカルト集団で使われる類の『儀式魔術』のモノであるのか、見ている一般大衆には分からないだろう。
「後ほど実演しますがね。私達は魔法・魔術と言った類の技を、古今東西のありとあらゆる学問と組み合わせ、再現しているに過ぎません」
コップに入った水を煽るように飲むのは、来年から開講される『九字魔法学院 高等学校』の創設者である、九字貞晴という人物である。
「ただし……、当初はその術を一般に公開する意思は無かった。それでも、科学が飽和した世界で、いずれ私が教える術が……、世の中の常識を変える事を信じています」
「九字さん、矛盾していませんか?公開する意思は無かったといいつつも、こうして学校法人として、その術を公開するなんて」
「ええ、分かっています。だから当初は、と言ったんですよ。基幹技術を公開する意思はありません。でもこの技術は、銃やミサイルに代わる戦争への利用も、私達は懸念しました。故に、この対外武力を有さない日本の国土で、日本人によって管理して欲しいと願い、日本に学校を作る事にしたんですよ」
再び、九字氏は乾いた喉を潤すように水を飲む。
「……ずいぶん、規模の大きい話になってきましたね」
テレビ初公開と、ニュース番組でも長く続く『東京ニュース放送』の、学生から社会人まで多くが見るであろう時間帯に、二十分も枠を取った取材風景は、淡々とアナウンサーと九字氏の対談で詰まらなかった。
それでも、題材が題材だけに、誰もが目を留めていた。
「ははは……、それだけ自信がありますからね。魔法や魔術というのは、古くから研究されている割に実用まで至ったという話を公には聞きません。それはおそらく、国家規模の軍隊なんかでも、同様じゃないでしょうか」
「でしょうね。魔法なんてファンタジーな存在、誰だって夢に見るけど実際に見た人なんて居ないでしょうね」
「でもね?私達は物理現象に影響を与える、非現実的な物質の実用利用を可能にしました。それも、適正さえあれば、誰でも簡単に出来る方法で」
「こうして聞くと、胡散臭いですね」
アナウンサーは苦笑いしている。
それはそうだろう、誰だって、そんな荒唐無稽な話を聞かされれば、そう言う反応を示すのが普通だ。
そう……、一般常識の中で生きる人々にとっては。
「じゃあ、実際に見てもらいましょう」
すると、九字氏は一つの『箱』を取り出した。
「これは?」
「これは、漫画やアニメに出てくる魔法使いが持つような、杖ですよ」
「杖なんて、形からすれば玉手箱のようですね」
乾いた九字氏の笑みは、何故か耳に残るように響き渡る。
「まあ、杖として……」
九字氏が箱の上に手の平を翳す(かざす)。
すると、アナウンサーが突然、眩しい光を遮るように手を出して、小さく呻いた。
それはカメラを持つ人物も同じであるように、動揺したような呻き声を上げる。
実際に画面に変化は無く「眩しい」と呟くアナウンサーの声も、説得力は無かった。
「見えますか。なら、好都合です。実際にこの力で行われる破壊を、見てもらうには」
すると、左手を箱の上に置いたまま、九字氏はカメラを左に向けるように言う。
そこには、窓ガラスがあった。
「直すのは容易いので、パフォーマンス重視で行きますよ」
すると、九字氏の右手の上には炎が上がる。
画面にも映る、可視化した炎という形で、物理現象とは思えない光景を映し出す。
「これは、ファンタジー風に言うなら『ファイアーボール』とでも言えば良いかな。ゲームならMP3を使った初級魔法みたいな?」
「……」
絶句したように何も話せなくなったアナウンサーは、それでも食い入るようにその光景を見つめている。
その炎を押すように、窓へ投げる動作をすると窓ガラスと衝突し、窓ガラスが溶けるように流れ落ちる。
「窓ガラスのあたり、見てもらうと分かりますよ」
カメラマンが思い出したように動き出し、ズーム機能でその部分を映し出す。
ガラスは溶けていて、零れたガラスが下に敷かれたマットを焼いていて、焦げた跡が見て取れた。
「こ、これは?見てください!火の玉が現れて、このように窓ガラスを……割った?溶かした?……溶かしました!」
興奮したように語るアナウンサーであるが、その興奮した様子は、とても正気とは思えなかった。
そして、その様子が酷く現実味を帯びていて、やらせなのか実際に起きた事なのか、分からなくしていた。
「これが『やらせ』かどうか?……それは、私にとってどっちでも良い事です。これで、宗教なんかに勧誘するつもりは、毛頭ありません。実際に学校を作ったので、来て頂ければ分かります。普通の授業もしますので、もし校風に合わなければ転校の類も、私達が全て資金面も含めてバックアップします」
最後に、楽しそうに語る九字氏の様子が、お茶の間に流れた。
その日、至る場所からテレビ局に問い合わせが殺到し、至る番組がその映像の正当性を取り沙汰すが、以降の取材に学校側は応じない。
それが、魔法という存在が公になった日の、一部始終。
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立花美奈という少女が、前世を思い出したのは、生まれて間もない頃だった。
前世ではファンタジーな世界を生きていて、人間ではない『悪魔』として生きていた。
魔王という存在に仕える、一介の魔物であり、魔王に恋慕と忠誠心を抱く側近の一人だった。
美奈は魔法も使えるし、前世の『悪魔』としての特性も引き継いでいた。
しかし、前世では『魔王』を、主君を討たれた敗戦の将として、無念さ自覚しながら自刃した。
勇者という存在が現れて、人間の魔法使いより遥かに優れた力を持っていた『悪魔の少女』は、成す術も無く勇者によって無力化された。
今でも美奈は、最期の時を夢に見る。
主を討たれた悲しみと、覇道を行く魔王の隣に居たにも関わらず、何も出来なかった自分の無力さを感じるだけの切ない夢を。
諦観を抱えて生きる美奈は、人間である自分の幸せなど、考える事は出来なかった。
ただただ周囲に合わせて愛想笑いだけ浮かべながら、周囲とは違う『悪魔』としての視点を持ちながらも、人間として生きる中途半端で世を渡ってきた。
私がそのニュースを見る前から、インターネット上に現れた『魔法学校』の話題を見た時、私は少しだけ心躍るモノを感じた。
それは、まだ前世を引きずる少女の、淡い期待のようなものであったのかもしれない。
「私、この学校に行きたい。そして一人暮らししたい」
両親とは恙無く、特に喧嘩する事もなく平穏な日々を送る中で、初めて言った我侭だったと思う。
「美奈……、この胡散臭い学校は何?」
両親も、私が言った初めての我侭に対して、戸惑いと動揺を見せていた。
「魔法高校」
「それは……、このチラシを見れば分かるが、こんな意味の分からない学校なんて……」
両親の内心を透かして見る事が出来る私には、その気持ちは手に取るように分かった。
娘が言い出した初めての我侭で、何事も手の掛からなかった私という子供が、最初に見せた反抗のようなもの。
出来れば昔から、もっと我侭を言って両親を困らせて欲しいと日ごろから考えていた反面、いざこうして、意味不明な学校へ進学したいという娘の我侭が、到底受け入れられないという現実だった。
「百歩譲って、まだお前が一人暮らしをする所まで良いとしよう。だが、この学校は何だ?来年開校する新しい学校で、名前も聞いた事の無い、こんな意味不明な学校なんて……」
許せない気持ちも有るだろう。
だが、私はこの世界に退屈していた。
科学が占めるこの世界で、少しでも感じた前世の余韻のようなこの学校が、偽物のカルトでは無い事は既に下見して分かっていた。
私はその願書を見た時、学校の出来る場所へ見に行った。
するとそこには、魔力が感じられて、そして魔法・魔術の気配が確かにあった。
この世界でも、魔術や魔法の類が全く存在しない訳ではないと、感じられた瞬間だった。
少なくとも、日本ではほぼ感じられない、ファンタジーな気配だった。
「お願いします。父さん、母さん。私をこの学校に通わせてください」
もちろん、それだけではない。
私の勘が、……悪魔としての直感が、この学校では『何か心躍る事が起きる』と訴えかけてくる。
私はその直感だけは、絶対に信じることを心に決めている。
そんな、娘の必死さが伝わったのか、両親はしぶしぶ私の我侭を聞いてくれた。
「ありがとう」
そして、私は半年後に、その学校のニュースを見るのだった。
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「ねえ、美奈はどこの高校に行くの?」
数少ない友達が、声を掛けてきた。
「私?私は遠くの学校に進学するよ……」
とても、学校名は言えなかった。
さすがに両親に打ち明ける際にも、異端のように見られる事を覚悟していた。
それでも、残り少ない学校生活の中で、友人に広がって悪目立ちすることは避けたかった。
何事も無難にこなす美奈だからこそ、少しでも心配事は減らしたかった。
「で、どこ?」
「一人暮らししながら、通うから」
巧妙に興味を逸らそうと試みるが、この友人には通用しなかった。
私は当初、この少女……、未鏡綾目という少女と、友達付き合いするつもりは無かった。
「綾目……、学校名は言いたくない」
それでも、この少女と友達をしているのは、最初はポツンと一人で居る私を綾目が気に掛け、しつこくアプローチしてきたから。
お節介だと思ったが、この少女の心の中は、善意しかない。
突き放しても、懸命に話しかけて来るので、いつしか腐れ縁のようになっていた。
「ふーん……?」
綾目という少女は実家がお金持ちで、本来はもっと良い学校に通えるほど、大層な良家の子女だった。
日本でも有数な資産家の娘で、友達付き合いも上手くて、私以外に友達は多い。
だけど、何故か私に執着する。
心の中を覗いても彼女の中にあるのは、私の傍に居ると安心できるという、曖昧な感情だった。
故に私は、滅多に綾目の感情は読み取らない。
誰だって、自分の思考や感情が読み取られるのは嫌だと思う。
一緒に居れば、少しくらいズルイ事を考えを起こす事はあるし、長く友達で居たい相手だとしても、些細なことで嫉妬する事もある。
どうにも、煮え切らない答えを返して来たが、私はこの日常を好んでいる。
だから私は、何も言わず、何も悟ることもなく、ただ消えるだけ。
特に親しい者など作る必要なんてない。
どうせ、人間なんて数年もすれば、旧友の事は思い出さなくなる。
「そっちも、頑張ってね。大学までエスカレーター式の、良い学校でね」
「メールだけでも、返してよね?」
「そうする。じゃあ、元気で」
「うん。元気でね」
卒業式の日にまで私は、誰にもどこに行くかを告げなかった。
もちろん、学校の先生には言ってあるものの、何度もお願いして秘密にしてもらっている。
誰にも知られず、ただ名簿上の進路の欄にだけ乗るその名前を、私は心に仕舞って中学を卒業した。