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ハンバートからだいぶ離れた所で、私は、意識が覚束なくなり、倒れ伏していた。
魂の力を強化しようにも、精神を平常に保つ事が、何故か出来ない。
あの時出来たのは、フリードがいたから、だろうか。
彼が居たから、私はあの異常な状態にあっても、それでも落ち着く事が出来ていたのだろうか……?
何とか持ったのも、ルーやフリードが居てくれたから……?
そう、かもしれない。
私は、知らず知らずの内に、ルーやフリードに、とても救われていたのだ。
それにしても、ああ、吐き気が、する。
正気が、保てそうに、ない。
フリードを、呼んで、しまいたい。
でも、そんな事は出来ない。
只でさえ大変なフリードに、これ以上の迷惑なんて、掛けられる訳が無い。
こんな理由で、呼んだら、絶対に駄目だ……!
身体が崩れ落ちた林の中で、途切れそうな意識の中でも、フリードは絶対に呼ばない。
それだけは確かに思っていた事だった。
暗闇の中から、誰かの微かな哭き声、がする。
あの声は――――
そう、哭いているのに、涙を流せず、只々茫然としている、あの鳥、だ。
幼い頃、勇と出逢う前、私が保護した、鳥。
勇と知り合ったらいつの間にか居なくなった、鳥。
ああ、そうだ。
あの子だけは、拾ってはいけない。近付いてはいけない。関わってはいけない。
――――そう言ったのは、誰だった……?
暗闇から、意識が浮上した感覚。
瞳を開けると、飛び込んできた顔、は……
「大丈夫ですか!?」
勢い込んで話しかけてきたのは、えっと……
「貴方、は……?」
桜色の髪をしている、イケメンさん……?
「あの、えっと、以前、こちらでお会いしました。林の中で倒れていらっしゃったので、あそこよりは良いかなと、こちらにお連れしたんですけど、わ、悪かったですか……?」
オドオドとしている桜色の髪と青竹色の瞳の顔を見て、思い出す。
「ああ、あの時の……――――倒れて、いた……?」
靄のかかった頭に、風が吹いた様な衝撃が走る。
その衝撃で、先程までの事が、ようやく回りだす。
そうだ、私、余りにも圧力が凄いのと、気持ちが悪いのとで意識を失ったのだ。
その時、何か夢を見た様な気がする。
アレは、何だった……?
「あ、あの、倒れていました。具合が悪そうだったので、えっと、木漏れ日とか、ここの方が良いかなって、あの、人を、呼んだ方が、良かったですか……?」
彼の言葉に、思考が夢から遠ざかる。
「ありがとう。介抱してくれて。きっと大騒ぎになったろうから、ここに運んでくれて良かったわ。本当に、ありがとう」
原っぱの端の木の根元にいるらしいと、何とか分かった。
それに、まずは介抱してくれた彼にお礼を言うべきだろう。
人を呼ばれずに助かったのは本当だ。
これ位で変に騒がれたら、申し訳ないではないか。
あれ? でも、木の根元で、枕にしているのは、一体……
「っ大丈夫ですか!? 急に起きたら、また……!」
彼の太ももを枕にしていると気が付き、慌てて上半身を起こしたのだが、眩暈が、ぶり返す。
思わず、顔を顰めて下を向いてしまった。
「まだ、寝ていた方が良いですよ。おれなら、大丈夫ですから」
そう言って、優しく微笑んでくれる彼。
「っでも、膝枕は申し訳ないわ。えっと、だって、重いでしょう……?」
申し訳ないやら、気が付くのが遅い事が合わさり、羞恥心で赤くなるのを止められない。
圧力や気持ちの悪さは無い物の、眩暈は一向に収まる気配も無く、起き上がっているのは苦痛を伴っているが、それでもこれ以上は駄目だと思う。
「大丈夫ですから。他に枕に出来るものもありませんし。どうぞ」
ポンポンと腿を叩く彼の、善意にあふれた笑顔の前に、その優しさを断り切れるはずもなく
「あの、それでは、しばらく、お世話に、なります」
切れ切れに言葉を発しつつ、彼の太ももに頭を乗せ、瞳を閉じた。
風が木々の葉を揺らす微かな騒めきや、小鳥の鳴く声、湖の岸辺に波が寄せては返す音。
少しずつ、身体が楽になっていく、気がする。
そろそろ立って動けそうだ。
「ックシュン」
彼から、くしゃみが聞こえて、思わず瞳を開ける。
「あ、あの、すみません。かからない様にしましたけど、えっと、不愉快ですよね……」
申し訳なさそうにする彼に、安心させる様に微笑む。
「大丈夫よ。それより、ごめんなさい。上着も私にかけてくれていたし、ずっとそうしていたから、寒かった……?」
私の方が彼に対して申し訳なくなってしまう。
そう、横になって気が付いたのだが、彼は私が意識が無い間、上着をかけていてくれたのだ。
その所為で彼が風邪を引いたのなら、穴があったら入りたい位だ。
謝ったくらいじゃ、駄目だろう。
「いえ、これは、その、昨日が原因で……って、あっ」
言ってから、彼の顔が覿面に赤くなる。
「昨日……?」
彼の言葉を反芻し、考えて、もしかしてと思い至る。
「あの、昨日も、ここに来ていたの?」
私の問いかけに、彼はワタワタと手を動かし、恥ずかしそうに、苦笑した。
「その、また、お会い出来れば、と、思いまして……」
そんな彼に、非常に心苦しくなった。
「昨日は、雨が降っていたから、貴方も来ないかと思っていたの。ごめんなさい。行くだけ行けば良かったわね……」
私の言葉に、彼は慌てだした。
「昨日は、薄暗かったですし、勝手に来たおれが悪いんです。だから、気になさらないで下さい」
そう彼は言うのだが、連絡位すれば良かったと後悔しだして、気が付く。
私、彼の連絡先、知らないではないか。
「あの、えっと、おれ、クラウディウス・ミュラーって言います。魔導騎士科の一年です。お名前を、伺っても、よろしいですか……?」
ハタっと気が付いて、呆然としていた私に、彼がおずおずと名前と所属を告げた。
私も、慌てて起き上がり彼に答える。
「私は、エルザ。エルザ・シュヴァルツブルク。普通科の一年よ」
正式名称だと長いし、これで良いかなと思ったのだが、どうかな。
「シュヴァルツブルクって、えっと、大公爵家の!!?」
彼の驚愕の表情に、名字は不味かったかと、落ち込んだのは否めない。
折角の平民の友人候補を失ったかと、戦々恐々するしかなかった。




